映画『フォーチュンクッキー』基本データ
- 原題: Fremont
- 監督: ババク・ジャラリ
- 脚本: ババク・ジャラリ、カロリーナ・カヴァッリ
- 主要キャスト:
- アナイタ・ワリ・ザダ(ドニア)
- グレッグ・ターキントン(アンソニー医師)
- ジェレミー・アレン・ホワイト(ダニエル) ほか
- 公開年: 2023年(サンダンス映画祭)、2025年6月27日(日本)
- 上映時間: 91分
- 主な受賞歴:
- インディペンデント・スピリット賞 ジョン・カサヴェテス賞受賞
- 視聴方法(2025年7月現在):
- 全国の劇場で公開中
この記事でわかること
- 映画『フォーチュンクッキー』のあらすじと基本情報
- ジム・ジャームッシュ監督のファンに本作をおすすめしたい理由
- 美しいモノクロ映像と、正方形に近い画角に込められた深い意味
- 大作映画では味わえない、心に染みる静かな感動と希望のメッセージ
- 主演女優にまつわる、作品の「真正性」を高める重要な背景
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。 数ある映画ブログの中から、この記事を見つけてくださってとても嬉しいです。
今週の映画界隈は、ブラッド・ピット主演の『F1』のような、まさに王道のエンターテインメント大作が大きな注目を集めていますね。そんな華やかな話題作の裏で、ひっそりと、しかし確かな輝きを放つ一本の映画が公開されました。今回ご紹介する、ババク・ジャラリ監督の『フォーチュンクッキー』です。

私がこの映画を観ようと思ったきっかけは、映画館で手にしたフライヤーでした。そのモノクロで切り取られた独特の雰囲気に、個人的に大好きなジム・ジャームッシュ監督作品の匂いを直感的に感じ取ったのです。後で公式サイトなどを確認すると、やはり「ジム・ジャームッシュやアキ・カウリスマキの作品を彷彿とさせる」と話題になっていると知り、「この直感は間違いない!」と期待を胸に劇場へ足を運びました。
私自身、ジャームッシュ監督の『パターソン』や『コーヒー&シガレッツ』が好きなこともあり、彼の作品が持つ独特の空気感やオフビートな魅力にはいつも惹かれます。そんな彼の作品を彷彿とさせる映画とあれば、観てみたくなるのが映画ファンの性というもの。話題の大作とはある意味で対極に位置するアート系の作品ですが、だからこそ素晴らしいバランスが取れるのではないかと期待し、公開2日目に劇場へと足を運びました。
鑑賞後の率直な感想は、「出会えてよかった」と思える静かな良作。この記事では、大きなネタバレなしで、本作が心に染みる理由を私なりの視点で解き明かしていきます。もしあなたが、日常の喧騒から解放してくれるような、心温まる一本を探しているなら、きっとこの映画は特別な存在になるはずです。
あらすじ
※大きなネタバレはありませんが、物語のプロットや雰囲気に触れています。
物語の舞台は、カリフォルニア州フリーモント。 アフガニスタンで米軍の通訳として働いていた過去を持つ女性、ドニア(アナイタ・ワリ・ザダ)は、現在はサンフランシスコのフォーチュンクッキー工場で働きながら、アパートと職場を往復するだけの単調な日々を送っています。
彼女を悩ませるのは、過去の経験からくるPTSDと、それに起因する慢性的な不眠症。ほとんど笑顔を見せることなく、無表情に毎日をやり過ごしていました。

そんなある日、ドニアはクッキーの中に入れるおみくじのメッセージ(=フォーチュン)を考える係に抜擢されます。最初は戸惑う彼女でしたが、やがて自分の人生を変えるかもしれない、ささやかな賭けに出ます。それは、数あるおみくじの一つに、新たな出会いを求めて自分の電話番号を書いたメッセージをこっそりと紛れ込ませることでした。
やがて、彼女のもとに見知らぬ男性から「会いたい」という一本の連絡が届きますが……。
このあらすじだけを読むと、ロマンチックなラブコメディを想像するかもしれません。しかし、本作は決してそのような王道の物語には収まりません。物語のテンポは非常にゆっくりで、観る者の心に静かに染み入るように進んでいきます。
作品の魅力
では、本作の何がそれほどまでに私の心を掴んだのか。特に心を揺さぶられた3つのポイントを、少し深く掘り下げていきましょう。
主人公の内面を映し出す、モノクロームの映像美
本作を語る上で絶対に外せないのが、全編がモノクロームで、かつ画角がスタンダードサイズ(正方形に近い比率)で撮影されている点です。これは単なるお洒落な演出ではなく、作品のテーマと見事に共鳴しています。
主人公のドニアは、作中でほとんど笑顔を見せません。彼女の心は、過去のトラウマによって色彩を失い、どこか閉塞感を抱えています。想像してみてください。この物語がもし、鮮やかな色彩と開放的なワイドスクリーンで描かれていたら。それは、主人公ドニアが感じている現実とは、あまりにも乖離して見えたのではないでしょうか。
彩りのないモノクロの世界と、意図的に狭められた画角。これらが見事にドニアの心象風景を反映しており、私たちは自然と彼女の内面に寄り添うように物語を追いかけることになります。

