映画『異端者の家』基本データ
- タイトル:『異端者の家』(原題:Heretic)
- 公開年:2024年(米国)、2025(日本)
- 監督・脚本:スコット・ベック&ブライアン・ウッズ(『クワイエット・プレイス』脚本チーム)
- 上映時間:111分
- 主な出演:
- ヒュー・グラント(リード)
- ソフィー・サッチャー(バーンズ)
- クロエ・イースト(パクストン役) ほか
- 評価・映画賞など:
- 海外有名批評サイト(Rotten Tomatoes)で批評家スコア91%、観客スコア76%
- ヒュー・グラントが本作でゴールデングローブ賞主演男優賞にノミネート
この記事でわかること
- 密室劇としての『異端者の家』のあらすじと緊迫感
- “人間の狂気”がもたらす静かな恐怖と、ヒュー・グラントの怪演
- 宗教・信仰・哲学的テーマがどのように作品を深く彩っているか
- 映像・演出・音響を通じて生まれるリアリティと不気味さ
- 観賞後に余韻が残る理由──あなた自身の「信じるもの」とは何か
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。
今回は2025年4月25日に日本公開された、注目の心理スリラー映画『異端者の家』(原題:Heretic)をご紹介します。海外批評サイトで批評家スコア91%という高評価を獲得し、なおかつヒュー・グラントが主演男優賞にノミネートされた話題作。ひとくちに「ホラー」と言っても、いわゆるオカルト色が強いわけではありません。むしろ、登場するのは“人間”というごく身近な存在です。
ただし、その人間が“信仰”をめぐる歪んだ思想をむき出しにしていくとき――私たちは果たして、どれほどの恐怖を抱くものなのでしょうか。『異端者の家』は、閉ざされた一軒家を舞台に、静かに進行する狂気と信仰の衝突を描き出します。見終わった後、「そもそも、自分は何を信じているんだろう?」と考えずにはいられない――そんな“深読み”を促す作品でもあるのです。
あらすじ
森の中にひっそりと建つ一軒家。若いモルモン教宣教師のバーンズとパクストンは布教のため、そこを訪れます。出迎えてくれたのは物腰の柔らかい中年男性リード(ヒュー・グラント)。彼は「妻が奥でパイを焼いているから、ゆっくり話しませんか?」と2人を家に招き入れます。
一見、静かな田舎の家と優しそうな家主。ところが、リードは「神なんて存在するわけがない」「すべての宗教は模造だ」と涼しい顔で語り始め、2人の信仰を否定する挑発的な言葉を次々と放ちます。雲行きが怪しいと感じたバーンズとパクストンが帰ろうとするも、すでに玄関は施錠され、携帯の電波も入らない状態。しかもリードは「この家から出たいなら、2つの扉のどちらかを選びなさい。神を信じるならこちら、そうでないならあちら……」と不気味な指示を下すのです。
何が起きているのか――。そもそもリードは何を信じ、何を目的としているのか。すべては密室の中でじわじわと明かされていきます。

作品の魅力
セリフで追いつめる“静かな狂気”
多くのホラー映画では、超常現象や怪物といった“目に見える恐怖”が主軸になります。しかし、『異端者の家』は人間の思想が恐怖の源。
- リードは長々と独自の宗教観や哲学を語り、「神などいない」と断言しながらも、どこか「自分こそが真理を握っている」という雰囲気を漂わせます。
- その言葉選びの巧みさ、落ち着いた声色、紳士然とした佇まいに、観客すらも「もしかするとリードの主張に一理あるのでは……」と混乱してしまう瞬間がある。
- 信仰を持つ宣教師たちからすれば、自分たちが大切にしている“真理”を踏みにじられるわけで、その屈辱や戸惑いがひしひしと伝わる。
一般的なジャンプスケアではなく、言葉による包囲網こそが本作ならではの恐怖。逃げ道を塞がれたなかで、延々と続く「説教」が、気づかぬうちに私たちのメンタルを削っていきます。
ヒュー・グラントの怪演が引き出す重厚感
リードロマンチック・コメディのイメージが強いヒュー・グラント。しかし本作では、その愛らしさを逆手に取った“狂気”が見事にハマっています。
- 優しげな笑顔と穏やかな口調は、リードという男が抱える異常性をより際立たせるトリガー。
- 親切そうに見えるが、よくよく見ると“言葉”で相手を論破し支配しようとする、底知れぬ怖さがにじむ。
- 暴力シーンよりもはるかに不気味なのは、長回しのカメラの中で彼の長ゼリフが続くとき。まるで“洗脳”されるかのような恐怖感を覚えます。
「こんなヒュー・グラントは見たことがない!」と思う方も多いかもしれません。批評家スコアだけでなく、様々な映画賞でのノミネートもうなずける“怪演”です。
宗教・信仰・哲学…何が“正しい”のか?
