映画『遠い山なみの光』基本データ
- 監督: 石川慶
- 原作: カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』
- 主要キャスト:
- 広瀬すず(緒方悦子)
- 二階堂ふみ(佐知子)
- 吉田羊(1980年代の悦子)
- 松下洸平(緒方二郎)
- 三浦友和(緒方誠二)
- カミラ・アイコ (ニキ) ほか
- 公開日: 2025年9月5日(日本)
- 上映時間: 123分
- 主な受賞・ノミネート歴: 第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品
- 視聴方法(2025年9月現在):
- 全国の劇場で公開中
この記事でわかること
- ネタバレなしで解説!『遠い山なみの光』の感想と、「もう一度見たい」と感じる理由
- 息をのむほど美しい、1950年代長崎と1980年代イギリスを対比させる映像の秘密
- カズオ・イシグロの原作小説と、石川慶監督による映画版の決定的な違い
- 物語の核心に触れずに紐解く、衝撃的な結末がもたらす深い余韻
- 広瀬すずさん、二階堂ふみさん、吉田羊さんら俳優陣の魂の演技が伝えるもの
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。 数ある映画ブログの中から、この記事を見つけてくださり本当に嬉しいです。
今回は、2025年9月5日に公開された石川慶監督の最新作、映画『遠い山なみの光』について、じっくりと語っていきたいと思います。
ただ、先に申し上げておきますと、この映画は正直なところ、多くを語ることが非常に難しい作品です。なぜなら、物語に少しでも触れると、そのすべてが「ネタバレ」になりかねないからです。鑑賞後、これはまさにネタバレ厳禁の映画だと、心の底から感じました。
観終わった直後、頭に浮かんだのは「面白かった」というありきたりな言葉ではありませんでした。ただひたすらに、「もう一度観なければ。確かめなければ」という強い思いが、心を支配していたのです。
この記事では、物語の核心にはできる限り触れずに、なぜ私がそれほどまでに「もう一度見たい」と感じたのか、その理由をじっくりと語っていきます。
まだ映画をご覧になっていない方も、この記事を読めば鑑賞後の楽しみがさらに増すはずです。どうぞ安心してお読みください。すでに鑑賞済みの方とは、あの衝撃と深い余韻を共有できれば幸いです。
あらすじ
まずは、物語の導入部分であるあらすじを、ネタバレなしでご紹介します。
1980年代、イギリス。日本人の母とイギリス人の父の間に生まれ、ロンドンで暮らすニキは、大学を中退し作家を目指しています。ある日、彼女は執筆のため、姉が亡くなって以来、疎遠になっていた実家を訪れます。そこでは、夫と長女を亡くした母・悦子が、思い出の詰まった家で一人暮らしていました。
かつて長崎で被爆した経験を持つ悦子は、戦後イギリスに渡りましたが、ニキは母の過去について詳しい話を聞いたことがありませんでした。悦子は、数日間を共に過ごすニキに、近頃よく見るという夢の内容を語り始めます。それは、悦子が1950年代の長崎で出会った、佐知子という女性とその幼い娘の夢だったのです。
作品の魅力
ここからは、私が本作を鑑賞して特に心を揺さぶられたポイントについて、個人的な感想と、少し調べてみた情報を交えながら深く掘り下げていきたいと思います。
息をのむ映像美:二つの時代を隔てる「光と影」
本作でまず特筆すべきは、その圧巻の映像美です。物語は、1980年代イギリスの「現代」パートと、母・悦子の記憶として語られる1950年代長崎の「過去」パートが交錯しながら進みますが、この二つの時代が映像のルック(見た目)によって意図的に、そして見事に対比されていました。
吉田羊さんが演じる悦子と娘ニキが登場する現代のイギリスは、全体的に色が抑えられ、影が際立つ落ち着いたトーンで描かれています。

一方で、広瀬すずさんが演じる若き日の悦子の回想シーンである長崎のパートは、息をのむほどに美しい色彩に満ちています。まるで「コダクロームカラー」で撮影されたかのような、ノスタルジックで鮮やかな色合いは、冒頭から私の心を鷲掴みにしました。しかし、その夢のような美しさは、物語が進むにつれてどこか現実離れした儚さを帯びてくるのが印象的でした。

