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【ネタバレあり】『マーヴィーラン』レビュー|スーパーマンと同日公開された「最弱ヒーロー」の面白さが異常だった件

2025年7月15日

映画『マーヴィーラン 伝説の勇者』基本データ

  • 原題: Maaveeran
  • 邦題: マーヴィーラン 伝説の勇者
  • 公開年: 2023年(インド)、2025年7月11日(日本)
  • 監督: マドーン・アシュヴィン
  • 主要キャスト:
    • シヴァカールティケーヤン(サティア)
    • アディティ・シャンカル(ニラー)
    • ミシュキン(ジェヤコディ)
    • サリター(サティアの母)
    • ヴィジャイ・セードゥパティ(“声”) ほか
  • 上映時間: 161分
  • 視聴方法(2025年7月現在):
    • 全国の劇場で公開中

この記事でわかること

  • 映画『マーヴィーラン 伝説の勇者』のあらすじと見どころ(※ネタバレあり)
  • インド映画に詳しくない筆者が、本作に衝撃を受けた理由
  • “天の声”に操られるという、斬新でユニークなヒーロー能力の面白さ
  • なぜ主人公は「ヒーロー失格」なほど臆病で、それでも魅力的なのか
  • 娯楽作の裏に隠された、現実の社会問題とリンクする痛烈な風刺
  • 同日公開の『スーパーマン』と比較して見えてくる「本当のヒーロー」の姿

はじめに

こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。 数ある映画ブログの中から、この記事を見つけてくださって本当に嬉しいです。

さて、今回ご紹介するのは、2025年7月11日に日本でも公開されたインド映画『マーヴィーラン 伝説の勇者』です。インド国内で記録的な大ヒットを飛ばしたと聞き、その熱狂ぶりがずっと気になっていました。

正直なところ、私は大ヒットした『RRR』を劇場で観たくらいで、インド映画のディープなファンというわけではありません。しかし、本作の「気弱な漫画家が、自分の描くヒーローの声に導かれて悪と戦う」というあらすじに強く惹かれ、これは観ておかねばと、公開初日に仕事終わりで劇場へと駆け込みました。

そして結論から申し上げますと、この映画、とてつもなく面白い作品でした。

スーパーヒーロー映画でありながら、主人公は「戦いたくない」と全力で抵抗する。斬新なアクション、キレキレのコメディ、そして胸が熱くなる人間ドラマの裏には、現代社会への痛烈な風刺が隠されています。

今回は、この映画の奥深い魅力を余すところなくお伝えしたいという思いから、核心に触れる【ネタバレあり】でレビューをお届けします。この記事が、皆さんがこのユニークなインド産ヒーロー映画の魅力に触れる、一つのきっかけになれば幸いです。

(C)2024 Shanthi Talkies. All Rights Reserved.

あらすじ

※以下、ネタバレを含む可能性がありますのでご注意ください。

新聞で長期連載漫画『マーヴィーラン』(“偉大な勇者”の意)を手掛ける、気弱で臆病な漫画家サティア。彼は、正義感が強く何かと騒動を起こしがちな母に振り回され、波風立てずに生きることを信条としていました。

そんなある日、彼らが住むスラム街が都市開発の対象となり、一家は立ち退きを余儀なくされます。新たな住居として提供された立派な高層マンション「マッカル・マーリガイ(人民の宮殿)」に喜んだのも束の間、そこは悪徳政治家ジェヤコディが手掛ける、手抜き工事だらけの危険な欠陥住宅でした。

母や住民たちのために勇気を振り絞ってジェヤコディに意見するサティアでしたが、あっけなく返り討ちに遭い、屈辱を味わいます。自らが描き続けてきた、決して屈しない偉大な勇者『マーヴィーラン』と、情けない自分とのギャップに絶望するサティア。そのとき、彼の耳元で、まるで漫画のナレーションのような荘厳で勇敢な「天の声」が鳴り響き始めます。

その声は、これから起きる出来事を予言し、サティアの行動を導く不思議な力を持っていました。彼はその声に不承不承ながらも操られ、真のヒーローとして、巨大な悪に立ち向かうことになるのです。

