映画『サブスタンス』基本データ
- 原題: The Substance
- 監督: コラリー・ファルジャ
- 主要キャスト:
- デミ・ムーア(エリザベス・スパークル役)
- マーガレット・クアリー(スー役)
- デニス・クエイド(ハーヴェイ役)
- 公開年:
- 2024年(カンヌ国際映画祭)
- 2025年5月16日(日本)
- 上映時間: 142分
- レイティング: R15+
- 主な受賞・ノミネート歴 :
- 第97回アカデミー賞:メイクアップ&ヘアスタイリング賞受賞。作品賞、監督賞(コラリー・ファルジャ)、主演女優賞(デミ・ムーア)、脚本賞(コラリー・ファルジャ)ノミネート。
- 第82回ゴールデングローブ賞:主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)(デミ・ムーア)受賞。作品賞(ミュージカル・コメディ部門)、助演女優賞(マーガレット・クアリー)、監督賞、脚本賞ノミネート。
- 第77回カンヌ国際映画祭:脚本賞(コラリー・ファルジャ)受賞。 など
- 視聴方法 (2025年5月現在):
- 一部劇場にて公開中(※公開状況により変動しますので、最新情報は公式サイト等でご確認ください)
この記事でわかること
- アカデミー賞受賞作『サブスタンス』のあらすじと見どころ
- 私が『サブスタンス』を鑑賞したきっかけと、率直な感想
- コラリー・ファルジャ監督ならではの鮮烈な色彩感覚と、観客を巧みに誘導する映像表現の魅力
- 「若さ」と「老い」という普遍的テーマを、ハリウッドを舞台に描く本作の鋭いメッセージ性
- 主演デミ・ムーアとマーガレット・クアリーの圧巻の演技、そして二人が体現するものの意味
- SF、ホラー、社会風刺が融合した、予測不能なジャンルミックスの衝撃と、その評価
- なぜこの作品が観る者に「試練」を与え、強烈な印象を残すのか、私なりの解釈
はじめに
こんにちは!当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。数ある映画ブログの中から、この記事に目を留めていただき、本当に嬉しいです。
さて今回は、2025年5月16日に日本でも公開され、その衝撃的な内容と芸術性で既に多くの映画ファンの間で話題沸騰中のコラリー・ファルジャ監督作品、映画『サブスタンス』をご紹介したいと思います。
実は私、同日に公開されたもう一本の注目作『ガール・ウィズ・ニードル』を先に鑑賞していまして、そちらが重厚で不気味なモノクロームの世界だったのに対し、この『サブスタンス』は(良い意味で!)ビビッドで強烈な色彩とエンターテイメント性に溢れた作品で、ある意味、素晴らしい映画体験のバランスが取れた一日となりました。
『サブスタンス』は、カンヌ国際映画祭での脚本賞受賞をはじめ、アカデミー賞ではメイクアップ&ヘアスタイリング賞を見事受賞し、さらに作品賞や主演女優賞(デミ・ムーア)など主要部門にもノミネートされた実力作。ゴールデングローブ賞ではデミ・ムーアが主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)に輝くなど、まさに賞レースを賑わせた一本です。海外での評価が非常に高かったため、日本での公開を今か今かと待ち望んでいました。少し公開が遅れた感は否めませんが、その期待を裏切らない、いや、ある意味で期待を遥かに超える強烈な体験をさせてくれる映画でした。
鑑賞後の率直な感想は、「良かったし、とても面白かった!」です。しかし同時に、R15+指定が示す通り、かなり攻めた描写も多く、観る人を選ぶ作品であることも間違いありません。
この記事では、作品の核心に触れる【ネタバレなし】で、その魅力や私なりに感じたこと、考えさせられたことを綴っていきたいと思います。この映画は、きっと観る方それぞれに異なる感情や意見を抱かせる、非常に懐の深い作品だと思います。
強烈な映画体験を求める方、心をえぐられるような問いを投げかけられたい方、そして何より「映画ってやっぱり面白い!」と感じたい方。もしよろしければ、最後までお付き合いいただけますと幸いです。
あらすじ
物語の主人公は、かつて一世を風靡したものの、50歳の誕生日を目前に控え、容姿の衰えとともに人気フィットネス番組からの降板を宣告されてしまう元人気女優、エリザベス・スパークル(デミ・ムーア)。
失意のどん底にいた彼女は、ある日、「サブスタンス」という謎に包まれた違法薬物の存在を知ります。それは、使用者からより若く、より美しく、より完璧な「もう一人の自分」を生み出すことができるという、まさに禁断の再生医療でした。
藁にもすがる思いで「サブスタンス」に手を出したエリザベス。その選択は、彼女自身の存在を根底から揺るがすような、予測不能な事態へと繋がっていきます。若さと美貌、そして経験値までをも兼ね備えた、理想的な「もう一人の自分」――スー(マーガレット・クアリー)――の出現。エリザベスとスーは、奇妙な共存関係を始めることになりますが、そこには絶対的なルールが存在しました。
二つの存在が共存する中で、一体何が起こるのか?そして、エリザベスが求めた「完璧な自分」とは、果たして彼女に何をもたらすのでしょうか…?物語は、息もつかせぬ展開で、観る者を未知の領域へと誘います。

作品の魅力:美という名の呪縛と、観客に突き刺さるコラリー・ファルジャ監督の鮮烈な「問い」
ここからは、私が本作を鑑賞して特に心を揺さぶられたポイントや、個人的な解釈について、より深く掘り下げていきたいと思います。この映画、本当に語りどころが満載なんです!
