映画『国宝』基本データ
- 原題: 国宝
- 監督: 李相日
- 原作: 吉田修一『国宝』(朝日新聞出版)
- 脚本: 奥寺佐渡子
- 出演:
- 吉沢亮(立花喜久雄/花井東一郎)
- 横浜流星(大垣俊介/花井半弥)
- 渡辺謙(花井半二郎)
- 寺島しのぶ(大垣幸子)
- 田中泯(小野川万菊)
- 森七菜(彰子)
- 高畑充希(福田春江) ほか
- 公開年: 2024年(カンヌ国際映画祭)、2024年6月6日(日本)
- 上映時間: 175分
- 主な受賞・ノミネート歴: 第78回カンヌ国際映画祭 監督週間部門 正式出品
- 視聴方法(2025年6月現在): 全国の劇場で公開中
この記事でわかること
- 映画『国宝』が「ただ者ではない」と感じさせる、圧倒的な魅力の正体
- 歌舞伎を全く知らなくても、なぜこの映画に夢中になれるのか
- 「才能か、血筋か」――胸を打つ、登場人物それぞれの壮絶な葛藤
- 吉沢亮さん、横浜流星さんの「演技を超えた」神業的な役作りと、その凄み
- 映画館で観るべき理由がわかる、迫力の歌舞伎シーンと映像美の秘密
- 鑑賞後にきっと「本物の歌舞伎を観てみたい」と思わせる、本作の力
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。 数ある映画ブログの中から、この記事を見つけてくださって本当に嬉しいです。
今回ご紹介するのは、2025年6月6日に公開された、李相日監督の最新作『国宝』。
私がこの映画に惹かれたきっかけは、映画館で何度も目にした予告編でした。多くを語らずとも、その映像の断片から「これはただ者ではない作品なんじゃないか」という、凄まじいオーラが溢れ出ていたんです。きっと、よくある日本の商業映画とは一線を画すものになるだろうと、公開を心待ちにしていました。第78回カンヌ国際映画祭の監督週間部門に出品されたというニュースも、その期待に拍車をかけました。
実は鑑賞当日、私のコンディションは良くはありませんでした。前日に一人、東京ディズニーシーへ行き、ワインやカクテルを飲み歩いてヘトヘト…。そんな体調で、先に観た別の映画との時間調整で本作を観ることに。上映時間175分という長尺に、「途中で寝てしまうかも」「そもそも歌舞伎、全然知らないし…」と、正直なところ不安でいっぱいでした。
しかし、そんな心配は映画が始まった瞬間に吹き飛びました。 およそ3時間、息をすることすら忘れるほどスクリーンに没入し、エンドロールが流れる頃には、疲労感などどこへやら、ただただ深い感動に包まれていました。
この記事では、専門的な知識がない私でも心を鷲掴みにされた、この素晴らしい作品の魅力について、できる限り丁寧にお話ししていきたいと思います。本作を観るか迷っている方、そして既にご覧になって深い余韻に浸っている方、どちらにも楽しんでいただければ幸いです。

あらすじ
※物語の核心に触れる大きなネタバレはありませんが、序盤の展開については記述しています。
物語の舞台は、戦後の日本。任侠の一門に生まれた少年・喜久雄(きくお)は、抗争で父を亡くし、天涯孤独の身となります。
そんな彼の前に現れたのが、上方歌舞伎の名門「丹波屋」の当主であり、当代きっての看板役者、花井半二郎。喜久雄の内に秘められた天賦の才を見抜いた半二郎は、彼を自身の元へ引き取ります。こうして喜久雄は、思いがけず歌舞伎という芸の道に足を踏み入れることになりました。
半二郎の跡取り息子である俊介とは、兄弟のように育てられ、時には親友として、時には最大のライバルとして、互いに芸を磨き、青春のすべてを捧げていきます。
しかしある日、半二郎が事故で舞台に立てなくなり、自身の代役として実子の俊介ではなく、喜久雄を指名したことから、二人の運命の歯車は大きく、そして激しく狂い始めるのです……。
作品の魅力
