映画『星つなぎのエリオ』基本データ
- 原題: Elio
- 監督: エイドリアン・モリーナ、ドミー・シー、マデリーン・シャラフィアン
- 主要キャスト(声の出演):
- ヨナス・キブレアブ(エリオ)
- ゾーイ・サルダナ(オルガ)
- レミー・エジャリー(グロードン) ほか
- 日本公開日: 2025年8月1日
- 上映時間: (上映時間をここに記載)
- 視聴方法(2025年8月現在):
- 全国の劇場で公開中
この記事でわかること
- 筆者が『星つなぎのエリオ』を「『ソウルフル・ワールド』以来の傑作」と感じた理由
- なぜ本作は、海外の絶賛評価と日本の賛否両論に分かれているのか、個人的な考察
- ピクサーの未来を担う3人の若き監督たちの才能が、どのように作品に反映されているか
- 物語の核心にある「エリオの孤独と成長」が、なぜこれほどまでに心を揺さぶるのか
- 散りばめられた伏線の見事な回収と、作品の真のテーマについての深い分析
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。 数ある映画ブログの中から、この記事を見つけてくださって本当に嬉しいです。
今回は、2025年8月1日に公開されたばかりのディズニー&ピクサー最新作、『星つなぎのエリオ』について、熱く、そして深く語らせてください。
私自身、公開初日のレイトショーに駆け込みました。実はその日、泊まりがけの出張帰りで、地元に着いたのは夜8時過ぎ。正直、体はクタクタでした。それでも、「この映画だけは初日に観たい!」という一心で、半ば無理やり映画館の席についたのです。
しかし、エンドロールが流れる頃には、疲れを心配していた自分が馬鹿らしくなるほどの特大の傑作に、ただただ打ちのめされていました。これは、あの『ソウルフル・ワールド』で味わった衝撃に近い、魂を揺さぶる感動です。
ところが、その興奮を誰かと分かち合おうとレビューサイトを覗いてみると、どうも日本の評価は賛否が分かれている様子。一方で、アメリカの批評サイト「Rotten Tomatoes」では批評家スコア80%超え、観客スコアは90%を超える絶賛ぶりです。この温度差には、かつて『トイ・ストーリー4』が日米で評価の分かれた状況を思い出しました(ちなみに私は『トイ・ストーリー4』肯定派です)。
なぜこれほどまでに評価が割れるのか?そして、なぜ私はここまで心を揺さぶられたのか? この記事では、その理由を【ネタバレあり】で徹底的に考察・分析していきたいと思います。これからご覧になる方はご注意いただき、すでにご覧になった方は「そうそう!」「自分はこう感じた」と、一緒に作品の世界に浸っていただけたら幸いです。
あらすじ
※以下、物語の核心に触れるネタバレを含みますのでご注意ください。
好きなことにまっすぐな少年エリオは、何光年も離れた星へ行ける日を夢見て、夜空を見上げる日々を送っています。しかし、一番の理解者だった両親を亡くして以来、周囲に心を閉ざし、寂しさを抱えていました。彼は、この広い世界のどこかに自分の「本当の居場所」があると信じていたのです。
そんな彼の切なる思いが通じたかのように、ある夜、エリオはUFOに吸い込まれ、銀河中の星々の代表が集う最高機関「コミュニバース」へと招かれます。そこでひょんなことから「地球のリーダー」だと勘違いされてしまったエリオ。
とまどう彼の前に現れたのは、心優しくも独りぼっちのエイリアンの少年、グロードンでした。同じ孤独を抱える二人はすぐに心を通わせ、かけがえのない親友になります。しかし、やがて星々の世界全体を揺るがす恐ろしい脅威が迫るのでした。その危機を救う鍵は、エリオとグロードンが交わした“ある約束”に隠されていました……。

作品の魅力
ここからは、本作がなぜこれほどまでに私の心を掴んだのか、その魅力をいくつかのポイントに分けて、深く掘り下げていきたいと思います。
ピクサーの未来を担う、三位一体の才能
まず本作について少し調べてみると、非常に興味深い製作背景が見えてきました。監督を務めているのは、マデリーン・シャラフィアン、ドミー・シー、そしてエイドリアン・モリーナという3人の共同監督です。この布陣こそ、本作の独特な味わいと深みを生み出す最大の要因だと感じます。