冒頭から観客を掴む!コラリー・ファルジャ監督、鮮烈な色彩と視覚的メタファーの魔術
まず度肝を抜かれたのが、映画の冒頭シーンです。水色のスタイリッシュな背景に置かれた一つのがらんどうの卵黄。そこに「サブスタンス」が注射されると、卵黄は不気味に蠢き、やがて二つに分裂します。このワンシーンだけで、この薬物が細胞分裂を異常な形で促進するものであることを、強烈なビジュアルで観客に叩き込みます。
このビビッドで一度見たら忘れられない色彩感覚は、コラリー・ファルジャ監督ならではのもの。監督の長編デビュー作である『リベンジ』(実は本作の鑑賞前に予習として視聴しました!過去記事はこちら)でも、原色を大胆に使った独特の色彩表現が印象的でしたが、本作『サブスタンス』ではそれがさらに洗練され、計算され尽くしたデザイン性によって、一時も視覚的に飽きさせない、スタイリッシュでショッキングな映像世界を構築しています。一般的には、その鮮烈で大胆な映像や、時にスタンリー・キューブリック作品を彷彿とさせるとも評される色彩設計は、客観的な現実というより、主人公の歪んだ内的体験を反映しているという解釈もあるようです。
ハリウッドの星に刻まれる栄光と凋落――エリザベスの「老い」を視覚で語る巧みな演出
物語の序盤、デミ・ムーア演じるエリザベスが、かつての栄光を失い、加齢によって世間から忘れ去られていく様が描かれます。この「忘れられていく過程」の描き方が、私は非常に巧みだと感じました。
よくある感傷的な回想シーンや、くどいナレーションに頼るのではなく、本作はハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星というアイコニックなモチーフを実に効果的に使っています。最初はエリザベスの名前が刻まれた真新しい星が披露され、ファンが詰めかける華やかな光景。しかし時が経つにつれ、その星は誰にも見向きもされず、通行人に踏みつけられ、ゴミで汚れていきます。この一連の映像だけで、エリザベスが世間から忘れられ、過去の人となってしまったことを、セリフに頼らずとも痛いほど伝えてくるのです。
さらに秀逸なのは、この星が徐々に風化し、ひび割れていく様子のクローズアップ。これは単に「忘れられた」というだけでなく、エリザベス自身の「老化」という避けられない現実、そしてそれに伴う輝きの喪失という本作の根源的なテーマをも同時に、そして視覚的に象徴しているように感じました。この表現には、思わず唸らされましたね。
ネタバレ回避のため詳しくは言えませんが、最後にはこの星に帰ってくるという円環構造も見事でした。
禁断の果実への誘い――「サブスタンス」入手までのスリリングなシーケンス
エリザベスが、わらにもすがる思いで違法薬物「サブスタンス」の存在を知り、それを入手するまでの一連のシークエンスも、個人的には非常にワクワクさせられました。
薬物を流通させる組織は、まるで秘密結社のような得体の知れない雰囲気を醸し出しており、最後までその全貌は明かされません。エリザベスは、とある病院の一室で謎の男性からUSBメモリを渡され、そこに記された電話番号にかけると、感情の読めない無機質な男性の声が応答し、ただ場所の住所だけを告げられます。指定された場所へ向かうと、そこにはロッカーがあり、その中に「サブスタンス」の入った箱が…。箱の中には、懇切丁寧な説明書などなく、ただ簡素なルールが記されたカードが数枚入っているだけ。
無駄を一切削ぎ落としたミニマルなやり取り、正体不明の組織からヤバい薬物を手に入れる背徳感とスリル! まるでスパイ映画のワンシーンみたいで、こっちまでドキドキしちゃいます。このゾクゾクするエンタメ感も、たまらない魅力ですよね。

暴走する「もう一人の自分」――『世にも奇妙な物語』的SFスリラー、その先にあるもの