本作について少し調べてみると、この見事な映像を手掛けたのは、石川監督が過去作でもタッグを組んできたポーランド人の撮影監督、ピオトル・ニエミイスキさんだそうです。戦後の日本映画、特に小津安二郎監督や成瀬巳喜男監督の美学を参照しつつも、それをヨーロッパの芸術映画のような「絵画的」な視点で再解釈しているとのこと。(参考)どうりで、単なるノスタルジーに留まらない、独特の風格と緊張感が画面に宿っているわけです。
原作からの大胆な飛躍:心を揺さぶる「人間ドラマ」としてのミステリー
予告編でも示唆されている通り、本作の核心には「嘘」というテーマが存在します。しかしそれは、「誰が犯人か」を探るような単純な謎解きではありません。語られる美しい記憶はどこまでが真実で、どこからが自分自身を守るためについた嘘なのか。その境界線が、観る者の心を静かに揺さぶります。
そして、私がスクリーンに夢中になっている間、強く惹きつけられたのは、そのミステリアスな問い以上に、原爆の記憶が色濃く残る戦後の長崎で、必死に未来を渇望し生きる女性たちの人間ドラマでした。広瀬すずさん演じる悦子と、二階堂ふみさん演じるミステリアスな佐知子。二人が織りなす繊細で、どこか危うさをはらんだやり取りは、一瞬たりとも目が離せませんでした。
この点についてさらに調べてみると、ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロさんの原作小説と、映画版では決定的な違いがあるようです。原作では、主人公・悦子の語りは極めて曖昧で、彼女の罪悪感が生み出した心理的な迷宮として描かれています。どこまでが真実で、どこからが捏造なのか、その境界線が溶けていくような読書体験が、原作の醍醐味なのだとか。
それに対し石川監督は、娘のニキを母の物語に問いかける存在として配置することで、この内面的な物語を、より多くの観客が没入しやすい外面的なミステリーへと再構築しました。この大胆なアレンジがあったからこそ、原作の持つ迷宮のような魅力はそのままに、私のような初見の観客でも「次はどうなるの!?」と手に汗握る人間ドラマとして、最後までスクリーンに釘付けにされたんだと思います。
広瀬すずさんが体現する、伝統的な価値観の中で安定を求める悦子。そして、二階堂ふみさんが圧倒的な存在感で演じる、アメリカ行きを夢見て因習を振り払おうとする佐知子。二人の間には、単なる友情とは違う、ある種の共犯関係のような、批評家たちが「シスターフッド」と呼ぶような特別な絆が描かれます。この二人の魂のぶつかり合いこそが、本作の心臓部と言えるでしょう。

すべてが覆る衝撃の結末と、石川慶監督ならではの作家性
そして、この物語は、美しい人間ドラマだけでは終わりません。終盤、この物語の根幹を根底から覆すような、あっと驚く衝撃の展開が待っています。
私が鑑賞した回では、上映終了後、隣の席に座っていた若い女性がひどく混乱した様子で、一緒に来ていたお母さんに「え、これってどういうことなの?」と何度も問いかけていました。彼女の頭上に、たくさんのハテナマークが浮かんでいるのが見えるようでした。その反応こそ、この映画の結末がいかに唐突で、強烈なインパクトを持つかを物語っています。
この種のミステリーに慣れている方なら「なるほど、そういうことね」と膝を打つかもしれませんが、そうでない方にとっては、思わず「え?」と声が出てしまうほどの体験になるはずです。そして、この結末を知った上で再度鑑賞すると、登場人物たちの何気ないセリフや視線、すべてのシーンの見え方がまったく変わってしまうのです。これこそ、私が「もう一度見たい」と強く感じた最大の理由でした。
本作を手掛けたのが、2022年に『ある男』で日本映画界を席巻した石川慶監督だと知った時、すべてが腑に落ちる感覚がありました。『ある男』が問いかけた「人間とは何者か」「過去は変えられるのか」というテーマは、本作の結末にも通底しています。
興味深いことに、原作の結末は明確な答えを提示しない「オープンエンディング」だそうですが、映画版はひとつの明確な「答え」を提示します。これは原作者カズオ・イシグロさん自身が公認(エグゼクティブプロデューサーとしても参加)だそうで、いわば作者お墨付きの「解釈」なのです。この映画的な決着は、原作の持つ余韻を損なうどころか、主人公・悦子が抱え続けた痛みや、彼女がこの先どう生きていくのかという人生そのものに思いを馳せてしまうような、まったく別の種類の、深く、そして心に残る余韻を私たちに残してくれました。
静かに描かれる戦争の傷跡と、記憶の継承
本作はミステリーであると同時に、戦争が人々の心に残した見えない傷跡についての物語でもあります。舞台は長崎ですが、原子爆弾そのものが描かれることはありません。その代わりに、夫・二郎(松下洸平さん)が失った指や、義父・緒方(三浦友和さん)が嘆く失われた戦前の価値観、そして悦子が抱く子供への漠然とした不安の中に、戦争のトラウマは静かに、しかし確かに存在しています。
そして、この物語の枠組みそのものを担うのが、年を重ねた悦子を演じる吉田羊さんの抑制された、それでいて胸を打つ名演です。彼女が娘のニキに過去を語る行為は、単なる思い出話ではありません。私にはこの行為が、「記憶の継承の物語」そのものであるように感じられました。
たとえ、その記憶が曖昧で不確かな部分をはらんでいたとしても、それを次の世代に「バトン」として渡すこと。過去の女性たちが経験した苦しみや闘いが、形を変えて現代を生きる私たちの自由に繋がっているのかもしれない。そんな壮大なテーマを、本作は母と娘の静かな対話の中に描き出しているのです。
まとめ
映画『遠い山なみの光』は、2025年の第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品されました。その部門名が示す通り、本作は私たちに、一つの出来事をまったく異なる視点から見つめ直させる力を持った、稀有な作品です。
美しい映像と、俳優陣の魂のこもった演技が織りなす重厚な人間ドラマ。そして、すべてが覆る衝撃のミステリー。鑑賞後、あなたはきっと、私が感じたように「もう一度、最初から確かめたい」という強い衝動に駆られるはずです。
決して一度観ただけでは味わいきれない、深い深い余韻が待っています。それは、主人公の痛みと共に、彼女の人生の続きに思いを馳せてしまうような、忘れがたい鑑賞体験となるでしょう。
週末は、この唯一無二の心理ミステリーに、じっくりと浸ってみてはいかがでしょうか。きっとあなたの心に、長く残る何かを焼き付けてくれるはずです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。 あなたはこの映画の結末を、どう受け止めましたか?ぜひ、コメントであなたの感想も教えていただけると嬉しいです。
- IMDb『遠い山なみの光』
キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。