映画『サスカッチ・サンセット』基本データ
- 原題: Sasquatch Sunset
- 公開年: 2025年(日本)、2024年(米国など)
- 監督: デヴィッド・ゼルナー、ネイサン・ゼルナー
- 脚本: デヴィッド・ゼルナー
- 製作総指揮: アリ・アスター ほか
- 主要キャスト:
- ライリー・キーオ(メス・サスカッチ)
- ジェシー・アイゼンバーグ(オス・サスカッチ)
- クリストフ・ゼイジャック=デネク(ジュニア・サスカッチ)
- ネイサン・ゼルナー(アルファ・オス・サスカッチ) ほか
- 上映時間: 88分
- 視聴方法:
- 全国劇場で公開中
この記事でわかること
- 映画『サスカッチ・サンセット』のあらすじと基本情報(ネタバレなし)
- 一切セリフがないのに、なぜか感情が伝わる不思議な魅力
- コメディと衝撃が共存する、本作ならではの独特なトーン
- 製作総指揮アリ・アスター作品が好きな人が本作に期待できるポイント
- 鑑賞後に「語りたくなる」けれど「言葉にしづらい」理由の一端
はじめに
いつも『ねことシネマ』にお越しいただき、ありがとうございます。映画って、時々「え、何これ!?」って言葉を失うほどの衝撃作に出会えませんか? 今回レビューする『サスカッチ・サンセット』は、私にとってまさにそんな一本。
2025年5月23日に日本公開された本作、映画館で流れる予告編の、あの何とも言えないオーラに釘付けになったのが最初の出会いでした。「一体どんな映画なんだ…?」と、ストーリーが全く読めないミステリアスさに、気づけばすっかり心を掴まれていたんです。この『サスカッチ・サンセット』の感想、あなたにもきっと刺さるはず!本記事では、セリフが一切ないこの異色作がなぜこれほどまでに心を揺さぶるのか、その不思議な魅力や見どころを、ネタバレなしでじっくり語ります。

実は、映画批評サイト「Rotten Tomatoes」のスコアが面白いんです。批評家からは72%と高評価なのに、一般観客のスコアは33%と低め(2025年5月時点)。これ、私にとっては「むしろ期待できる!」サイン。というのも、過去の経験上、この手の「批評家ウケは良いけど観客評価は賛否両論」な映画って、不思議と自分には深く刺さることが多いんですよね。だからこそ、『サスカッチ・サンセット』への期待は高まるばかりでした。
さらに、製作総指揮には『ヘレディタリー/継承』や『ミッドサマー』で知られるアリ・アスター監督が名を連ねています。彼が関わった近年の『ドリーム・シナリオ』や、監督作『ボーはおそれている』も、一筋縄ではいかない深みのある作品ばかり。これはもう、期待せずにはいられませんよね。上映時間が88分と比較的コンパクトで、気軽に鑑賞に臨める点も魅力でした。
鑑賞直後、あまりの衝撃と湧き上がる感情の多さに、X(旧Twitter)にも「多くのことを感じ取ったものの、言語化が非常に難しい」と投稿したのですが、鑑賞から数日経った今でも、その感覚は変わりません。 ですが、断言できるのは、個人的には決して悪い映画ではなく、むしろ良作であり、ある種の人にとっては傑作になり得る作品だと感じたことです。
あらすじ
物語の舞台は、北アメリカの霧深い森の奥深く。そこに暮らすのは、4頭の毛むくじゃらの生き物、サスカッチの家族です。 彼らは日々、寝床を作り、食料を探し、時には仲間と交尾をし…といった、生命を維持するための営みを繰り返しながら、どこかにいるはずの仲間を信じて旅を続けます。