作品の魅力

ここからは、私が本作を鑑賞して特に心を揺さぶられたポイントについて、個人的な感想を交えながら、より深く掘り下げていきたいと思います。

冒頭から仕掛けられた、ただならぬ社会風刺の気配

まず本作で驚かされたのが、映画が始まるやいなや表示される、少し変わった注意喚起の字幕でした。

「この映画に登場する政治家にモデルは存在せず、実在の人物ではありません」 「もしキャラクターが実在の政治家に似ていても、それは偶然です」

ここまで「偶然です」と念押しされたら、逆に「絶対モデルいるでしょ…!」って勘ぐっちゃいますよね? このブラックユーモア、たまらないです。冒頭からニヤリとさせられ、作り手の「俺たちは本気でやるぞ」という覚悟に、一瞬で心を掴まれました。

もう一つ、個人的に興味深かったのが、インド映画ならではの「注意表示」です。本編で登場人物がお酒を飲むシーンになると、画面の隅に「飲酒は健康を害します」といった内容の注意書きが常に表示されるのです。『RRR』など他の作品では見かけなかった(あるいは気づかなかった)表現で、文化の違いを感じて面白かったです。

“天の声”に操られる、史上最も迷惑なヒーロー能力?

本作の最大の発明であり、面白さの源泉となっているのが、主人公サティアが手にする“能力”です。それは、彼が描いている漫画のナレーション、いわゆる「天の声」が頭の中に直接響くようになる、というもの。

この「声」は未来を予言し、「彼は殴りかかった」「彼は身をかわした」といった三人称のナレーションとして、サティアの次にとるべき行動を教えてくれます。彼自身の身体能力が超人レベルに向上するわけではありません。あくまで「声」の指示通りに動くことで、結果的に神がかったスーパーアクションが成立するのです。

この設定が、アクションシーンに斬新な魅力を与えています。サティア本人は怖くて仕方がないのに、「声」に操られていやいやながら敵をなぎ倒していく。その姿は、コミカルであると同時に、どこか切実で、観たことのない映像体験でした。

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ヒーロー失格?臆病な主人公サティアの人間的魅力

このユニークな能力をさらに面白くしているのが、主人公サティアの人物像です。彼は、従来のスーパーヒーローとは真逆。自ら争い事を避け、見て見ぬふりをして生きてきた、本当に気弱な男なのです。

そんな彼にとって、この「天の声」は祝福ではなく、迷惑千万な“呪い”でしかありません。普通、強大な力を手に入れたら、それを使って人々を救おうと決意するのがヒーロー映画の定石でしょう。しかしサティアは、力そのものをトラブルの元凶と捉え、全力で拒絶し、声に抵抗しようとします。この「ヒーロー失格」とも言える捻くれた主人公像が、たまらなく人間的で、私は一気に彼に感情移入してしまいました。

なぜ彼はここまで臆病で、ヒーローになることを頑なに拒むのでしょうか。私が特に心を掴まれたのが、まさにこのサティアの内面の激しい葛藤でした。

彼の心の中では、厄介ごとを避け平穏に暮らしたい「臆病な本当の自分」と、「お前は英雄だ」と囁き続ける「“天の声”という理想」が、まるで綱引きをしているかのようです。一方に引っ張られれば危険な現実が待っているし、もう一方に踏みとどまれば情けない自分に戻ってしまう。その板挟みで苦悩する姿が、本当に人間臭くて、観ていて放っておけなくなるんです。

そして、この心の中の戦いは、本作の独創的なアクションシーンに見事に描き出されています。アクション監督ヤニック・ベンによる振り付けは、まさに天才的だと感じました。「声」の命令と、サティアの嫌がる身体の動きとの間に生まれる一瞬の「遅延」。この絶妙なズレが、彼の抵抗と恐怖をコミカルかつリアルに表現しているのです。

物語が進むにつれて、その「遅延」が消え、声と体が一体となっていく過程は、彼が恐怖を乗り越え、真の英雄へと変貌を遂げる成長物語として、観る者の胸を熱くします。

娯楽の皮を被った痛烈な告発:現実とリンクする欠陥住宅問題

本作が単なるヒーロー映画で終わらないのは、その根底に鋭い社会批評性があるからです。冒頭の「政治家にモデルはいない」という字幕が示唆する通り、物語の核となる欠陥住宅問題は、非常に現実的なテーマに基づいています。