そして、サブスタンスを注射したエリザベスの背中から、若く美しいスーが文字通り「誕生」し、物語は大きく動き出します。スーはエリザベスの経験と知識を持ちながら、誰もが羨む若さと美貌を兼ね備えているため、あっという間にスターダムを駆け上がります。
この「もう一人の自分が現れて暴走する」というプロットは、あらすじだけを読むと、日本の人気テレビシリーズ『世にも奇妙な物語』に出てきそうなSFスリラーを想像されるかもしれません。そして、その認識はあながち間違ってはいないと思います。
しかし、本作の本当に恐ろしいところ、そしてコラリー・ファルジャ監督が観客に突きつける「問い」は、単なるSFスリラーの枠には収まりきりません。物語が進むにつれて、ある「仕掛け」が明らかになり、それが作品の核心、そして観客自身の心に深く突き刺さってくるのです。この展開については、海外の批評などでも賛否両論が巻き起こったようですが、私個人としても「この展開なしでもっとシニカルに終わった方が、ある意味では美しかったのでは…?」と感じたほど、強烈なものでした。
『リベンジ』から受け継がれ、進化した「視点」の魔術――観客は誰の目で見ているのか?
コラリー・ファルジャ監督の長編デビュー作『リベンジ』を鑑賞済みの方は、監督特有の作家性や演出手法が、本作『サブスタンス』にも色濃く受け継がれ、さらに進化していることにお気づきになるでしょう。
『リベンジ』は、いわゆるレイプ・リベンジもので、主人公のジェニファーが不倫相手とその仲間たちから凄惨な暴行を受け、文字通り血まみれになって復讐を遂げるという物語です。この作品の巧みだった点は、物語の前半ではジェニファーを性的な対象物として捉える、加害者側の男性的な視点(例えば、ジェニファーがキャンディを舐める姿を執拗に映すカットなど)で描かれるのに対し、彼女が復讐を決意し反撃に転じる後半からは、一転して男性たちを打ちのめすべき対象として描く、ジェニファー(女性)の視点へとカメラアイが切り替わる点でした。
この「視点の切り替え」という手法は、『サブスタンス』において、さらに複雑かつ効果的に用いられ、観客自身の価値観を揺さぶる鋭いメッセージとして機能しています。
序盤、50歳のエリザベスが、デニス・クエイド演じるテレビ局のプロデューサー、ハーヴェイからぞんざいな扱いを受けるシーン。私たちは、エリザベスと同じ視点、つまり「年を重ねた女性」の視点から、ハーヴェイというキャラクターを目の当たりにします。ハーヴェイは、前時代的な価値観に凝り固まった、非常に不快な男性として戯画的に描かれています(汚らしい食べ方をする口元のクローズアップや、不快な咀嚼音など、生理的嫌悪感を煽る演出が徹底されています)。これは、エリザベスの視点、すなわち女性的な視点から、ハーヴェイを「不快な対象」として描いているからに他なりません。余談ですが、この男性の口元のクローズアップは『リベンジ』でも同様のカットがあり、監督の作家性を感じてニヤリとすると同時に、その意図に気づいてゾクリとさせられました。
ところが、エリザベスがサブスタンスを注射し、若く美しいスー(マーガレット・クアリー)が現れると、物語の様相は一変します。今度は、スーを性的な対象として捉えるかのようなカットが急増するのです。スーの完璧なボディラインを強調するようなカメラワーク、エクササイズ番組での彼女の身体の各パーツをフェティッシュに切り取るかのようなアップ、妖艶な唇のクローズアップ…。これらは明らかに、スーを欲望の対象として見る男性的な視点、具体的にはプロデューサーであるハーヴェイの視点であり、そしていつの間にか私たち観客もまた、その視点に立たされていることに気づかされます。
観客を「試す」映画――あなたはエリザベスとスー、どちらの姿をより見たいですか?