しかし、彼らを取り巻く世界は絶えず変化しており、時には過酷な現実が牙を剥きます。サスカッチたちは、生き残りをかけて、その変化に立ち向かわなければなりません。
――これ以上の事前情報は、もしかしたら不要かもしれません。 あらすじだけ聞くと、どこかネイチャードキュメンタリーのような、あるいは心温まるヒーリングムービーのような印象を受けるかもしれませんが、もしそうしたイメージで臨むと、良い意味で(あるいは悪い意味で)裏切られる可能性があります。
※以下、作品の核心的なネタバレには触れませんが、一部の展開や演出について言及する箇所があります。まっさらな状態で鑑賞したい方はご注意ください。
作品の魅力
この映画の魅力は、一言では到底語り尽くせません。ここでは、特に私が強く心惹かれたポイントをいくつかご紹介します。
セリフなき世界の没入感と『2001年宇宙の旅』の残響
『サスカッチ・サンセット』を語る上で絶対に外せないのが、衝撃的なまでに「セリフが一切ない」という点。スクリーンから響くのは、サスカッチたちの唸り声、木々の葉擦れ、風の音、そして胸を打つBGMだけ。だから観客は、彼らの動き、表情、そして置かれた状況から、必死に物語を、感情を読み解こうとするんです。完璧には分からなくていい。むしろ、その「これってどういう意味…?」というモヤモヤや想像の余地こそが、私たち一人ひとりの解釈を豊かにし、この映画体験を唯一無二のものにしているんだと思います。
私自身、映画はまず「映像芸術」であり、その原点はサイレント映画にあると考えているため、セリフに頼らず映像で物語を語ろうとする手法は基本的に大好物です。本作の潔いまでのセリフの排除は、非常に好印象でした。
鑑賞中、ふと既視感を覚えたのは、スタンリー・キューブリック監督の傑作『2001年宇宙の旅』の序盤、「人類の夜明け」のシークエンスです。あの、猿人たちが謎の石板「モノリス」に触れ、道具を使い始めるまでの、言葉を介さない原始的なコミュニケーションと発見のドラマ。本作は、まるであの濃密な体験を88分間かけてじっくりと味わっているような感覚にさせてくれました。 後で知ったのですが、監督のゼルナー兄弟も、この「人類の夜明け」から大きな影響を受けたと公言しているそうです。もしあなたが『2001年宇宙の旅』の冒頭シーンに引き込まれた経験があるなら、本作も楽しめる可能性が高いかもしれません。
では、本作はなぜあえてセリフを完全に排するという手法を選んだのでしょうか。例えば、映画史に輝く『2001年宇宙の旅』は、その革新的なSFX技術といった技術的な成果で観客を魅了した側面も強かったと思います。それとは異なる方向性で、現代に作られた本作がセリフに頼らない表現を選んだことには、また別の意図があるように感じました。個人的には、
- 観客に「サスカッチという未知の生物が、本当にどこかに存在しているのかもしれない」という生々しいリアリティを感じさせるため。
- 説明的な言葉を一切省くことで、観客をサスカッチの生活や原始的な営みに、より深く、直感的に没入させるため。 この2点が大きかったのではないかと推察しています。
実際に鑑賞中は、彼らの文明はどの程度なのか、どんな知能を持っているのか、仲間同士でどうやってコミュニケーションを取っているのか…など、自然と頭の中で考えを巡らせていました。セリフのなさが、観客に推理させ、物語の世界へ深く潜り込ませるための強力な装置として機能しているのです。これは、ある種の「考察映画」としての楽しみ方も提供してくれていると言えるでしょう。

笑いと衝撃が共存する、唯一無二のコメディ?
