映画『ガール・ウィズ・ニードル』基本データ
- 原題:Pigen med nålen (The Girl with the Needle)
- 監督:マグヌス・フォン・ホーン
- 主要キャスト:
- ビク・カルメン・ソンネ(カロリーネ)
- トリーヌ・ディルホム(ダウマ)
- べシーア・セシーリ(ペーター)
- ヨアキム・フィエルストロプ(ヤアアン) ほか
- 公開年:2024年(カンヌ国際映画祭)、2025年5月16日(日本)
- 上映時間:123分
- 主な受賞・ノミネート歴:
- 第97回アカデミー賞 国際長編映画賞 ノミネート
- 第82回ゴールデングローブ賞 最優秀非英語映画賞 ノミネート など
- 視聴方法(2025年5月現在):
- 全国の劇場で公開中
この記事でわかること
- アカデミー賞候補作『ガール・ウィズ・ニードル』の衝撃的なあらすじと基本情報(※ネタバレあり)
- 鑑賞のきっかけと、個人的に「今年のベスト級」と感じた理由
- 作品の核心的テーマ「混沌(カオス)」と「秩序(コスモス)」の個人的解釈
- 強烈な印象を残す冒頭シーンやタイトルが象徴するもの
- 主人公カロリーネの矛盾した行動にみる「人間というカオス」
- 観る者の心に深く刻まれるモノクロ映像、画角、音響の巧みさ
- デヴィッド・リンチ監督『イレイザーヘッド』との共通点と、本作が呼び覚ますトラウマ
- なぜこの映画が「大人向けのダーク・フェアリーテール」と評されるのか
はじめに
『ねことシネマ』へようこそ!数ある映画ブログの中から、この記事を見つけてくださって嬉しいです。
今回は、2025年5月16日に日本でも公開され、すでに多くの映画ファンの間で話題騒然となっているマグヌス・フォン・ホーン監督の映画『ガール・ウィズ・ニードル』をご紹介します。第97回アカデミー賞の国際長編映画賞にもノミネートされており、Rotten Tomatoesでも非常に高い評価を獲得している本作。私自身、映画館で観た予告編の映像が脳裏に焼き付き、「これはただならぬ作品に違いない…!」と直感し、公開2日目に劇場へ足を運びました。
鑑賞後の率直な感想は、「傑作!」の一言。個人的には、今年のベスト5に入る可能性をひしひしと感じています。しかし同時に、本作のテーマ性や描写は非常に重く、観る人を選ぶ作品であることも間違いありません。
今回は、作品の核心にガッツリ触れる【ネタバレあり】でお届けします!というのも、ネタバレなしではこの映画の奥深さを語り尽くせない…そう感じたからです。もちろん、ここでお話しするのはあくまで私個人の感想と解釈。この映画、観る人によっていろんな意見や感想が出てくる、めちゃくちゃ懐の深い作品だと思うんです。
もし、強烈な映画体験を求めている方、心に深く刻まれるような作品をお探しの方がいらっしゃいましたら、ぜひ最後までお付き合いいただけますと幸いです。
あらすじ(※ネタバレを多く含みます)
物語の舞台は、第一次世界大戦終結から間もない1919年のデンマーク、コペンハーゲン。街は戦争の傷跡と貧困の影に覆われています。主人公の若き女性カロリーネ(ビク・カルメン・ソンネ)は、お針子(縫製女工)として働きながら、この息苦しい現実から抜け出そうと必死にもがいています。しかし、戦地で行方不明になった夫ピーター(べシーア・セシーリ)を待ち続ける中、工場の経営者ヤアアン(ヨアキム・フィエルストロプ)との不倫の末に妊娠。あげく、ヤアアンに捨てられ、絶望の淵に立たされます。
追い詰められたカロリーネは、自ら堕胎を試みるも失敗。そんな彼女が出会ったのが、ダウマ(トリーヌ・ディルホム)というミステリアスな女性でした。ダウマは表向き、街角で可愛らしいキャンディーショップ(菓子店)を営んでいますが、その裏では、貧困や様々な事情で子供を育てられない母親たちから新生児を預かり、秘密裏に養子縁組を斡旋する「エンジェルメイカー」として暗躍していました。
