映画『We Live in Time この時を生きて』基本データ
- 原題: We Live in Time
- 監督: ジョン・クローリー
- 脚本: ニック・ペイン
- 出演:
- フローレンス・ピュー(アルムート・ブリュール役)
- アンドリュー・ガーフィールド(トビアス・デュランド役) ほか
- 公開年: 2025年(日本公開:6月6日)
- 上映時間: 108分
- 視聴方法(2025年6月現在):
- 全国劇場で公開中
この記事でわかること
- 話題の映画『We Live in Time』が、単なる「お涙頂戴」とは一線を画す理由
- 鑑賞中にではなく、エンドロールで涙が溢れ出した個人的な体験談
- 物語の核心である「非線形な時間軸」が持つ、深く感動的な意味についての私的な考察
- 主演フローレンス・ピューとアンドリュー・ガーフィールドの、魂が震えるような名演の魅力
- 日本の「泣ける映画」に食傷気味な方にこそ、本作をおすすめしたい理由
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。 数ある映画ブログの中から、この記事を見つけてくださって本当に嬉しいです。
さて、今回ご紹介するのは、ジョン・クローリー監督が手がけた珠玉のラブストーリー、『We Live in Time この時を生きて』。公開前から海外では「とにかく泣ける」とSNSで話題になり、自分の泣き顔を投稿するのが流行するほどの評判を呼んでいました。
実は私、この映画を鑑賞したのは、週末に目一杯遊んで疲労困憊の、日曜の夜でした。金曜日には別の映画を観て、土曜日は丸一日ディズニーシーへ。正直なところ、上映中に眠ってしまわないか心配になるほどのコンディションだったのです。しかし、そんな心配は全くの杞憂に終わりました。眠気を感じる暇など微塵もなく、私は物語の最後の瞬間まで、スクリーンに釘付けになっていました。
「余命もの」と聞くと、少し身構えてしまう方もいらっしゃるかもしれません。しかし、本作は観客に涙を強要するような、わざとらしい演出とは無縁の作品です。むしろ、鑑賞後、じわじわと心に広がっていく静かで深い感動が、この映画の本当の魅力だと感じています。
この記事では、なぜ本作が「ただの泣ける映画」ではないのか、その理由を私の体験と共に深く掘り下げていきます。
あらすじ
※物語の構造上、核心に触れる部分がありますのでご注意ください。
新進気鋭のシェフとして、エネルギッシュに人生を突き進むアルムート(フローレンス・ピュー)。そして、離婚したばかりで、どこか人生に慎重になっている男性トビアス(アンドリュー・ガーフィールド)。
まるで正反対の二人が運命的に(そして、ちょっとありえない形で)出会い、恋に落ちるのに、そう時間はかかりませんでした。互いの違いを乗り越え、やがて家族となり、かけがえのない絆を深めていく二人。その日々は、幸福そのものに見えました。
しかし、そんなある日、アルムートは自身の余命が残りわずかであることを知ります。そして彼女は、愛するトビアスにある決意を告げるのでした……。

作品の魅力
ここからは、私が本作を鑑賞して特に心を揺さぶられたポイントや、個人的な解釈について、より詳しくお話ししていきたいと思います。
涙を強要しない、鑑賞後に訪れる静かな感動
海外での「とにかく泣ける」という前評判。正直なところ、鑑賞前は「日本の映画でよくある、あのお涙頂戴の演出だったらどうしよう…」と、少しだけ警戒していました。しかし、驚いたことに、私は上映時間である108分の間、一度も泣くことはありませんでした。
「あれ、評判と違うな?」そう思ったのも束の間。本当の感動は、物語が終わり、エンドロールが静かに流れ始めた瞬間に訪れたのです。
真っ暗なスクリーンにスタッフの名前が映し出される中、私の頭の中では、アルムートとトビアスが過ごした何気ない日々の断片が、まるで走馬灯のように次々とフラッシュバックし始めました。二人が初めて出会った気まずい瞬間、笑い合った夜、些細なことで口論した日、そして、ただ隣にいるだけで幸せだった食卓の風景……。
そうした記憶のモザイクが繋がった時、それまで堪えていた感情の堰が切れたように、涙がとめどなく溢れ出てきたのです。それは、悲しいからという単純な涙ではありませんでした。二人が確かに「生きた」時間そのものの愛おしさが、胸いっぱいに広がった末の、温かい涙でした。
観客に「ここで泣きなさい」と指示するのではなく、鑑賞者自身の心の中で、二人の人生を静かに反芻させる時間を与えてくれる。この、どこまでも誠実で、観る者の感情に寄り添うような作りこそが、本作の第一の魅力だと感じています。

