映画

【ネタバレあり】映画『メガロポリス』感想&考察。分かりにくい?40年の執念が生んだ問題作の正体を解説

映画『メガロポリス』基本データ

  • 原題: Megalopolis
  • 監督: フランシス・フォード・コッポラ
  • 主要キャスト:
    • アダム・ドライバー(カエサル・カタリナ)
    • ナタリー・エマニュエル(ジュリア・キケロ)
    • ジャンカルロ・エスポジート(フランクリン・キケロ)
    • シャイア・ラブーフ(クローディオ・プルケル)
    • ジョン・ヴォイト(ハミルトン・クラッスス3世) ほか
  • 公開年: 2024年(カンヌ国際映画祭)、2025年6月20日(日本)
  • 上映時間: 138分
  • 主な受賞・ノミネート歴: 第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品
  • 視聴方法(2025年6月現在):
    • 全国の劇場で公開中

この記事でわかること

  • 映画『メガロポリス』の基本的な情報と、率直でネタバレありの感想
  • 巨匠コッポラ監督が40年間、私財を投じてまでこの映画を完成させた執念の製作背景
  • 私が感じる「物語の進まなさ」や「映像の違和感」といった「難しさ」の正体
  • 古代ローマ史を寓話として取り入れた物語の構造や、賛否両論のビジュアルに隠された意図
  • なぜ本作が同じ監督の『地獄の黙示録』とも全く異なる次元の作品なのか

はじめに

こんにちは。『ねことシネマ』へようこそ。 先日、2025年6月20日(金)に日本公開されたフランシス・フォード・コッポラ監督の最新作『メガロポリス』を鑑賞してきました。

鑑賞後、頭の中が「?」でいっぱいになりました。正直、うまく言葉にできません。でも、とんでもないものを目撃してしまった…という興奮だけは、確かにここにあります。今回は、この消化しきれない困惑と、それでも心に突き刺さった“何か”の正体を、あなたと一緒に探してみたいと思います。

映画好きな方なら、本作が公開に至るまでの紆余曲折や、批評家からの厳しい評価をご存知かもしれません。それでも私が劇場へ向かったのは、これが巨匠コッポラの40年来の夢であり、彼自身がワイナリーの一部を売却してまで完成させた、凄まじい執念の結晶だからです。

この背景を知ってしまったら、一映画ファンとして「劇場で観ない」という選択肢はありませんでした。この記事が、これから観る方の心の準備や、すでに観た方の混乱を整理する一助となれば幸いです。

(C)2024 CAESAR FILM LLCALL RIGHTS RESERVED

あらすじ

※以下、物語の核心に触れるネタバレを含む可能性がありますのでご注意ください。

21世紀、アメリカの大都市ニュー・ローマ。この街は富裕層と貧困層の格差が深刻化し、退廃の空気に覆われていました。

理想的な未来都市「メガロポリス」を建設する壮大な計画を持つ天才建築家、カエサル・カティリナ(アダム・ドライバー)。しかし、彼の革新的なビジョンは、旧来の利権に固執する市長フランクリン・キケロ(ジャンカルロ・エスポジート)と真っ向から対立します。

さらに、キケロ一族の後釜を虎視眈々と狙う策略家、クローディオ・プルケル(シャイア・ラブーフ)の陰謀にも巻き込まれ、カエサルは絶体絶命の危機に。そんな中、彼は敵対する市長の娘、ジュリア・キケロ(ナタリー・エマニュエル)と運命的な恋に落ちてしまいます。

果たしてカエサルは、自らの理想郷を築き上げることができるのでしょうか。

感想と考察:混沌の果てに見えたもの

ここからは、私が感じた率直な感想と、鑑賞後に色々と調べてみて思い至った考察を交えながら、本作の魅力(あるいは難しさ)に迫っていきたいと思います。

率直な感想:「語るのが難しい」けれど「観てよかった」

結論から言いますね。

私は、この映画を「観てよかった」です。でも、手放しで「最高!」と叫べる傑作かというと、話は別。ここ数年でダントツに語るのが難しい映画で、観終わった直後は「…で、結局何だったんだ?」と呆然としてしまいました。

それと同時に、この作品は数十年後にカルト的な人気を博していても全く不思議ではない、そんな凄みも感じたのです。もし本当にそうなったなら、「公開当時に劇場で観た」という事実が、未来の自分にとってちょっとした自慢のエピソードになるかもしれません。

たとえそうでなくても、これほどまでに「語るのが難しい」という体験は非常に珍しく、その意味で「観てよかった」と心から思っています。

この映画の「難しさ」の正体とは?

では、何がこの映画をそれほどまでに難しく感じさせたのでしょうか。私が鑑賞中に抱いた疑問は、大きく分けて3つありました。

  1. 物語が進んでいるようで、進んでいない感覚
    物語の骨子は「天才建築家 vs 保守的な市長」というシンプルなもの。スタンリー・キューブリック作品のように、ストーリー自体が難解というわけではありません。しかし、個々のシーンで何が起きているかは理解できるのに、「このシーンは物語全体にとってどういう意味があるの?」「なぜ今これを見せられているの?」という疑問が絶えず付きまといました。138分という時間をかけても、物語が本質的に前進したという実感が得られなかったのです。
  2. 豪華絢爛なのに、なぜか漂う「午後のロードショー感」
    舞台となる未来都市ニュー・ローマのビジュアルは、MCU映画のアスガルドを彷彿とさせるゴージャスさ。なのに、なぜでしょう。豪華なはずのセットや衣装の端々に、ふとチープな香りがするんです。そう、例えるならあの「午後のロードショー」で観るB級SF映画のような独特の空気感。この不思議な違和感、共感してくれる方いませんか…?
  3. 最後まで謎だった「時を止める能力」
    アダム・ドライバー演じる主人公カエサルは、「時を止める」という特殊能力を持っています。しかし、正直に告白すると、私は上映中に少しうとうとしてしまいました…。そのため重要な描写を見逃した可能性もありますが、結局この能力が物語の核心にどう関わってきたのかを最後まで理解できませんでした。