さらに少し調べてみると、この映像表現にはもう一つ、深い意図があるようです。撮影監督のローラ・ヴァラダオは、都会の絶望を描くような硬質でハイコントラストなモノクロではなく、柔らかく自然な光を多用しているとのこと。
その結果、色彩の「不在」はドニアの心の状態を物語りながらも、光の「質」そのものは彼女の世界に温かさや優しさを与え、観る者に深い共感を抱かせるという、見事な視覚的効果を生み出しているのです。冷たく突き放すのではなく、静かに、しかし人間的な眼差しで彼女を見つめる。この映像の力こそが、本作の優しさの源泉なのかもしれません。
ジム・ジャームッシュの魂を受け継ぐ、オフビートなユーモア
そもそも私が本作に惹かれたのは、「ジム・ジャームッシュ監督への言及」でした。そして実際に鑑賞してみると、その影響は随所に感じられました。
多くの批評でも指摘されているようですが、本作はジム・ジャームッシュやアキ・カウリスマキ監督作品を彷彿とさせる、デッドパン(無表情)でオフビートなユーモアに満ちています。
例えば、ドニアが通う精神科医とのセッション。善意はあるものの、どこか滑稽で頼りないアンソニー医師は、教科書通りの診断を下そうと奇妙な質問を投げかけます。この噛み合わない会話がもたらすシュールな笑いは、彼女が抱えるトラウマの複雑さを、既存の枠組みでは到底理解できないことを逆説的に示しているようです。
この独特のユーモアは、ただ面白いだけではありません。登場人物たちを憐みの対象として突き放すのではなく、その世界の不条理さを主人公と「共に」笑うような感覚を観客に与えてくれます。これにより、私たちはドニアと奇妙な連帯感を覚え、彼女の世界にそっと招き入れられるのです。
ある難民の「存在」そのもの ― 主演アナイタ・ワリ・ザダの静かなる名演
本作は、ジェレミー・アレン・ホワイト(『アイアンクロー』)といった注目の俳優も出演していますが、主演のドニアを演じるアナイタ・ワリ・ザダや、その他の俳優陣の多くは、私にとって馴染みのない方々でした。しかし、有名俳優が出演していないからこそ、先入観なく、まっさらな気持ちで物語に没入できたのは、かえって幸運だったと感じています。
特に、主演女優について少し調べてみたとき、私が感じた「没入感」の理由がはっきりとわかりました。
実は、ドニア役を演じたアナイタ・ワリ・ザダさんは、実際に2021年にアフガニスタンのカブールから逃れてきた元ジャーナリストなのだそうです。この事実は単なる映画の裏話ではなく、本作の持つ力と誠実さの根幹をなす要素だと感じます。
彼女の演技には、作り出すことのできない、揺るぎない真正性が宿っています。彼女の静けさや物憂げな眼差しは、単なる演技ではなく、語られざる歴史をその身に背負う者の、重みを伴った沈黙なのです。監督が「同情されるべきキャラクター」ではなく「一人の人間」を撮りたかったという願いが、このキャスティングによって究極の形で実現されているように思えました。
人生は劇的ではない。だからこそ見つかる静かな希望
本作では、人生が180度変わるようなドラマチックな出来事は起こりません。しかし、だからこそ私たちの日常に寄り添うような、ささやかな幸せのかすかな光を見出すことができます。
ドニアが取った「電話番号をクッキーに紛れ込ませる」という一つのアクション。 それは決して、彼女の人生のすべてを解決する魔法ではありません。しかし、その小さな行動によって、閉ざされていた彼女の人生が、ほんの少しだけ、静かに変わり始めるかもしれない――本作は、そんな「希望の芽吹き」を何よりも丁寧に描いています。

そして、その希望を象徴する存在こそが、物語の後半に登場する修理工のダニエル(ジェレミー・アレン・ホワイト)なのです。彼は救世主として現れるわけではありません。彼もまた、不器用で孤独な一人の人間です。だからこそ、二人の間に生まれるかもしれないおぼつかない繋がりは、おとぎ話のようではない、現実的で、脆く、そして本物の「始まり」の予感として私たちの心に響くのです。
観終わった後には、心が少しだけ温かくなり、前向きな気持ちになれる。大作映画がくれるような大団円の爽快感とは違いますが、日常の些細な気づきや、ほんの少しの勇気ある行動が、自分の人生を良い方向に変えるかもしれない、という静かで力強いメッセージを受け取ることができるでしょう。
まとめ
全編が白黒の映画と聞くと、少し観るのに抵抗がある方もいるかもしれません。また、話題の超大作とほぼ同時期の公開というのは、少し不憫にも感じてしまいます。
しかし、この『フォーチュンクッキー』には、大作映画では決して味わえない奥深さと、心にじんわりと広がる趣が確かに存在します。
静かで、心に染みる一本を求めている方。 日々の喧騒に少し疲れて、穏やかな時間を過ごしたい方。 そんなあなたは、ぜひ劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。きっと、あなたの日常にもささやかな幸運が隠されていることに気づかせてくれるはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 あなたはこの映画から、どんなメッセージを受け取りましたか? もしよろしければ、ぜひコメントで教えてくださいね。
- IMDb『フォーチュンクッキー』
キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。