ここからは、私が特に心を揺さぶられたポイントについて、少しだけ掘り下げてみたいと思います。
専門知識ゼロでも面白い、濃密な人間ドラマ
まず声を大にして言いたいのは、この映画は小難しい理屈抜きで、純粋なドラマとしてめちゃくちゃ面白い、ということです。
私自身、映画リテラシーが高い人が語るような、脚本の巧みさや映像技法といった専門的な視点は持ち合わせていません。それでも、登場人物たちが織りなす物語に、グイグイと引き込まれてしまいました。
その中心にあるのが、「才能か、血筋か」という、歌舞伎界ならではの根深く、そして普遍的なテーマです。
歌舞伎の家に生まれれば、その道を継ぐのが当たり前。そんな「血筋」が絶対的な価値を持つ世界に、全くの部外者である喜久雄が、その「才能」だけで飛び込んでくる。この構図だけでも、ドラマが生まれないはずがありません。
物語が大きく動くのは、師である半二郎が、事故で倒れた自身の代役に、血の繋がった息子・俊介ではなく、養子である喜久雄を指名する場面。ここには、三者三様の、胸が張り裂けそうなほどの葛藤が渦巻いています。
- 師・半二郎(渡辺謙)の葛藤: 伝統を重んじるなら、跡取りである実の息子を立てるべきだ。しかし、一つのエンターテインメントとして、芸の力量で勝るのは喜久雄の方……。芸の師として、そして一人の親としての、あまりにも辛い選択。
- 養子・喜久雄(吉沢亮)の葛藤: 自分は血筋ではない。だが、指名されたからには、その期待に応えるしかない。師への恩義と、親友である俊介への罪悪感との間で揺れ動く、複雑な心境。
- 跡取り・俊介(横浜流星)の葛藤: 自分こそが父の跡を継ぐべき血筋。それなのに、なぜ。喜久雄への嫉妬と、彼の才能を認めてしまう自分自身との間で引き裂かれる苦しみ。
この三者のどうしようもない想いが交錯する様は、観ていて本当に胸が苦しくなり、同時に目が離せなくなります。
原作は吉田修一さんの上下巻に及ぶ長編小説だそうですが、この175分という映画の中に、登場人物たちの心理描写が驚くほど丁寧に、そして深く掘り下げられています。原作の長大な物語を、よくぞ175分に…!この凝縮された脚本と、すべてを描ききった監督の手腕には、もう唸るしかありません。

これは「演技」を超えている。吉沢亮と横浜流星の神業
この映画の魂は、間違いなく主演二人の「役を生きる」姿に宿っています。歌舞伎役者という役を、役者が演じる。この入れ子構造の難しさを乗り越え、彼らが見せたのはもはや「演技」という言葉では表現しきれない、神業の領域でした。
吉沢亮さんについて
正直に告白すると、私は彼に対して「今をときめくイケメン俳優」という、少しばかりの偏見を持っていました。映画館でよく流れるコミカルな映画(ババンババンバンバンパイアとか...)の予告編のイメージが強く、本作のような重厚な作品での姿が想像できなかったのです。
しかし、鑑賞後、その考えは180度変わりました。「申し訳なかったな」と。 この人は、これほどまでに観客の心を鷲掴みにする力を持った、とんでもない「役者」だったんだと、改めて思い知らされました。女形として舞台に立った時の、指の先まで神経が行き届いたような妖艶な美しさ、そしてその裏に滲む孤独と狂気。そのすべてが、圧巻でした。
少し調べてみると、李相日監督は吉沢さんを「追っても追っても掴みきれない人」と評していたそうですが、そのミステリアスな部分が、常人には理解の及ばない「怪物」へと変貌していく喜久雄という役に、完璧に合致していたのかもしれません。
横浜流星さんについて
横浜流星さんもまた、私の中では爽やかな「イケメン俳優」のイメージが強かったのですが、本作で見せた姿には度肝を抜かれました。彼が演じる俊介もまた、女方の役者。その美しい所作はもちろん、名門の跡取りとしてのプライドと、喜久雄への複雑な感情が入り混じる内面を、繊細な表情で見事に表現していました。