カロリーネはダウマのもとで乳母として働くことになり、最初は警戒しつつも、次第にダウマのカリスマ性や優しさに惹かれ、二人の間には母娘のような、あるいは共犯者のような奇妙な絆が芽生えていきます。しかし、ダウマの「仕事」を手伝ううちに、カロリーネはその甘い仮面の裏に隠された、身も凍るような恐ろしい真実を知ることになるのです……。

作品の魅力:魂に突き刺さる針と、「カオスと秩序」を巡る深淵
ここからは、私が本作を鑑賞して特に心を揺さぶられたポイントや、個人的な解釈について、より深く掘り下げていきたいと思います。
冒頭シーンとタイトルに込められた「針」の意味――不気味なカオスの序章
映画の冒頭、観客は真っ暗なスクリーンに釘付けになります。そこへ、複数の人間の顔が多重露光のように重なり合い、歪み、不気味な表情で次々と現れては消えていくのです。「一体、今、何を見せられているのだろう…?」という強烈な違和感と不気味さに、一瞬で心を鷲掴みにされました。この冒頭シーンが何を意味するのか、その時は皆目見当もつきませんでしたが、物語が進むにつれて、その衝撃的な映像が本作の核心に触れるものであることが、じわじわと腑に落ちていきました。
そして、本作のタイトル『ガール・ウィズ・ニードル』(原題:Pigen med nålen)。物語の序盤で、カロリーネが妊娠した際、自ら編み針のようなものでお腹の子を堕ろそうとする痛々しいシーンがあります。この具体的な行為が、まずタイトルと直結しているのは間違いないでしょう。しかし、この「針」は、それ以上に多層的なメタファーとして機能しているように感じられました。
それは、社会の偽善や見て見ぬふりをされてきた闇を鋭く「突き刺す」本作の批評性であり、登場人物たちが経験する耐え難い心の「針のような」痛みであり、そして観客の心に消えない傷跡を残すこの映画そのものの鋭利な力を象徴しているのかもしれません。事実、多くの批評で本作の衝撃を表現するために「突き刺すような(piercing)」といった言葉が用いられています。この「針」は、生存と破滅、ケア(縫製、乳母)と危害(堕胎、そしてダウマの行為)という、紙一重の境界線をも暗示しているようで、本作の重層的なテーマと深く結びついていると感じました。
作品の核心的テーマ:「混沌(カオス)」と「秩序(コスモス)」のせめぎ合い
この映画を観て、私の胸にズシンと響いたのは、「混沌(カオス)」と、それと向き合うかのような「秩序(コスモス)」という、とてつもなく大きく、そして私たちの根っこに関わるようなテーマでした。
まず、「秩序」を感じさせる要素としては、劇中で繰り返し登場する「音」が印象的でした。カロリーネが働く裁縫工場のミシンの規則正しい駆動音、アパートのどこかから聞こえてくる工事の槌音のような、無機質に反復される音。これらは、過酷ながらも回っていく日常、あるいは社会システムのようなものを象徴しているかのようです。また、決まった時間に裁縫工場から一斉に吐き出されるように出てくる女性たちの姿も、管理された秩序の一端を感じさせます。
カロリーネが工場長の屋敷を訪れるシーンでは、BGMが一切なく、部屋に響くのは時計の秒針の音だけ。これもまた、冷たく刻まれる時間の秩序を際立たせていました。さらに、ダウマが娘のエレナへのプレゼントとして用意するオルゴール。あらかじめ穴が開けられた鉄の板の通りに、プログラムされた規則的な音を奏でるオルゴールは、まさに秩序の象徴と言えるでしょう。そして、ダウマが表向きに経営する洋菓子店。そこに美しく、そして規則正しく陳列された(おそらく)色とりどりのお菓子の瓶もまた、一見すると甘美な秩序の世界を形作っています。
一方で、この映画全体を覆っているのは、強烈な「混沌(カオス)」の感覚です。特に、ダウマという存在そのものが、日常に潜む異物、社会の秩序を内側から破壊するイレギュラーなカオスとして描かれています。彼女の行う赤ん坊の「処理」は、生命倫理や社会規範を根底から揺るがす、まさに混沌の極みです。