『2001年宇宙の旅』との大きな違いを挙げるとすれば、本作は驚くほどコメディ要素が強いという点です。 例えば、サスカッチが興奮したり緊張したりすると、思わず脱糞してしまうという描写。これはもう、視覚的に非常に分かりやすい(ある意味、小学生が喜びそうな)ギャグで、他にも思わずクスッとしてしまうようなユーモラスなシーンが随所に散りばめられています。 こうした表現を「下品だ」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私個人としては、どこか憎めない彼らの生態の一部として、ニヤニヤしながら楽しむことができました。
日本の映画館の雰囲気は、時に笑いを堪えなければならないような独特の緊張感がありますが、本作はそうした心配を吹き飛ばすくらい、分かりやすいおかしみに満ちています。「静かに芸術を鑑賞する」というよりは、もっと肩の力を抜いて、彼らの珍妙な日常を覗き見るような感覚で楽しめるのではないでしょうか。この点は、本作の敷居を良い意味で下げている要素かもしれません。
しかし、本作は単なるおふざけコメディでは決してありません。 基本的には、サスカッチの家族の日常をドキュメンタリーのように(固定カメラを多用し、静かに寄り添うように)追っていくのですが、そこには製作総指揮アリ・アスターの名前に期待するような、自然界の厳しさや生命の儚さを感じさせる、ぞっとするようなショッキングなシーンも巧みに挿入されています。
物語は春夏秋冬の4つのパートで構成されているのですが、特に「春」のパートの終盤に訪れるある出来事は、私にとって最初の衝撃でした。それまでは、どこか掴みどころがなく、「一体何を見せられているのだろう?」と少し戸惑いながらスクリーンを眺めていたのですが、そのシーンを境に、「これはただのほのぼのムービーではないぞ」と認識を改め、一気に作品世界に引き込まれたのです。 その後も、笑えるシーンとハッとさせられるシリアスなシーン、そして観る人によって解釈が大きく分かれるであろう不可解なシーンが矢継ぎ早に展開され、それらすべてをセリフなしで表現しきっていることに、ただただ感銘を受けました。
この下品とも言えるユーモアと、時に目を背けたくなるような生々しい描写、そしてふとした瞬間に見せる美しさや哀愁が同居する独特のバランス感覚は、まさにゼルナー兄弟監督の真骨頂と言えるのかもしれません。一部の批評でも指摘されているように、本作は突拍子もないユーモラスな場面と、登場人物たちの必死な姿に胸が締め付けられるような哀愁漂う場面が見事に表裏一体となっています。まさにそうした言葉がしっくりくる、奇妙で忘れがたい鑑賞体験でした。

スクリーンに映る「人間」という鏡、揺さぶられる感情
予告編でも印象的に使われている「ラジカセ」という小道具が象徴するように、この物語には、サスカッチたちの生きる原始的な世界とは相容れない、現代の「人間」の存在が影を落とします。 映画の焦点はあくまでサスカッチたちに当てられていますが、彼らが人間の痕跡(道や伐採された木々、キャンプ用品など)に遭遇するたび、観客である私たちは、否応なく「人間」という存在を意識させられます。
ここで重要になるのが、私たち観客が、スクリーンの中の「人間」という存在に対して、一体何を思うかという点です。そして同時に、サスカッチたちにとって、私たち人間は一体どのように映っているのか、という視点も浮かび上がってきます。
映画の冒頭から、私たちは言葉を持たないサスカッチたちの視点に寄り添い、彼らの喜怒哀楽(のように見えるもの)を追体験していきます。そのため、彼らのテリトリーに土足で踏み込んでくるかのような「人間」の影を感じるシーンでは、一体どちらの立場に感情移入し、何を感じるべきなのか、心が大きく揺さぶられるのです。
この映画は、非常に巧みにサスカッチの家族に寄り添い、観客が彼らに対してある種の共感や親近感、さらには好意すら抱くように丁寧に描いています。だからこそ、彼らの生活を脅かす可能性のある「人間」という存在に対して、より強く、そして複雑な感情――それは時に怒りや恐怖、あるいは悲しみかもしれません――を抱かせることに成功しているのです。 これは、間違いなく監督たちの卓越した演出の賜物でしょう。私たちは、いつしか毛むくじゃらの彼らを応援し、彼らのささやかな幸せを願わずにはいられなくなるのです。
「生態学的破壊への批評」や「進歩の暴力に関する物語」といった解釈もできますが、そうした小難しいことを抜きにしても、ただただ「彼らの平和を壊さないでくれ」と願ってしまう、そんなピュアな感情が湧き上がってくるのを感じました。