このように、カメラを通して観客の視点が巧みに逆転させられる構成は、『リベンジ』でも見られた手法ですが、『サブスタンス』ではそれがさらに先鋭化し、観客自身をえぐり、試すような効果を生み出しています。
サブスタンスのルール上、エリザベスとスーは一週間ごとに入れ替わらなければなりません。この入れ替わりのシークエンスで、私たち観客は一体何を思うでしょうか?
正直に告白すると、私自身、エリザベスのパートになった時、「デミ・ムーアの苦悩はもういいから、早くマーガレット・クアリーの華やかなスーを見せてほしい」と、心のどこかで思ってしまった瞬間があったかもしれません。撮影当時60歳前後だったデミ・ムーアのスクリーンタイムよりも、若く輝かしいマーガレット・クアリーのスクリーンタイムが長い方が、画面的に「楽しい」と感じてしまう観客は、決して少なくないのではないでしょうか。若く性的な魅力にあふれるスーの姿を、もっと見ていたいと思うのは、ある意味で自然な感情かもしれません。
しかし、そう思ってしまうこと自体が、まさにコラリー・ファルジャ監督の術中にハマっていると言えるのです。この映画は、「若さとは何か、老いとは何か」「年老いた女性に価値はないのか?」「女性は若ければ、それだけで良いのか?」といった、根源的で普遍的な問いを、私たち観客一人ひとりに容赦なく突きつけてきます。
理想論や建前としては、「女性は年齢を重ねても、その人の内面こそが評価されるべきだ」と言いたい。けれど、この映画を観ていると、どうしても若く美しいスーの魅力に抗えず、惹きつけられてしまう自分がいる…。この映画体験を通して、私たちは「本当に、心から、女性は年齢に関係なく素晴らしいと言い切れるのか?」という問いを、まさにスクリーンを通して追体験させられ、試されているのです。これは単なる視点の切り替えというテクニックを超えた、監督から観客への強烈な「試練」と言っても過言ではないでしょう。

SFスリラーから戦慄のボディホラーへ――予測不能なジャンルミックスの衝撃と監督の作家性
エリザベスとスーが入れ替わり、スーが次第に暴走していくというあらすじだけでは、前述の通りSFスリラー、あるいは『世にも奇妙な物語』的な作品に着地しそうです。
しかし、コラリー・ファルジャ監督の過去作、特に『リベンジ』で見られたグラインドハウスシネマを彷彿とさせる過剰な流血描写や、時にファンタジー的ですらある突飛な展開を知っている観客ならば、「このままでは終わるはずがない」と薄々予感していたかもしれません。
そしてその予感は的中します。『サブスタンス』は、SFというジャンルの根底は持ちつつも、物語が進行するにつれて、観る者の予想を裏切る形で強烈なホラー映画の要素が大胆に加わり、凄まじいジャンルミックスが巻き起こるのです。
このホラー描写、ネタバレ回避のため詳しくは触れませんが、80年代のパペットや特殊メイクを駆使したホラー映画のような、ある種の「気持ち悪さ」や「やりすぎ感」を覚えたりするかもしれません。事実、海外の批評でも「グロテスク描写が過剰で、映画のテーマを覆い隠してしまっている」といった意見や、「結末で全てが崩壊した」「支離滅裂」といった厳しい評価も見受けられました。
しかし、コラリー・ファルジャ監督の作家性を知る者にとっては、これらの描写こそが「まさに監督がやりたいことを全力でやっている!」という、ある種の清々しさすら感じさせるのではないでしょうか。それは、チープさやB級映画感を逆手に取った確信犯的な演出であり、監督自身が影響を受けてきたであろう様々な映画へのオマージュや、これまで表現したかった世界観を、予算と技術を惜しみなく投入して実現しようとしている情熱の表れのように私には見えました。この視点で見ると、ストーリーの本筋からはやや逸脱しているように感じられる過激な描写も、また別の角度から楽しむことができるかもしれません。
デミ・ムーアとマーガレット・クアリー、魂を削る圧巻の競演
この強烈な物語を支えているのは、間違いなく主演二人の魂のこもった演技です。
エリザベス・スパークル役のデミ・ムーア。彼女の演技は、まさに「キャリアの集大成」とも「新境地」とも評される、凄まじいものでした。「美と若さへの執着を、心も身体も細胞さえも全てさらけ出す」と評されるその姿は、観る者に強烈な印象を残します。特に、60歳を超えてなお、この肉体的にも精神的にも過酷な役柄に挑み、ヌードさえも厭わないという彼女の女優魂には、ただただ圧倒されるばかりです。