- エイドリアン・モリーナ: あの大傑作『リメンバー・ミー』で共同監督と脚本を務めた人物。
- ドミー・シー: 『私ときどきレッサーパンダ』やアカデミー賞短編『Bao』で知られる監督。
- マデリーン・シャラフィアン: 短編『夢追いウサギ』の監督。
まさにピクサーの未来を担う若き才能のドリームチームです。そして驚くべきことに、本作の物語構造は、この3人の監督それぞれの作風を巡る旅路のようになっているのです。
第1幕は、シャラフィアン監督の世界。 彼女の短編『夢追いウサギ』がそうであったように、物語は主人公の静かで内省的な「孤独」から始まります。他者から離れ、自分だけの世界に閉じこもるエリオの姿は、『夢追いウサギ』のウサギそのものです。
第2幕は、ドミー・シー監督の世界に。 コミュニバースに到着し、グロードンと出会うことで、物語は一気に『私ときどきレッサーパンダ』のような、不器用で気まずく、でもどこか愛おしい社会的力学の中へと放り込まれます。大きな嘘から始まる厄介な友情は、まさに彼女の得意とするところです。
そして第3幕は、エイドリアン・モリーナ監督の世界へ。 物語のクライマックスは、『リメンバー・ミー』を彷彿とさせる、壮大で感動的な「家族の和解」によって解決へと導かれます。世代や種族を超えた繋がりというテーマが、観る者の涙腺を容赦なく刺激します。
このように、3人の監督の個性がリレーのように繋がっていくことで、「孤独」から「不器用な繋がり」を経て、「共同体への帰属」へと至るエリオの成長物語が、見事に描き出されているのです。この構成力には、ただただ唸るばかりでした。
エリオの孤独と成長への、痛いほどの共感
本作の設定は、多くの方が指摘するように、ディズニー作品『リロ・アンド・スティッチ』(過去記事はこちら)とよく似ています。両親を亡くした孤独な主人公、自分のせいで保護者(姉、または叔母)が夢を諦めているという負い目、そこへ現れる地球外生命体……。
しかし、物語の着地点は大きく異なります。『リロ・アンド・スティッチ』が「オハナ(家族)」という絆を讃える物語だとすれば、『星つなぎのエリオ』は、その輪をさらに押し広げ、「宇宙規模のつながり」や「あなたは本当に一人ぼっちなのか?」という、より根源的で哲学的な問いを私たちに投げかけてきます。
ここで、日本で聞かれる「エリオに共感できない」という声について考えてみたいと思います。なぜ、彼の行動が理解しにくいと感じる人がいるのでしょうか。 その理由は、もしかすると、私たち観客が色々なことを諦め、物分かりの良い「大人」になってしまったからではないでしょうか。
本作の製作過程で、エリオの保護者は当初「母親」の予定でしたが、最終的に「叔母のオルガ」に変更されたそうです。その理由は、エリオが宇宙へ行きたいと願う動機をより深めるため。親子の絶対的な絆よりも、悲劇から生まれた叔母と甥という「より希薄な関係性」を描くことで、エリオが抱える「自分の存在が叔母の夢(宇宙飛行士になること)を奪ってしまった」という罪悪感を際立たせたのです。(参考)
両親という絶対的な理解者を失い、さらには「自分はここにいてはいけない存在かもしれない」という負い目まで背負った少年が、「宇宙には僕をわかってくれる誰かがいるはずだ」という一条の光にすがる。子供にとって、その希望が生きるためのすべてになることは、痛いほどにリアルです。彼の行動が突飛に見えるのは、私たちがいつしか様々なことを諦め、うまく世渡りする方法を覚えてしまったからではないでしょうか。
正直に告白すると、私の中にも「誰も本当の自分をわかってくれない」と拗ねる子供がいます。だからこそ、エリオの痛いほどの孤独と、無鉄砲な行動が、他人事とは思えなかったのです。
魂を揺さぶる脚本の妙と、見事な伏線回収
本作は、SF、家族愛、コメディ、そして少しのホラー要素まで、多彩なジャンルが見事に融合していますが、何よりもその脚本の巧みさには舌を巻きました。散りばめられた何気ない要素が、終盤で大きな感動を生む伏線として機能しているのです。