俳優たちの挑戦:言葉を超えた魂の演技
ライリー・キーオ(メス)、ジェシー・アイゼンバーグ(オス)といった実力派俳優たちが、重厚な特殊メイクを施し、一言も発することなく、サスカッチという異形の存在になりきっている点も特筆すべきです。 彼らは、うなり声や身振り手振り、そして何よりも目の表情だけで、喜び、恐怖、悲しみ、好奇心、そして家族としての絆といった複雑な感情を表現しきっています。特に、母親サスカッチの母性や喪失感、もう一頭のオスが見せる繊細さや孤独感は、言葉がないからこそ、より直接的に心に響いてきました。
モーションキャプチャーではなく、あえて「昔ながらの特殊メイク」にこだわったという監督の判断も、俳優たちの生々しい感情表現を可能にし、作品に独特の触覚的な質感を与えているように感じます。観客は、彼らをCGキャラクターとしてではなく、確かにそこに存在する「生き物」として認識することができるのです。

映像と音響が織りなす、原始世界の息吹
太平洋岸北西部の壮麗でありながらも時に過酷な自然を捉えた映像美も、本作の大きな魅力の一つです。マイク・ギオラキス(『イット・フォローズ』、『アス』)による撮影は、自然光を巧みに活かし、サスカッチたちの存在感と、彼らを取り巻く広大な自然との対比を見事に描き出しています。 時に長焦点レンズで捉えられる彼らの親密な表情、そして広大な風景の中にぽつんと存在する彼らの矮小さを強調するようなフレーミングは、観る者に多くのことを語りかけてきます。
そして、セリフがない本作において、音楽と環境音はもう一つの「声」と言えるでしょう。オクトパス・プロジェクトが手掛けた音楽は、時にサイケデリックで幻想的な雰囲気を醸し出し、時にサスカッチたちの感情の機微にそっと寄り添います。フィールドレコーディングされた自然の音と電子音が融合したスコアは、映画のユニークなムードを決定づけており、ありきたりな感傷に陥ることを巧みに回避しています。 サスカッチのうなり声一つとっても、そこには微細な感情が込められているように感じられ、音響デザインの緻密さにも驚かされました。
まとめ
鑑賞直後は「一体何を見せられたんだ…」という戸惑いと興奮で頭がいっぱいでしたが、時間が経つにつれて、じわじわとその魅力が心に染み渡ってくる、そんな不思議な映画でした。 セリフが一言もないにも関わらず、笑い、驚き、恐怖、悲しみ、そして愛おしさといった多様な感情をここまで豊かに引き出せるものなのかと、改めて映像というメディアの可能性を感じさせてくれます。
『サスカッチ・サンセット』は、間違いなく実験的で、観る人を選ぶ作品です。もしかしたら、「下品だ」「意味がわからない」と感じる人もいるかもしれません。しかし、その一方で、一度ハマれば忘れられない強烈な印象を残し、カルト的な人気を博す可能性も秘めていると感じました。 奇抜な設定の中に、現代社会への批評性や、存在の根源的な問いを忍ばせるゼルナー兄弟監督の手腕は、やはり唯一無二です。
個人的には、この映画は「傑作」と呼びたい一本です。 ラストシーンは非常に余韻があり、「もう少し彼らの旅の先を見届けたい」と思わずにはいられませんでした。エンドロールが流れる間も、その不思議な感動に包まれていました。
美しい(そして時に厳しい)自然描写は、やはり大きなスクリーンで体験する価値があると感じます。この奇妙で、愛おしい毛むくじゃら家族の物語に、少しでも心がザワついたなら…ぜひ、劇場で『サスカッチ・サンセット』を体験してみてください。言葉にならない感情が、きっとあなたを待っています。
そして鑑賞後には、あなたが何を感じ、何を思ったのか、ぜひこの記事のコメント欄で教えてください! 他の人の感想を読むのも、この映画の醍醐味の一つですから。この風変わりで、切なくて、でも笑えるサスカッチたちの物語が、あなたの日常に新しい風を吹き込み、忘れられない「何か」を届けてくれることを願っています。

ビッグフットサンセットシルエットサスカッチ | Bigfoot Yeti Squatch Tシャツ
- ちなみにサスカッチは別名ビッグフットとも呼ばれています。
- このTシャツのシルエット、映画を観た後だと、なんだかグッとくるものがあるんですよね。
- 夕焼けみたいな色合いが、ふとあの映画のワンシーンを思い出させて、ちょっといい感じなんです。
- IMDb『サスカッチ・サンセット』
キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。