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【ネタバレあり】感想『ジュラシック・ワールド/復活の大地』|初代の“魔法”はなぜ失われた?D-レックスが象徴するシリーズの限界

映画『ジュラシック・ワールド/復活の大地』基本データ

  • 原題: Jurassic World: Rebirth
  • 監督: ギャレス・エドワーズ
  • 主要キャスト:
    • スカーレット・ヨハンソン(ゾーラ・ベネット)
    • ジョナサン・ベイリー(ヘンリー・ルーミス博士)
    • マハーシャラ・アリ(ダンカン・キンケイド)ほか
  • 日本公開日: 2025年8月8日
  • 上映時間: 134分
  • 視聴方法(2025年8月現在):
    • 全国劇場で絶賛公開中

この記事でわかること

  • なぜ本作が初代『ジュラシック・パーク』の持つ「魔法」を再現できなかったのか、その決定的な違い
  • 多くの批評で指摘されている脚本の問題点と、深みのない登場人物たちの実態
  • 賛否両論のラスボス「D-レックス」の正体と、それが象徴するもの
  • 本作唯一の救いともいえる、ギャレス・エドワーズ監督による圧倒的な映像美の魅力
  • ファンだからこそ感じた、シリーズの未来への率直な疑問とネタバレありの正直な感想

はじめに

こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。 今回は、2025年8月8日に日本で公開された、ギャレス・エドワーズ監督の最新作『ジュラシック・ワールド/復活の大地』について、少しばかり辛口な感想をお届けしたいと思います。

私自身、公開2日目にIMAXで鑑賞してきました。『GODZILLA ゴジラ』や『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』で知られる監督の壮大な映像表現には大きな期待を寄せていましたし、批評家から酷評された前三部作からの「軌道修正」を試みた作品だと聞いていました。

しかし、鑑賞後の率直な感想を申し上げると、「見てよかったか?」と問われれば、残念ながら素直に「イエス」とは言えない、というのが正直なところです。

なぜ、あれほどまでに心を躍らせた初代『ジュラシック・パーク』のような感動が、そこにはなかったのか。なぜ、スクリーンに映し出される壮大な光景とは裏腹に、私の心は冷めてしまっていたのか。

この記事では、ネタバレを交えながら、私が本作に感じた物足りなさの正体と、シリーズが抱える根深い問題について、じっくりと語っていきたいと思います。

(C)2025 Universal Studios. All Rights Reserved.

あらすじ

※以下、ネタバレを含む可能性がありますのでご注意ください。

熟練の特殊工作員ゾーラ・ベネットは、信頼する傭兵チームや情熱的な古生物学者のヘンリー・ルーミス博士らと共に、初代ジュラシック・パークの極秘研究施設が存在した「禁断の島」へと足を踏み入れます。そこは、かつてパークの所有者が極秘の実験を行い、最悪の種といわれる20数種の恐竜が生き残った、地球上で最も危険な場所でした。

彼らに課せられた任務は、心臓病に奇跡的な治療効果をもたらす新薬の開発に不可欠な、陸・海・空の恐竜のDNAを確保すること。次々と襲い来る恐竜の脅威に立ち向かいながら、果たして彼らは無事に任務を遂行できるのでしょうか……。

正直なところ、134分という上映時間の中で、このあらすじを超える驚きや練られた展開はほとんどなかった、というのが私の印象です。もちろんハラハラするシーンはありますが、どこか物足りなさを感じながらスクリーンを眺め、「これで終わりか」と思ってしまう、そんな映画でした。

作品の魅力と、私が感じた深い溝

ここからは、なぜ私が本作を手放しで楽しむことができなかったのか、その理由を具体的に掘り下げていきたいと思います。

偉大すぎる原点『ジュラシック・パーク』との決定的な違い

これほどまでに続編が作られるのは、1993年にスティーブン・スピルバーグ監督が生み出した第1作『ジュラシック・パーク』が、まさに「原点にして頂点」だからでしょう。

私自身、シリーズの大ファンというわけではありませんが、第1作はUHDブルーレイも所有しており、地上波で放送されるたびに見てしまうほど大好きな作品です。それは、単なる恐竜パニック映画ではなく、ロマンあふれる「SF映画」として非常に優れていたからです。

琥珀に閉じ込められた古代の蚊からDNAを抽出し、欠損部分をカエルのDNAで補って恐竜を再生させる。この「もしかしたら現実にありえるかもしれない」と思わせる絶妙な科学的設定。そして、全てメスで生み出したはずが、一部が性転換するカエルの性質によって繁殖してしまうという、唸るような展開。こうした徹底されたSF考証と脚本が、第1作の核にはありました。

しかし、シリーズを重ねるごとに、そのテーマ性は少しずつ形を変えていったように感じます。少し調べてみると、この感覚は私だけのものではないようです。多くの批評で、シリーズが回を重ねるごとに初代の「科学的傲慢への警鐘」という鋭いテーマが薄れ、「企業の搾取」や単なる「サバイバル」へと焦点が移り変わり、物語の深みが失われていったことが指摘されています。

そして本作ではついに、恐竜そのものが目的ではなく、何かを達成するための「道具」に成り下がってしまったように感じられてなりませんでした。

物語に入り込めない、練られていない脚本への疑問

本作の物語は、「心臓病の特効薬開発のために恐竜のDNAを確保する」という設定から始まりますが、この導入部分から、どうにもこじつけ感を覚えてしまい、すっと物語に入り込むことができませんでした。