この作品の真髄は、ホラーの枠を超えて、人間が信じるものや世界観をあぶり出す点にあると感じます。
- リードが断言する「神などいない」「すべての宗教はパクリ合い」という主張は、一面的には誤りかもしれません。が、だからこそ「本当にそう言い切れるのか?」と観客を思考に誘い込みます。
- 信仰心を持って行動するバーンズとパクストンも、狭い密室で恐怖に直面するなかで、自分たちの信念が崩れそうになる瞬間がある。
- 「誰が何を信じるか」は人それぞれであり、そこに絶対の正解などないからこそ、“異端”や“正統”といった概念が浮かんでは消えていく。
観終わった後、「私が何かを信じるとき、その根拠は一体どこにあるのか?」という問いが自然と湧いてきます。それこそが本作の“哲学的な深み”と言えるでしょう。

リアリティを高める撮影・演出と音の使い方
舞台はほぼ一軒家の内部。撮影監督チョン・ジョンフンの手腕が光るのは、限られた空間でも圧倒的な密度を生み出している点です。
- 暗い廊下と明るい台所のコントラストが、いっそう空間に歪んだ印象を与える。
- シスターたちの白いシャツが徐々に汚れていくのは、外の世界と切り離された時間の流れを象徴しているかのよう。
- 音響面でも、リードの低い声とシスターたちのか細い息づかいを強調し、BGMを抑えてリアリティを追求している。
驚かせるためのド派手な演出はあまりありません。けれど、“耳を澄ましてしまう”ほどの静寂や、時計の秒針、雨音といった生活音が逆に心理的な恐怖を増幅しているのです。
思考が広がる“二段仕込み”の恐怖
『異端者の家』がユニークなのは、“映画を観ている最中”の恐怖と、“観終わった後”の恐怖が質的に異なる点です。
- 最中は「密室に閉じ込められた人々がどう切り抜けるか」という直接的なサスペンスにハラハラさせられる。
- ラストシーンを迎えたあと、「果たして自分が信じていることは揺るがないのか?」「リードは本当に間違っているのか?」という問いに頭が占領される。
- 単なる娯楽ホラーと違って、時間が経つほどじわじわと思考が広がる“二段仕込み”の恐怖がある。
ある意味、この作品は“ホラー”と“哲学ドラマ”の融合とも言えます。即物的な恐怖だけでなく、自身の世界観を揺さぶられる経験が、深い余韻へとつながっていくのです。
まとめ
ジャンプスケアや過激なスプラッタ表現を多用せず、“言葉”と“思想”で観客を追いつめる――このアプローチこそ、『異端者の家』が“新感覚スリラー”と呼ばれるゆえんでしょう。
- ヒュー・グラントの静かな怪演によって、映画の空気がじわじわと変質していく感覚は鳥肌もの。
- 密室ならではの緊迫感と、徹底したカメラワーク・音響設計が“いまこの場で起きているかのような”リアリティを生む。
- そして何より、宗教や信仰、絶対的な正しさをめぐる問いが、鑑賞後も頭の中から離れない。
「ホラーはちょっと苦手だけど、深みのあるストーリーなら観てみたい」という方には、ぜひおすすめしたい1本です。観終わったあと、誰かと「信じるってなんだろう?」と語り合いたくなる余韻こそ、本作の醍醐味だと思います。
- IMDb『異端者の家』
キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。