映画『リズと青い鳥』基本データ
- 公開年: 2018年
- 監督: 山田尚子
- 原作: 武田綾乃(『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章』)
- 脚本: 吉田玲子
- キャラクターデザイン: 西屋太志
- 音楽: 牛尾憲輔
- 主要キャスト:
- 種﨑敦美(鎧塚みぞれ)
- 東山奈央(傘木希美)
- 上映時間: 90分
- 視聴方法:
- 各種動画配信サービスで配信中
- DVD・Blu-ray 発売中
この記事でわかること
- 元アニメ好きの筆者が、本作を「生涯ベストアニメ映画」として挙げる理由
- 『リズと青い鳥』がもたらす「圧倒的な没入感」の正体
- 言葉以上に感情を伝える、繊細な作画と実写のようなカメラワークの秘密
- 学校の「環境音」そのものが音楽になる、革新的な音響設計の凄み
- 親友である二人の少女の関係に潜む、痛々しくも美しい「共依存」の構造
- 物語の核心に迫る「大好きのハグ」に込められた、本当の意味
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。
最近、映画好きでなくとも『鬼滅の刃』のすさまじい勢いは、誰の耳にも届いていることでしょう。私自身、少し前にその熱狂を肌で感じる出来事がありました。
ある日曜日に映画館へ足を運んだ時のことです。私のお目当ては「午前十時の映画祭」で上映されていた『砂の器』。客席は比較的年齢層が高く、空席もちらほら。しかし、上映後にロビーへ出ると、今までに見たことがないほどの大混雑が広がっていました。これが『鬼滅の刃』の力かと、まざまざと見せつけられたのを覚えています。
実を言うと、私はまだ『鬼滅の刃』をきちんと観たことがありません。今でこそ映画好きを公言していますが、以前はいわゆるアニメ好き(あえてオタクとは言いませんが...。)で、実はハードディスクには録画したまま再生していない『鬼滅の刃』の第1話が眠っています。ちょうど私が深夜アニメから少し距離を置き始めた時期と放送開始が重なり、タイミングを逃して今日に至る、というわけです。
そんな元アニメ好きで、現映画好きの私が選ぶ「ベストアニメ映画」とは何か。前置きがとても長くなってしまいましたが、それこそが今回、どうしてもお話ししたい山田尚子監督の映画『リズと青い鳥』なのです。
スタジオジブリ作品やディズニー映画、あるいは最近の話題作まで、好きなアニメ映画は数多くあります。それでも、たった一本、自分にとってのベストワンを挙げるなら、私は間違いなくこの作品を選びます。
観終わった後、あまりの余韻にしばらく席を立てなくなるほどの衝撃。派手な物語ではないのに、なぜこれほどまでに心を揺さぶられるのか。この記事では、私が「とてつもないものを観た」と感じた、その魅力の源泉を、少しでもお伝えできればと思います。

あらすじ
※以下、物語の核心に触れる内容を含みますのでご注意ください。
北宇治高等学校吹奏楽部でオーボエを担当する鎧塚みぞれと、フルートを担当する傘木希美。二人は、中学時代から一緒に活動してきた親友同士です。
高校三年生、最後のコンクールを控え、自由曲に選ばれたのは『リズと青い鳥』。その曲には、オーボエとフルートが掛け合う長いソロパートがありました。
ソロの練習を重ねる二人。しかし、誰よりも仲が良いはずの二人の演奏は、なぜかうまくかみ合いません。
お互いを大切に想う気持ちとは裏腹に、少しずつ生まれていくすれ違い。やがて二人は、童話『リズと青い鳥』の物語に、自分たちの姿を重ね合わせるようになります。鳥籠に閉じ込められた少女「リズ」と、大空へ羽ばたく「青い鳥」。自分はどちらなのか……。
二人の少女の、儚く美しい一瞬を切り取った物語です。
作品の魅力:圧倒的な没入感の正体
この映画の魅力を一言で表すなら、それは「圧倒的な没入感」に尽きると思います。派手なアクションやドラマチックな事件が起こるわけではなく、物語のほとんどが学校という閉鎖的な空間で、静かに、淡々と進んでいきます。
しかし、だからこそ観客はスクリーンの中に深く深く引き込まれ、登場人物の息遣いすら聞こえてくるような感覚に陥るのです。この奇跡のような没入感は、一体何によって生み出されているのでしょうか。
神がかった作画と実写的なカメラワーク