特に、喜久雄に向ける静かな眼差しには、嫉妬やライバル心だけではない、深い慈しみのような感情が感じられ、何度も胸を打たれました。彼のファンの方にとっても、これは全く未知の領域の横浜流星さんが見られたのではないでしょうか。
鑑賞しながら、「来年の日本アカデミー賞は、もうこの二人が独占するんじゃないか…」と、勝手に確信してしまったほどです。主演、助演、どちらに転んでもおかしくない、それほどの熱演でした。
脇を固める役者陣も、渡辺謙さんをはじめ、本当に素晴らしかった。ただ、尺の都合か、高畑充希さんや寺島しのぶさん、森七菜さんといった女性キャラクターたちの掘り下げがやや少なめに感じられたのは、少しだけ残念だった点かもしれません。しかし、これはもう、喜久雄と俊介という二人の物語に焦点を絞るための、苦渋の選択だったのだろうと納得しています。
なぜ「映画」でなければならなかったか――圧倒的な映像と音響体験
この物語は、なぜ小説だけでなく、映画として作られる必要があったのか。その答えは、圧巻の歌舞伎シーンにあります。
文字媒体では伝えきれない、歌舞伎という総合芸術の持つ空気感や迫力。それを、視覚と聴覚に直接訴えかける「映像作品」として、これ以上なく完璧に描ききっている。これこそが、映画だからこそなせる技だと強く感じました。
- 音響の凄み: 足を「ドーン!」と踏み鳴らす重低音。鼓の「ポンッ」と乾いた音。衣擦れの「サラリ」という微かな音。これらが劇場の優れた音響で響き渡る時、まるで本当に歌舞伎座の客席にいるかのような臨場感に包まれます。
- カメラワークの迫力: 観客席からの視点だけでなく、時に演者の背後から舞台を捉えるなど、ダイナミックなカメラワークが、私たちを物語の内部へと引きずり込みます。スクリーンで観ているとわかっているのに、「あれ、これ歌舞伎座で観てるのと変わらないのでは?」と錯覚するほどのすごみでした。
そして、この奇跡のような映像体験を支えたスタッフ陣がまた、すごいのです。

撮影監督は、カンヌでパルム・ドールを受賞した映画『アデル、ブルーは熱い色』を手掛けた、ソフィアン・エル・ファニさん。どうりで、冒頭の雪が降るお屋敷のシーンからして、どの場面を切り取っても一枚の絵画のように美しいわけです。
さらに、美術監督は『キル・ビル』などで知られる種田陽平さん。これを知った時、あるシーンの既視感にすごく納得しました。物語の序盤、真っ白な雪の上に、主人公の父親の血が「赤」く飛び散る場面。映画好きの方なら、「あ、これキル・ビルだ」と思われたのではないでしょうか。後からスタッフの名前を知り、あの印象的なビジュアルが意図されたものだったのだと、深く頷いてしまいました。
まとめ
『国宝』は、175分という長さを全く感じさせない、壮絶で、美しく、そして何よりも面白い、魂の傑作です。
正直に言って、鑑賞前の私は歌舞伎にほとんど興味がありませんでした。しかし、そんな人間が、疲れ切った体で観たにもかかわらず、最後まで夢中になり、鑑賞後には「一度、生で歌舞伎を観てみたいな」と心から思わされた。これこそが、この映画が持つ力のすべてを物語っていると思います。
吉沢亮さんと横浜流星さんの、役者人生を懸けたと言っても過言ではない熱演。それを極限まで引き出した李相日監督の演出。そして、歌舞伎という伝統芸能の神髄をスクリーンに焼き付けた、世界レベルのスタッフワーク。そのすべてが奇跡的なバランスで融合した、至極のエンターテインメントです。
少しでも心に引っかかるものがあったなら、ぜひ劇場に足を運んでみてください。きっと、あなたの心にも深く、そして消えない何かが刻まれるはずです。
この魂を揺さぶる映画体験を、ぜひあなたも劇場で。
そして鑑賞された方は、ぜひコメントであなたの感想も教えてください。「私は喜久雄の生き様に…」「俊介のあの眼差しが忘れられない」など、一緒にこの余韻を語り合えたら嬉しいです!