- 砂浜のメッセージ: 冒頭、エリオが孤独感から砂浜に書いた「僕をさらって(ABDUCT ME)」というメッセージ。これが後半、全く予想もしない形で再登場し、涙なしには見られない感動的なシーンへと繋がります。この伏線回収は鳥肌ものでした。
- 無線機: エリオが宇宙と交信するために大切にしていた古い無線機。これがクライマックスで、単なる小道具ではなく、エリオの視野を地球規模、いや宇宙規模にまで広げる重要な役割を果たします。世界中の研究者たちが言語の壁を越え、エリオを助けようと無線機を通じて団結するシーンは、往年のジャパニメーションのような熱さも相まって、涙が止まりませんでした。「あなたは一人じゃない」というテーマが、これ以上なく体現された瞬間です。
- 「またね じゃあ ありがとう」: エリオがグロードンに何気なく教えた、少し変わった別れの挨拶。宇宙人たちはこれを単なる音声データとして機械的に繰り返しますが、物語の最後、このありふれた言葉がとてつもない感情的な重みを持ち、異種族間の心を繋ぐ「言葉の力」の象徴へと昇華されます。この演出には、ただただ感服しました。
これら以外にも、エリオが亡き両親とふざけ合って使っていた「エリオ語」など、小さな設定の一つひとつが「言葉」「コミュニケーション」「繋がり」という壮大なテーマに収斂していく構成の見事さには、鑑賞後に気づかされ、改めて唸りました。
真のテーマは、誰もが経験する「成長物語」
宇宙規模の壮大な物語でありながら、本作の根幹にあるのは、紛れもなく「エリオの成長物語」です。
当初エリオは、自分の居場所はここではない、理解者は宇宙にしかいないと思い込み、身近な人々との関わりを拒絶していました。しかし、自分と同じく孤独だった宇宙人グロードンとの友情を通して、彼は初めて自分を客観的に見る視点を手に入れます。
「君のことを大切に思っているからこそ、おばさんは夢を諦めたんだ」
この事実に、エリオは他者との関わりの中で初めて気づかされるのです。人は、第三者と本気で関わることで自分を客観視し、成長できる。その相手が人間だろうと、芋虫のような姿をした(でも、見慣れると可愛い)宇宙人だろうと、関係ありません。
自らが憧れの対象であった「宇宙」との交流を通じて、初めて身近な人の愛情の深さを知り、少年は大人への一歩を踏み出す。この物語は、孤独を感じているすべての人へ、「本当に心を閉ざしているのは、あなた自身の方ではないか?」と、優しく、しかし力強く問いかけているように感じました。

まとめ
『星つなぎのエリオ』は、孤独、家族、友情、コミュニケーションといった様々なテーマのピースが、物語の終盤でパズルのようにカチッとはまり、壮大で美しい一枚の絵を完成させる、実に見事な作品です。
キャラクターデザインの独創性などで、好みが分かれる部分はあるかもしれません。しかし、物語の構成力、伏線の巧みさ、そして胸を打つテーマ性といった、映画としての完成度は、ピクサー作品の中でも屈指のレベルにあると、私は断言します。Rotten Tomatoesでの高い評価も、観ればきっと納得できるはずです。
出張帰りの疲れも吹き飛ぶほど、私の心は揺さぶられ、涙が止まらないシーンがいくつもありました。子供向けの冒険活劇でありながら、その真のメッセージを受け取り、深く感動できるのは、むしろ私たち大人なのかもしれません。
もしこの夏、あなたの心を揺さぶり、明日への活力をくれる一本を探しているなら、答えはここにあります。『星つなぎのエリオ』がくれる感動と興奮を、ぜひご自身の目で、心で、確かめてみてください。きっと、劇場を出る頃には、夜空の見え方が少しだけ変わっているはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 あなたはこの映画のどんなところが好きですか?あるいは、どんなことを感じましたか?ぜひ、コメントであなたの感想も教えてください!
- IMDb『星つなぎのエリオ』
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