まず特筆すべきは、その息をのむような映像美です。京都アニメーションの技術の粋を集めた繊細な描線、淡い光に満ちた色彩は、それだけで芸術の域に達しています。

しかし、本作の凄みはそれだけではありません。映像の細部にじっくりと目を凝らすと、山田尚子監督の演出が、いかに緻密に計算されているかが分かります。
本作はアニメでありながら、まるで実写映画のように「カメラ」を強く意識した映像で撮られています。例えば、望遠レンズで撮影したかのように背景をぼかし、二人の少女だけを切り取る構図。これは、彼女たちの世界がいかに閉鎖的で、二人だけの関係性で成り立っているかを視覚的に表現しています。
また、意図的にピントをずらしたり、ゆっくりと合わせたりするフォーカスの表現も多用されます。特に、みぞれが憧れの対象である希美を見つめるシーンでは、まぶしい光(レンズフレア)が差し込みます。これは、みぞれの視点そのものを追体験させる効果があり、彼女がどれほど希美を「特別」で「眩しい」存在として捉えているかを、観客に直感的に伝えているのです。
こうした主観的なカメラワークによって、私たちは物語を客観的に眺めるのではなく、まるでみぞれや希美の隣にいるかのような感覚で、彼女たちの揺れ動く心を「感じる」ことができるのです。
言葉以上に雄弁な、人間らしい仕草と足音
山田監督の演出は、登場人物の「仕草」にこそ真価が表れます。
例えば、内向的な性格のみぞれは、動揺したり不安になったりすると、無意識に自分の髪をいじる癖があります。こうした小さな仕草が、彼女の心理状況と完璧にリンクして、セリフ以上に多くのことを物語ります。
そして、山田監督の真骨頂ともいえるのが「足元」の演出。信じられないかもしれませんが、この映画は二人の“足の動きだけ”で、その関係性の全てを語り尽くしてしまうんです。
映画の冒頭、自信に満ちた足取りで「カツ、カツ」とリズミカルに歩く希美。その少し後ろを、まるで音を消すかのように、ためらいがちに歩くみぞれ。この対照的な足音だけで、二人の力関係が即座に理解できます。
二人の歩調が合う時、それは心の調和を意味します。しかし、物語が進むにつれて、二人の歩みは少しずつズレていく。この足元の不協和音が、彼女たちの心のすれ違いを痛いほどに表現しているのです。
もし本作を観るなら、ぜひ映画の冒頭とラストで、二人の「足音」だけに集中してみてください。そのあまりの違いに、きっとあなたも鳥肌が立つはずです。
学校そのものが奏でる、革新的な音響設計
吹奏楽部をテーマにしているだけあり、「音」の使い方も常軌を逸しています。
私が特に衝撃を受けたのが、教室の窓を開けるシーンです。それまで、校内の静かな環境音や二人の足音、話し声しか聞こえなかった世界に、窓が開いた瞬間、外のセミの鳴き声やざわめきが「ブワッ」と流れ込んでくるのです。この時、観客は自分がどれほどスクリーンの中の音に集中し、没入していたかを強制的に自覚させられます。
この巧みな音響設計の秘密は、音楽を担当した牛尾憲輔さんの革新的なアプローチにあります。
本作の劇伴(BGM)には、私がこの映画を語る上で欠かせない、驚くべき秘密が隠されているのです。牛尾さんは、映画のモデルとなった実際の高校に出向き、ビーカーが触れ合う音、椅子のきしむ音、窓の擦れる音といった「学校に存在する音」を録音し、それらを加工して音楽を作り上げたというのです。
これは「ミュジーク・コンクレート(具体音楽)」と呼ばれる手法で、文字通り、学校そのものが楽器となって音楽を奏でているようなものです。劇伴は、少女たちのドラマを静かに見つめる「備品」や「校舎」の視点。だからこそ、私たちは知らないうちに、音響的にも学校という閉鎖された空間、つまり「鳥籠」の中に閉じ込められていたのです。先ほどの窓のシーンは、その鳥籠が一時的に開かれた瞬間だったのかもしれません。
親友という名の鳥籠:痛々しくも美しい関係性の核心
「親友なのに、なぜ二人の演奏はかみ合わないのか?」 これが、本作を貫く最大の謎です。
その答えは、二人の関係性が、単なる「友情」という言葉では言い表せない、もっと複雑で危ういバランスの上に成り立っていたからに他なりません。
その関係性の本質は、友情というよりも、むしろ「共依存」に近い、危ういバランスの上にあると言えるでしょう。みぞれにとって、希美は自分を孤独から救ってくれた唯一の存在であり、彼女の世界のすべて。一方、希美は、みぞれの全面的な依存と称賛によって、「自分は特別だ」という自尊心を保っていました。