そして、エリザベスが生み出した若く完璧な分身、スー役を演じたマーガレット・クアリー。彼女の弾けるような若さと美貌は、スクリーン上で圧倒的な存在感を放っています。しかし、単に美しいだけでなく、スーというキャラクターが内包する脆さや、エリザベスの経験をも引き継いでいるという複雑な側面も見事に体現していました。私は彼女を、小島秀夫監督のゲーム『DEATH STRANDING(デス・ストランディング)』のママー役で初めて知り、その後『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のヒッピー役や、『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』でのジョアンナ役などで印象に残っていましたが、本作でのスクリーンタイムは非常に長く、その多才ぶりを改めて証明したと言えるでしょう。本作をきっかけに、彼女は今後さらに大きな飛躍を遂げるに違いありません。
この二人の女優の組み合わせは、多くの批評家から「完璧なキャスティング」と称賛されたようです。撮影前に二人がほとんど言葉を交わす必要がなかったというエピソードからも、深い信頼関係と相互理解があったことが伺えます。ムーアとクアリーが共に「汚れること、乱れた姿を見せること、必ずしも魅力的ではない方法で身体的に全力を尽くすことを厭わない」という姿勢でこの過激な作品に臨んだからこそ、本作のリアリティと衝撃度は格段に高まったのだと感じました。
まとめ:美醜の呪縛を解き放つための、血塗られた問いかけ――あなたは劇場で「試される」
映画『サブスタンス』は、R15+指定が示す通り、決して万人受けする作品ではありませんし、そのグロテスクな描写や倫理的に揺さぶりをかけてくるテーマ性から、鑑賞にはある程度の覚悟が必要かもしれません。しかし、その衝撃的なエンターテインメント性の奥には、現代社会に生きる私たち、特に女性が直面する「美と若さへの執着」という根深い問題に対し、鋭く、そして強烈な一石を投じる、紛れもない問題作です。
コラリー・ファルジャ監督の計算され尽くした演出、鮮烈なビジュアル、そしてデミ・ムーアとマーガレット・クアリーの魂を削るような演技は、観る者の心に深く、そして鋭く突き刺さります。「若さとは何か、老いとは何か」「美しさの基準とは誰が決めるのか」「ありのままの自分を受け入れるとはどういうことか」――そういった普遍的でありながら、目を背けがちなテーマを、SF、ホラー、そして社会風刺といったジャンルを大胆にミックスさせながら、息詰まるような緊張感と圧倒的な映像美(そして時に悪夢のようなグロテスクさ)で描ききった本作は、まさに「映画という芸術媒体でしか表現できない体験」を私たちに提供してくれます。
観終わった後、ずっしりとした問いと、いろんな感情がグルグル渦巻いて、とんでもない余韻に包まれるはず。アカデミー賞作品賞ノミネート作の中でも、こんなに攻めててヤバい(褒め言葉です!)作品は、なかなかお目にかかれません。
もしあなたが、単なる娯楽としてだけでなく、心を揺さぶり、思考を促すような映画体験を求めているのなら、このコラリー・ファルジャ監督が仕掛けた「血塗られた寓話」に、ぜひ劇場で触れてみてください。そして、監督から投げかけられる「あなたは、本当に『女性の価値は年齢に左右されない』と自信を持って言えますか?」という鋭い問いに、あなた自身がどう答えるのかを試されてみてはいかがでしょうか。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。この感想が、あなたが『サブスタンス』という作品と出会う、あるいは既にご覧になった方が作品をより深く味わうための一助となれば幸いです。もしよろしければ、皆さんのご感想もコメント欄などでお聞かせいただけると嬉しいです。
それでは、また次回の『ねことシネマ』でお会いしましょう。
- IMDb『サブスタンス』
キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。

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- 映画を鑑賞した方はどうぞ。
- 普段使いしやすい色味とデザインなので、何気ない日にふらっと着て出かけても問題なさそう。
- 映画を観た人なら「もしかして…」って気づくかも。