映画『顔を捨てた男』基本データ
- 原題: A Different Man
- 監督: アーロン・シンバーグ
- 主要キャスト:
- セバスチャン・スタン(エドワード)
- レナーテ・レインスヴェ(イングリッド)
- アダム・ピアソン(オズワルド) ほか
- 日本公開日: 2025年7月11日
- 上映時間: 112分
- 主な受賞歴:
- 第74回ベルリン国際映画祭:最優秀主演俳優賞(銀熊賞) - セバスチャン・スタン
- 第82回ゴールデングローブ賞:主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門) - セバスチャン・スタン
- 視聴方法(2025年7月現在):
- 全国の劇場で公開中
この記事でわかること
- A24最新作『顔を捨てた男』のあらすじと基本情報
- 鑑賞後に残る「面白さ」と「モヤモヤ」の正体についての考察
- 主演セバスチャン・スタンの鬼気迫る演技の凄み
- 「外見か、内面か」という本作の根源的な問い
- 16mmフィルムがもたらす独特の映像美と不気味なリアリティ
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。
今回は、2025年7月11日に日本で公開されたアーロン・シンバーグ監督、A24製作の映画『顔を捨てた男』をご紹介します。
実は鑑賞当日、午後にはジェームズ・ガン監督の『スーパーマン』も観る予定があり、映画館をはしごするスケジュールでした。それでも「この作品だけは絶対に外せない」と強く感じ、公開2日目に劇場へと足を運んだのです。
私がこの映画に強く惹きつけられた理由は、まずその一度見たら忘れられない強烈なビジュアル。そして、主演を務めるセバスチャン・スタンの近年の目覚ましい活躍です。マーベル作品のウィンター・ソルジャー役の印象が強い彼ですが(サンダーボルツ*もよかったですね!)、近年は話題作への出演が続き、本作の演技でベルリン国際映画祭やゴールデングローブ賞を受賞するなど、今最も勢いのある俳優の一人と言えるでしょう。
鑑賞後の率直な感想は、「面白い…でも、なんだかモヤモヤする…」。この二つの感情がぐるぐると渦巻く、とても複雑な鑑賞後感でした。でも、ただ「面白かった!」で消費されない、心にズシンと何かを残していく作品こそ、観る価値のある映画だと思いませんか?
この記事では、作品の核心に触れるネタバレは極力避けながら、本作がなぜこれほどまでに心を揺さぶるのか、その魅力と考察をお届けしたいと思います。

あらすじ
※以下、物語の導入部分に触れています。
顔に特異な形態的特徴を持ちながら俳優を目指すエドワード(セバスチャン・スタン)。彼は、同じアパートに住む劇作家志望のイングリッド(レナーテ・レインスヴェ)に密かに惹かれながらも、自分の容姿へのコンプレックスから気持ちを内に閉じ込めて生きていました。
そんなある日、彼は外見を劇的に変えることができるという、画期的な臨床試験の存在を知ります。全てを捨てて治療に臨んだエドワードは、誰もが羨むようなハンサムな顔を手に入れ、「ガイ」と名乗り、別人の人生を歩み始めます。
順風満帆な新たな人生。しかし、イングリッドが書いた舞台の主役オーディションをきっかけに、彼の前に「かつての自分」と瓜二つの顔を持つ男、オズワルド(アダム・ピアソン)が現れたことで、エドワードの運命の歯車は静かに、そして急速に狂い始めていくのでした。
作品の魅力
ここからは、私が本作を鑑賞して特に心を揺さぶられたポイントや、個人的な考察を交えながら、その魅力に迫っていきたいと思います。
問われるのは外見か、内面か──セバスチャン・スタンの怪演
「もし、この顔じゃなかったら…」 きっと誰もが一度は、心のどこかでそう呟いたことがあるのではないでしょうか。では、もしその願いが叶い、セバスチャン・スタンのような誰もが振り返る顔を手に入れたら? あなたの人生は、本当に輝き始めるのでしょうか。
この映画は、「あなたの問題は、本当に外見だけなのでしょうか?その内面にこそ、問題はないのでしょうか?」と、観る者に鋭く、そして冷徹な問いを突きつけてきます。
主人公のエドワードは、治療によって誰もが羨むハンサムな顔を手に入れます。しかし、彼の前に現れる、かつての自分と同じ顔を持つ男オズワルドは、その外見をものともせず、むしろ自身のアイデンティティとして受け入れ、明るい性格と巧みな話術で周りから愛される人気者です。この対比が、あまりにも残酷にエドワードの、そして私たちの心を抉ります。