この歪な均衡を暗示するのが、映画の冒頭、理科準備室の黒板に書かれた「disjoint(互いに素)」という数学用語です。これは「1以外に公約数を持たない二つの数」を意味し、一見すると密接に寄り添っていながら、本質的には決して交わらない二人の関係性を象徴しています。
物語は、劇中劇である童話『リズと青い鳥』を触媒にして、この関係性の残酷な真実を暴いていきます。 当初、みぞれは孤独な少女「リズ」に、希美を自由な「青い鳥」に重ね合わせ、いつか彼女が去ってしまうことを恐れます。しかし、物語のクライマックスで、二人はその役割がまったく逆であったことに気づくのです。

類まれな音楽の才能を持ち、世界へ羽ばたいていくべきなのは、みぞれ(青い鳥)だった。 そして、その才能を誰よりも愛するがゆえに、鳥籠を開け、彼女を自由にする決断をしなければならないのは、希美(リズ)だったのです。
この残酷で、しかし愛情に満ちた真実にたどり着いた末の、クライマックスの演奏シーン。それまで積み重ねてきた90分間のすべてが、みぞれのオーボエの一音一音に感情となって爆発します。このカタルシスは、他のどんな映画でも味わうことのできない、唯一無二の体験です。特に、みぞれの演奏を聴きながら静かに涙を流す希美の姿が映る場面は、私自身、何度観ても涙を禁じえません。
そして、この演奏の後に訪れる「大好きのハグ」。
あの「大好きのハグ」で希美が絞り出す「みぞれのオーボエが好き」という言葉。それは心からの称賛であり、同時に、親友の才能への嫉妬と、もう隣にはいられないという諦めが詰まった、痛いほど正直な告白でした。
何気ない日常こそが宝物になるということ
この映画には、私が「この映画のすべてが詰まっている」と感じる、大好きなシーンがあります。
生物室にいるみぞれと、向かいの校舎の音楽室にいる希美。声も届かない距離ですが、希美がフルートで反射させた太陽の光が、みぞれの手元をキラキラと照らします。その光に気づいたみぞれは、ただ静かに微笑むだけ。二人だけの、声にならないコミュニケーションがそこにはあるのです。
セリフは一切なく、流れるのは牛尾憲輔さんの美しいピアノのBGMだけ。実は、本作のBlu-rayに収録されているオーディオコメンタリーで、山田尚子監督ご自身が「このシーンがうまくいったら、この映画は成功すると思っていた」という旨を語られており、私が「この映画のすべてが詰まっている」と感じたのも、決して大げさではなかったのだと嬉しくなりました。まさにこの映画の心臓部とも言える、かけがえのない時間が見事に切り取られています。
まとめ
本当はまだまだ語り足りません。キャラクターデザインがTVシリーズから意図的に変更されている理由や、その一つ一つのカットに込められた意味など、話したいことは尽きることがありません。
『リズと青い鳥』は、京都アニメーションという奇跡のような才能が集まったスタジオが生み出した、宝物のような映画だと心から思います。
もしこれからご覧になる方がいらっしゃれば、本作単体でも十二分に楽しめますが、可能であればテレビシリーズの『響け!ユーフォニアム』から観ることをお勧めします。二人が共に過ごしてきた時間の重みを知ることで、この90分間の物語が、より深く、切実に胸に迫ってくるはずです。
『鬼滅の刃』のような社会現象を巻き起こす作品も本当に素晴らしいものです。ですが、私にとっての宝物はこの『リズと青い鳥』です。少女たちの繊細な心の機微を、息遣いを、魂の震えを、ここまで芸術的に描ききった作品を、私は他に知りません。
いつか、ドルビーシネマなどでこの作品がリバイバル上映される日を、心の底から待ち望んでいます。 週末は、この静かで美しい映画に、じっくりと浸ってみてはいかがでしょうか。
👇 少女たちの息遣い、光の一粒まで。最高の画質と音で、この感動を何度でも。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの心に残る一本について、ぜひコメントで教えてくださいね。
- IMDb『リズと青い鳥』
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