この映画が描く悪徳政治家や危険な高層住宅の問題は、実は単なるフィクションとは言い切れない、根深い社会問題を反映しているようです。少し背景を調べてみると、本作の舞台であるインドのタミル・ナードゥ州で実際に起きている、公営住宅の建設における汚職や手抜き工事の問題と、本作の物語が強く共鳴していることがわかります。

貧しい人々をスラムから追い出し、見栄えだけの危険な建物に押し込める。それは、彼らの生活や命を軽視する、構造的な搾取です。映画の中で崩れ落ちる壁のひび割れ一つひとつが、政治家への信頼の裏切りであり、市民の命を支えるべき社会の崩壊を象徴しているように見えました。

マドーン・アシュヴィン監督は、エンターテインメントという誰もが楽しめる衣をまとわせることで、普段は新聞やニュースの向こう側にある複雑な社会問題を、私たち観客に力強く突きつけてきます。これって、ただの映画じゃない。笑って泣けるエンタメの力を使って、難しい社会問題を「自分ごと」として考えさせてくれる…。「ポピュラー・ジャーナリズム」なんて言葉がありますが、まさにその最高の形を見せつけられた気がしました。

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『スーパーマン』と同日公開の必然性:本当のヒーローとは何か?

そして、本作のテーマを考える上で非常に興味深いのが、あのジェームズ・ガン監督の新生『スーパーマン』と、奇しくも同じ日に公開されたという事実です。

以前、当ブログでも『スーパーマン』におけるヒーロー像について少し考えましたが(過去記事はこちら)、『マーヴィーラン』が描くヒーロー像もまた、示唆に富んでいます。

「天の声」という絶対的なレールの上を走れば、誰でも英雄的な行動がとれるのかもしれません。しかし、そこに本人の「自由意志」は存在するのでしょうか? 操り人形のように動かされているだけの人間は、果たして「本当のヒーロー」と呼べるのでしょうか?

この問いは、絶対的な善意と強大な力を持ち、自らの意志で人々を救う『スーパーマン』のヒーロー像と、鮮やかな対比を成します。サティアは物語の終盤、ついに自らの意志で、声の予言を超えた行動を選択します。その瞬間こそ、彼が単なる操り人形から、真の「マーヴィーラン(偉大な勇者)」へと生まれ変わった瞬間なのだと、私は感じました。

ヒーロー映画は、ただ巨悪を倒す勧善懲悪の物語だけではありません。本作は、ヒーローであることの重荷や葛藤、そして「英雄とは何か」という根源的な問いを、私たちに投げかけてくれるのです。

まとめ

映画『マーヴィーラン 伝説の勇者』は、上映時間161分という長さを全く感じさせない、極上のエンターテインメント作品でした。

ヒーローになりたくない臆病な主人公というユニークな設定、コミカルでありながら独創的なアクション、インド映画ならではの歌とダンス、そしてその全てを貫く痛烈な社会風刺。これだけ多くの要素を詰め込みながら、少しも説教臭くならず、一つの見事な娯楽作として昇華させている手腕には、ただただ脱帽です。

鑑賞後はきっと、爽快な気分と共に、「自分にとっての勇気とは何か?」と少しだけ考えてしまうはず。ヒーロー映画は『スーパーマン』だけではありません。だから、もし劇場に行くか迷っているなら、ぜひその足を運んでみてください。161分後、きっとインド映画のイメージが、そして「ヒーロー」のイメージが、鮮やかに塗り替えられているはずですから。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 皆さんは、サティアのような“抵抗する英雄”をどう思われましたか? もしよろしければ、ぜひコメントであなたの感想を聞かせてください!

  • IMDb『マーヴィーラン 伝説の勇者』
    キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。
  • この記事を書いた人

HAL8000

映画と猫をこよなく愛するブロガー。 多いときは年間300本以上の映画を観ていて、ジャンル問わず洋画・邦画・アニメ・ドキュメンタリーまで幅広く楽しんでいます。

専門的な批評はできませんが、ゆるっとした感想を気ままに書くスタンス。 ブリティッシュショートヘア×ミヌエットの愛猫ハルも自慢したいポイントで、レビューの合間に猫写真や日常もたまに紹介しています。

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