何より残念だったのが、登場人物たちの不可解な行動の数々です。思わず「なんで今!?」とスクリーンにツッコミを入れてしまったのは私だけではないはず。例えば、T-レックスがすぐそこで眠っているのに、なぜか悠長にボートを取りに行くシーン。あまりに露骨な「はい、ここからピンチになりまーす!」という展開には、さすがに興ざめしてしまいました。

このようにピンチに陥るためだけに存在するデルガド一家のようなキャラクター配置も、作り手の「ほら、皆さんが見たいものでしょう?」という意図が透けて見え、物語への没入を妨げます。

こうしたご都合主義は、物語の展開だけでなく、登場人物の描き方そのものにも通底しているように感じました。スカーレット・ヨハンソンという大スターを起用しながら、主人公ゾーラの人物像は「テンプレ通りのタフな傭兵」の域を一歩も出ません。他の登場人物たちも同様で、彼らは物語を動かすための駒(ピース)に過ぎず、血の通った人間には見えなかったのです。だからこそ、誰がピンチに陥っても、私の心は最後まで動きませんでした。そのため、誰一人として心から感情移入することができず、物語から心が離れてしまう瞬間が多々ありました。

(C)2025 Universal Studios. All Rights Reserved.

記憶には残るが、心には残らないラスボス「D-レックス」

そして、本作のラスボスともいえる恐竜「D-レックス」。遺伝子操作によって生まれたその奇形の姿は、人間のエゴが生み出した醜さの象徴として、テーマ性を担っているのかもしれません。そのインパクトは絶大で、監督の作家性も感じられます。

しかし、純粋な恐竜映画としてこれが見たかったのかと問われれば、疑問が残ります。何より、このD-レックスは物語の本当に最後の最後で唐突に登場するため、キャラクターとしての深みが全くありません。恐怖の対象でありながら最後にはヒーローとして私たちを救ってくれた、第1作のT-レックスのような見事なキャラクター付けとは対照的でした。

そして、D-REXをスクリーンで見つめながら、私はある考えに至りました。この恐竜の存在そのものが、今の『ジュラシック』フランチャイズが抱える問題点を、皮肉にも体現しているのではないか、と。

過去作のDNAを無理やり継ぎ接ぎして生み出された、グロテスクな創造物。見覚えのある姿形をしているのに、どこか不自然で「何かが違う」と感じさせる歪さ。それはまさに、オリジナルの本質を歪めてでも「新しく」「より大きく」見せようとすることを追い求めた結果、創造性の袋小路に迷い込んでしまったこのシリーズの姿そのものではないでしょうか。そう考えた時、私がD-REXに感じていた違和感の正体が、ストンと腑に落ちたのです。

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唯一の救い? ギャレス・エドワーズ監督による圧倒的な映像美

ここまで酷評ばかりしてしまいましたが、最後に、手放しで賞賛したい点もあります。それは映像の美しさです。

本作は35mmフィルムで撮影されており、その独特の粒子感や質感が、映像に触れることのできそうな重みと深みを与えています。これは単なる懐古趣味ではなく、広角レンズの効果的な使用や音楽と相まって、息をのむほど美しい画を生み出していました。

特に、ギャレス・エドワーズ監督の真骨頂である「スケール感」の演出は圧巻でした。海上でモササウルスやスピノサウルスに襲われるシークエンスの、怪獣映画さながらの混沌とした恐怖。ティタノサウルスの谷で見せた、初代へのオマージュでありながらも、純粋な驚異と畏怖を感じさせる荘厳な光景。これらは紛れもなく、本作のハイライトと言えるでしょう。

この映像を大画面で体験できたこと自体は、価値があったのかもしれません。
ちなみに、IMAXで見る価値があるかと言われれば、IMAXサイズで撮影されているわけではないため必須ではない、というのが個人的な意見です。

まとめ

『ジュラシック・ワールド/復活の大地』は「美しく、そして空虚なスペクタクル」でした。ギャレス・エドワーズ監督がもたらした映像的なスリルや畏敬の念は本物です。しかし、その映像に見合うだけの魂が、物語に宿っていませんでした。

結局、この映画の結末も、第1作と同様に「人間のエゴで生命を創造するのではなく、今ある自然を大切にすべきだ」という点に落ち着きます。

これを見るたびに、私は皮肉な思いに駆られます。映画の中で「恐竜は作るべきではなかった」と語られるように、「『ジュラシック・パーク』という映画も、もう続編を作るべきではないのではないか」と。スティーヴン・スピルバーグが作り上げた偉大な第1作は、それ自体が歴史的価値のある作品として、そっと保存しておくべきなのです。そこに無理に手を加えて新たな何かを作ろうとすることは、映画の中で描かれる人間の愚かなエゴそのものと重なって見えてしまいました。

…などと言いつつも、本作も新たな3部作の1作目とのこと。きっと続編が公開されれば、文句を言いながらもまた劇場に足を運んでしまうのでしょう。我ながら愚かですね。

賛否両論あるかとは思いますが、監督が作り出した圧倒的な映像世界に興味がある方は、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたはこの映画のどんなところが好きでしたか?あるいは、どんなところに疑問を感じましたか?ぜひコメントで教えてください!

  • IMDb『ジュラシック・ワールド 復活の大地』
    キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。
  • この記事を書いた人

HAL8000

映画と猫をこよなく愛するブロガー。 多いときは年間300本以上の映画を観ていて、ジャンル問わず洋画・邦画・アニメ・ドキュメンタリーまで幅広く楽しんでいます。

専門的な批評はできませんが、ゆるっとした感想を気ままに書くスタンス。 ブリティッシュショートヘア×ミヌエットの愛猫ハルも自慢したいポイントで、レビューの合間に猫写真や日常もたまに紹介しています。

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