「その人らしさ」を紡ぐ、バラバラな時間軸の本当の意味
本作の最も大きな特徴は、時系列がバラバラな「非線形」の構成で物語が描かれる点です。例えば、二人が幸せの絶頂にいるシーンの直後に、アルムートが余命宣告を受けるシーンが挿入されたりします。
鑑賞し始めた当初は、「これはクリストファー・ノーラン監督作品のように、複雑さで観客を試すような、少し意地悪な演出なのかな?」とも思いました。しかし、物語が進むにつれて、その考えは全くの見当違いだったことに気づかされます。
この構成は、観る人を選ぶものかもしれません。事実、このユニークな時間軸の扱いについては、評価が分かれることもあるようです。しかし私には、物語の最後の何気ない日常シーンで、その本当の意味がすとんと腑に落ち、これこそがこの映画の核心なのだと深く納得させられました。
このバラバラな時間軸が描いているのは、「一人の人間の中に、いかに多くの時間が同時に存在しているか」ということではないでしょうか。
今の自分を形作っているのは、嬉しい記憶、悲しい記憶、忘れたいのに忘れられない記憶、様々な過去の経験の積み重ねです。そして、特に心に深く刻まれた出来事というのは、たとえ何十年前に起きたことであっても、まるで昨日のことのようにはっきりと感じられることがあります。
つまり、私たちの内面では、様々な時間軸の出来事が、古いも新しいもなく同時に存在し、その混沌とした記憶の集合体こそが、唯一無二の「その人らしさ」を構成している。まさにこの映画は、人間の記憶とアイデンティティの本質そのものを、「非線形な時間軸」という手法で見事に表現しているのです。
この構成は、私たち観客に解釈を委ね、物語の結末を知っているからこそ、二人の何気ない一瞬一瞬が、より一層愛おしく、輝いて見えるように仕向けてくれます。ただの「余命もの」のラブストーリーに終わらない、批評家からの評価の高さも、この野心的かつ成功した試みにあるのだと確信しました。

印象を塗り替える、フローレンス・ピューとアンドリュー・ガーフィールドの魂の演技
この複雑で繊細な物語を支えているのは、間違いなく主演二人の魂を削るような名演です。
アルムートを演じたフローレンス・ピューの演技は、もはや見事という言葉しか見つかりません。生命力に溢れ、自分の足で人生を切り拓いていく強さと、病という現実を前にした時の脆さ。その両面を、彼女は全身全霊で表現していました。本作を観て、私はさらに彼女のファンになりました。
そして、トビアスを演じたアンドリュー・ガーフィールド。正直に告白します。私はこれまで彼に対して「スパイダーマンだけど、少しパッとしない…」という大変失礼な印象を持っていました。本作を観る前の自分に言いたいです。「君は何もわかっていない」と。本作での彼の演技は、そんな私の浅はかな見方を木っ端微塵に打ち砕いてくれました。
愛する人を支える優しさ、どうしようもない現実に直面した時の痛み、そして静かな絶望。彼が演じるトビアスが持つ、あの独特の“彼らしさ”がなければ、この映画は成立しなかったでしょう。主演二人の相性の良さは多くの方が指摘するところですが、まさしくその通りで、この二人の間で交わされる本物の感情のやり取りがなければ、この物語はここまで心に響かなかったはずです。彼らが作り出す空気感そのものが、この映画の紛れもない魅力の一つです。
まとめ
映画『We Live in Time この時を生きて』は、愛と喪失という普遍的なテーマを扱いながらも、その語り口は驚くほど新しく、誠実さに満ちています。
鑑賞後に静かに込み上げてくる感動、人生と記憶の本質を問いかける物語構造、そして主演二人の忘れがたい名演。そのすべてが一体となって、私たちの心に深く、長く残る余韻を刻みつけます。
もしあなたが、
- 日本の映画にありがちな「泣かせよう」とする演出に、少し飽き飽きしている方
- 一風変わった、でも心にまっすぐ響く恋愛映画を探している方
そんな方には、ぜひご覧いただきたい作品です。鑑賞後、きっとあなた自身の人生の中にある、かけがえのない時間の断片に、思いを馳せたくなるはずです。
週末は、この映画でゆっくりとした時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。きっと新たな発見があるはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。この静かで美しい物語が、あなたの心にも届くことを願っています。
ところで、あなたはこの映画の「時間軸」の描き方をどう感じましたか?もしよろしければ、コメントであなたの感想も聞かせてくださいね。
- IMDb『We Live in Time この時を生きて』
キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。