そして、このカオスはダウマ一人が生み出したものではなく、第一次世界大戦という人間が引き起こした未曾有の混沌、それがもたらした貧困や絶望といった社会状況そのものが、彼女のような存在を許容し、必要とさえしてしまう土壌を作り上げたと映画は示唆します。そう考えると、冒頭の不気味な多重露光の顔の群れは、まさにこの「人間が生み出すカオス」を強烈に宣言しているように感じられました。一つひとつの顔は個人のものですが、それらが無秩序に重なり合うことで、個人の輪郭を失った、得体の知れない「カオスとしての人間群像」が立ち現れるのです。
時に、ルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬』を彷彿とさせるような、シュールレアリズム的な映像表現も、この混沌の感覚を増幅させます。理屈では説明できない、悪夢のようなイメージが、観る者の不安を掻き立てるのです。

主人公カロリーネの矛盾にみる「人間というカオス」
この「カオスと秩序」というテーマは、主人公カロリーネの人物像にも深く関わってきます。彼女の行動や感情には、多くの矛盾が見られます。
例えば、物語の序盤で自らお腹の子を堕ろそうとまでしたカロリーネが、後にダウマの犯行――多くの赤ん坊を殺害しているという事実――を知った時、激しい怒りと嫌悪感を露わにします。これは一見矛盾しているように見えますが、自分の絶望的な状況と、ダウマの行う組織的かつ冷酷な殺人とでは、その質が全く異なるという彼女なりの倫理観の表れなのかもしれません。
また、工場長との間にできた自分の実の子には、どこか距離を感じ、深い愛着を持てずにいたように見えたカロリーネが、血の繋がらないダウマの幼い娘エレナの乳母として母乳を与える行為を繰り返すうちに、エレナに対して強い母性のような感情を芽生えさせていく様子も、非常に印象的です。これもまた、論理や理屈では説明しきれない、人間性の複雑さ、あるいは「カオス」そのものを物語っているように感じました。
これらのカロリーネの中に渦巻く矛盾や葛藤は、決して彼女が特異な人間だからというわけではなく、むしろ人間誰しもが内に抱える可能性のある、割り切れない感情や衝動、つまり「人間という存在そのものが内包するカオス」を象徴しているのではないでしょうか。
息詰まるモノクロ映像と画角の魔術――『ROMA』や『イレイザーヘッド』との響き合い
本作の映像と音響表現は、まさに「カオスと秩序」というテーマを観る者の五感に直接訴えかける、恐ろしくも美しい芸術の高みに達していると感じました。
ミハウ・ディメクによるモノクロの撮影は、単にクラシック映画やフィルム・ノワールのような雰囲気を醸し出すためだけのものではありません。むしろ、色彩を奪い、無駄な情報を削ぎ落とすことで、物語世界の暗さ、登場人物たちの絶望、そして画面から滲み出る恐怖や不条理さを、より一層際立たせる効果を生んでいます。アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』が持つ、どこか詩的で艶やかなモノクロームの美しさとは対照的に、『ガール・ウィズ・ニードル』のモノクロは、ザラついた現実感と悪夢的な幻想の間を揺れ動くような、独特の質感を持っています。
そして特筆すべきは、1.44:1(あるいは3:2に近い)というスタンダードに近い画角の選択です。この意図的に狭められた画角がもたらす閉塞感、息苦しさが、観る者の恐怖心を巧みに煽ります。もしこの映画が現代主流のシネマスコープのような横長の画面で撮られていたら、ここまで息詰まるような不気味さや心理的な圧迫感は感じられなかったかもしれません。この画角が、カロリーネの逃げ場のない状況と、観客自身の息苦しさを巧みにシンクロさせるのです。
こうしたシュールレアリズム的な映像表現や、「望まれなかった赤ん坊」というモチーフ、そして観る者に生理的な不快感すら覚えさせる雰囲気は、個人的にデヴィッド・リンチ監督の初期の傑作『イレイザーヘッド』との強い共通性を感じさせました。『イレイザーヘッド』もまた、モノクロの悪夢的な映像と強烈な音響で、観る者のトラウマを容赦なく刺激する作品です。本作を観終えた後、私は「もしかしたら、もう一度『イレイザーヘッド』を観て、自分の中の何かと向き合うべきなのかもしれない…」と、少しばかり重い気持ちになったほどです。