特に鳥肌が立ったのが、ハンサムな「ガイ」になった後のセバスチャン・スタンの演技。自信満々なのに、ふとした瞬間に漏れ出てしまう、泥のようにこびりついた自己肯定感の低さ…。この痛々しいほどの二面性こそ、本作の核心なんです。外見は変わっても、内面の病理は治癒していなかった。その事実が、変身によってかえって浮き彫りになるという、「みにくいアヒルの子」のような安直な変身物語を根底から覆す、見事な構成です。
さらにこの物語に凄みを与えているのが、オズワルドを演じるアダム・ピアソン自身の存在です。彼自身がエドワードと同じ神経線維腫症の当事者であり、その圧倒的な「真正性」とスクリーンを支配するカリスマ性は、ステレオタイプな障害者像を鮮やかに打ち破ります。彼の存在そのものが、この映画のテーマを何倍にも深く、鋭利なものにしているのです。

『サブスタンス』との違い──“物語”を乗っ取られた男
本作を観て、今年大きな話題を呼んだデミ・ムーア主演の映画『サブスタンス』を思い出した方も少なくないでしょう。「容姿」をテーマに、理想の自分に成り代わるという点で共通しています。
でも、ここで断言します。この2作品が描くメッセージと、物語がたどり着く場所は、まったくの別物。「どうせ『サブスタンス』みたいな話でしょ?」と思っているなら、その予想は良い意味で裏切られますよ。
では、なぜ本作は『サブスタンス』と似ているようでいて、全く違う後味を残すのでしょうか。その鍵を握るのが、劇作家の隣人イングリッドが書く「劇中劇」という、非常に意地悪くも巧みな構造です。
イングリッドはエドワードの人生を「物語」として切り取り、エドワードは自ら捨てたはずの「過去の自分の物語」に執着し、そしてオズワルドはその「物語」の主役の座を、その圧倒的な存在感で乗っ取ってしまいます。
このいびつな三角関係を通じて、本作は単なるルッキズムへの批評を超え、「誰が他人の人生を語る権利を持つのか?」「アートにおける“真正性”の追求は、時に搾取になりうるのではないか?」といった、非常に居心地の悪い倫理的な問いへと深化していきます。他人の人生を、私たちは勝手な「物語」として解釈し、消費していないか。その視点に立つと、本作は他人事ではない、私たち自身の問題として深く突き刺さってくるのです。
16mmフィルムが映し出す、不気味なリアリティ
そして何より特筆すべきは、本作があえて16mmフィルムで撮影されている点です。
フィルム特有のざらついた質感が、まるで誰かのホームビデオを覗き見しているかのような生々しさを生み、作品全体にどこか不気味で暗い雰囲気を醸し出しています。特に、整形前のエドワードの姿は、この質感によって一層ホラーのように映ると同時に、ドキュメンタリーのような凄まじいリアリティも感じさせます。
例えば、エドワードが病院で医師から手術の説明を受けるシーン。ただ椅子に座って話を聞いているだけなのに、16mmフィルムで撮られることで、緊迫感のあるドキュメンタリー映像のように見え、「これは本当にあった出来事なのではないか」と錯覚させるほどの説得力がありました。
また、滑らかではない、急に被写体に「クッ」と寄るようなズームの使い方も非常に印象的です。それはまるでプロではない誰かが撮影したかのような、意図的に「完成された映画」であることを避けているような演出に感じられました。
まとめ
映画『顔を捨てた男』は、「面白かった」の一言では到底片付けられない、観る者の価値観を揺さぶり、深い内省を促す作品です。スカッとする展開も、分かりやすい教訓も、この映画は与えてくれません。ただ、皮肉とザラザラした不穏な余韻だけを残していくラストは、きっとあなたの心に棘のように長く刺さり続けるはずです。
外見を変えれば、人生は変わるのか。それとも、変えるべきは私たちの内面、そして他者を見る眼差しの方なのか。
この強烈で知的な問いかけを、ぜひ劇場で体験してみてください。ただし、鑑賞後はしばらく「モヤモヤ」と色々と考え込んでしまうかもしれませんので、心に余裕のある時にご覧になることをお勧めします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。この記事が、あなたがこの忘れがたい作品と出会うきっかけになれば幸いです。
あなたはこの映画のどんなところに惹かれましたか?もしよろしければ、ぜひコメントで教えてください!
- IMDb『顔を捨てた男』
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