これらの「分からなさ」こそが、多くの観客を困惑させる原因なのではないかと思います。

(C)2024 CAESAR FILM LLCALL RIGHTS RESERVED

40年の執念が生んだ、狂気と純粋の映画

この映画の背景を少し調べてみると、その混沌の理由が見えてくるような気がします。

本作の構想は、コッポラ監督が1980年代に古代ローマ史に触発されたことに端を発するそうです。一度は2001年に製作準備が進むも、アメリカ同時多発テロ事件で頓挫。最終的に、彼は自らのワイナリーの一部を売却し、1億2000万ドル(約186億円)もの私財を投じて、いわば「自主制作映画」として本作を完成させました。

スタジオの制約や商業的な成功への要求を一切排除し、完全な創造的自由を手にした結果、良くも悪くも、一人の人間のビジョンが何にも濾過されずにスクリーンに焼き付けられることになったのです。この「コッポラの暴走」とも言える製作スタイルこそが、本作の純粋さの源泉であり、同時に私たちが感じる「混沌」の最大の要因なのかもしれません。

歴史の寓話と、意図された「映像の違和感」

物語が進んでいないように感じた点や、映像の違和感にも、調べてみると興味深い解釈があるようです。

本作は、紀元前ローマで起きた「カティリナの陰謀」という歴史的事件を、現代アメリカに置き換えた壮大な寓話になっています。歴史上では国家転覆を企てた悪役とされるカティリナを「誤解された天才芸術家」として、逆に共和国の救世主とされたキケロを「腐敗した既得権益の象徴」として再解釈しているのです。この歴史の再定義こそが、コッポラ監督が本当に描きたかったテーマの一つなのでしょう。

そして、豪華さと安っぽさが同居する不思議な映像。この違和感、実は技術的な失敗ではなく「意図的な演出」だという見方があります。つまり、リアルな世界を目指すのではなく、あえて舞台演劇のような大げささ(これを「ケレン味」と言います)や非現実感を出すことで、この物語が「現代に蘇ったローマの寓話」であることを強調している、というわけです。この解釈を知った時、私が感じたあの「午後のロードショー感」の正体が、スッと腑に落ちました。

「時を止める能力」に隠された、映画の枠を超える野心

カエサルの「時を止める能力」は、コッポラ監督自身の「芸術家は時間を操り、未来についての対話を促す力を持つ」という信念の表れだと言われています。

カンヌのプレミア上映では、上映中に本物の役者が客席からスクリーンに語りかける「ライブシネマ」という前代未聞の演出があったそうです。この能力は、そうした映画の枠を超える実験的な試みの象徴だったのかもしれません。私たちの感じた「分からなさ」は、コッポラ監督からの挑戦状であり、その壮大な野心の一端だったと考えると、少し見方が変わってきます。

『地獄の黙示録』とも違う、本作ならではの「混沌」

「カオスな映画」と聞いて、同じコッポラ監督の『地獄の黙示録』を思い浮かべる方もいるでしょう。しかし、両者の「混沌」は性質が全く異なります。

『地獄の黙示録』は、ベトナム戦争という現実にあった「歴史の混沌」を芸術へと昇華させた、恐ろしくも完成された作品です。一方で『メガロポリス』は、コッポラ監督自身の「頭の中にある混沌」を、そのままスクリーンにぶつけてきたような印象を受けます。それは、まるで『新世紀エヴァンゲリオン』の難解さに初めて触れた時のような、「一体何を見せられているんだ…?」という感覚に近いかもしれません。

本作の賛否両論は、物語の好き嫌い以前に、観る者が監督のビジョンを共有できるかどうかにかかっているのでしょう。まさに、作り手がやりたいことを全て詰め込んだ、究極の作家主義映画と言えます。

まとめ:今、劇場で観るべき“体験”

ここまで色々と語ってきましたが、正直なところ、本作について何かを語り尽くせた気は全くしていません。それほど、この映画を深く味わうには、相当な映画リテラシーが求められるのだと思います。

ですが、後悔はしていません。「世の中にはこんな映画もあるのか」という、ある種の衝撃的な体験として、非常に価値があったと感じています。これだけ世間の評価が割れていると、逆に興味が湧いてくる方もいるのではないでしょうか。

もし少しでも気になったなら、ぜひ劇場へ足を運んでみてください。良い悪い、好き嫌いを超えて、あなたの心に何か巨大な爪痕を残すことだけは間違いありません。そして数年後、「私はあの『メガロポリス』を公開当時に映画館で観たんだ」と語れる日が来るかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 あなたはこの奇妙で壮大な映画をどう感じましたか?ぜひコメントで教えていただけると嬉しいです。

  • IMDb『メガロポリス』
    キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。
  • この記事を書いた人

HAL8000

映画と猫をこよなく愛するブロガー。 多いときは年間300本以上の映画を観ていて、ジャンル問わず洋画・邦画・アニメ・ドキュメンタリーまで幅広く楽しんでいます。

専門的な批評はできませんが、ゆるっとした感想を気ままに書くスタンス。 ブリティッシュショートヘア×ミヌエットの愛猫ハルも自慢したいポイントで、レビューの合間に猫写真や日常もたまに紹介しています。

当ブログ「ねことシネマ」で、映画好き&猫好きの皆さんに楽しんでいただけると嬉しいです。
Filmarksはこちら → Filmarks

ぜひお気軽にコメントやリクエストをどうぞ!

-映画