監督の描く「歪んだおとぎ話」と、胸を抉る圧巻の演技
マグヌス・フォン・ホーン監督は、この陰惨な現実の物語を、単なる実録犯罪ドラマとしてではなく、「歪んだおとぎ話」あるいは「大人向けのダーク・フェアリーテール」として構築しています。ダグマー・オーヴァーバイというデンマーク史上に実在した連続乳児殺害事件に緩やかに基づきながらも、物語の視点をカロリーネという「母親」に置くことで、単なる猟奇事件の再現に終わらない、より普遍的で根源的な問いを私たちに投げかけます。
主演のビク・カーメン・ソンネ(カロリーネ役)とトリーヌ・ディルホム(ダウマ役)の演技は、まさに圧巻の一言。ソンネは、絶望の淵から這い上がろうとする意志の強さと、トラウマによって蝕まれていく脆さを見事に体現し、その表情は時にサイレント映画の女優のように雄弁です。一方のディルホムは、母性と冷酷さ、カリスマ性と底知れぬ悪意を同居させたダウマを、鳥肌が立つほど巧みに演じきっています。彼女たちの間に生まれる奇妙な信頼と、それが徐々に疑念と裏切りへと変貌していく様は、観る者の心を激しく揺さぶります。
観る者に問いかける結末の余韻――一条の光か、新たなカオスの始まりか
物語のラスト、カロリーネはダウマの娘エレナを里親として引き取る形で幕を閉じます。一見すると、これは絶望的な物語の中にかすかに差し込んだ一条の光、あるいはささやかな救いのあるハッピーエンドのようにも見えます。
しかし、カロリーネ自身が過去に犯そうとした行為(堕胎未遂)や、彼女の中に垣間見える不安定さ、そして人間という存在が本質的に内包する無秩序性(カオス)を考慮すると、彼女とエレナの未来が必ずしも光に満ちているとは断言できません。むしろ、「この後、二人はどうなってしまうのだろうか…」という、ある種の不安や不穏な余韻を残す結末だと私は感じました。この解釈の余地こそが、本作をより深く、忘れがたい作品にしている要因の一つでしょう。
まとめ:魂に深く刻まれる、「映画」でしか体験できない芸術
映画『ガール・ウィズ・ニードル』は、決して万人受けする作品ではありませんし、鑑賞にはある程度の覚悟が必要かもしれません。しかし、その重厚なテーマ、緻密に計算された映像と音響、そして俳優たちの魂を削るような演技は、観る者の心に深く、そして鋭く突き刺さります。
「カオスと秩序」「母性」「社会の闇」「人間の矛盾」といった普遍的なテーマを、息詰まるような緊張感と圧倒的な映像美で描ききった本作は、まさに「映画という芸術媒体でしか表現できない体験」を私たちに提供してくれます。鑑賞後、ずっしりとした問いかけと共に、深い余韻が長く尾を引くことでしょう。
もしあなたが、単なるエンターテインメントとしてだけでなく、心を揺さぶり、思考を促すような映画体験を求めているのなら、この「大人向けのダーク・フェアリーテール」に触れてみる価値は十二分にあると思います。ただし、鑑賞後はしばらく放心状態になるかもしれませんので、お時間と心に余裕のある時にご覧になることをお勧めします。 この強烈な体験を、ぜひ劇場で。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。この感想が、あなたが『ガール・ウィズ・ニードル』という作品と出会う、あるいは既にご覧になった方が作品をより深く味わうための一助となれば幸いです。もしよろしければ、皆さんのご感想もコメント欄などでお聞かせいただけると嬉しいです。
それでは、また次回の『ねことシネマ』でお会いしましょう。(ちなみに、同日公開だったデミ・ムーア主演の『サブスタンス』も鑑賞しましたが、こちらは『ガール・ウィズ・ニードル』の不気味なモノクロとは対照的に、ビビッドな色彩が画面を賑わす作品でした。ある意味、この2本を続けて観ると視覚的なバランスが取れるかもしれませんね。『サブスタンス』についても、近日中に感想をまとめたいと思っています。)
- IMDb『ガール・ウィズ・ニードル』
キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。