映画『メリー・ポピンズ』基本データ
- 原題: Mary Poppins
- 公開年: 1964年(アメリカ)、1965年(日本)
- 監督: ロバート・スティーヴンソン
- 主要キャスト:
- ジュリー・アンドリュース(メリー・ポピンズ)
- ディック・ヴァン・ダイク(バート)
- デヴィッド・トムリンソン(ジョージ・バンクス)
- グリニス・ジョンズ(ウィニフレッド・バンクス) ほか
- 上映時間: 139分
- 主な受賞歴:
- 第37回アカデミー賞:主演女優賞、作曲賞、歌曲賞、編集賞、特殊視覚効果賞 を受賞(作品賞など計13部門ノミネート)
- 視聴方法(2025年8月現在):
- Amazon prime video など各種動画配信サービスで配信中
- DVD・Blu-ray 発売中
- ※「午前10時の映画祭」など、期間限定で劇場公開される場合もあります。
この記事でわかること
- 名作『メリー・ポピンズ』を大人が観ると、なぜ学生時代と感想が変わるのか
- ウォルト・ディズニーが込めた「人を楽しませる」哲学と社会への深いメッセージ
- 物語の本当の主人公は誰? バンクス氏の視点から見えてくる家族の再生の物語
- 「狂気的」なファンタジーシーンに込められた、現実を変える力の秘密
- 今も心に響く「お砂糖ひとさじで」など、シャーマン兄弟による名曲の魅力
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。 数ある映画ブログの中から、この記事を見つけてくださって本当に嬉しいです。
今回は、1964年に公開されたディズニーの不朽の名作、ロバート・スティーヴンソン監督の映画『メリー・ポピンズ』をご紹介します。
「なぜ今、メリー・ポピンズ?」と不思議に思われるかもしれませんね。実は、現在「午前10時の映画祭」でリバイバル上映されており、「これは観るしかない!」と劇場へ足を運んだのがきっかけです。このブログでも時々片鱗が出るように、私はディズニーが大好き。鑑賞の前日には東京ディズニーシーを満喫していたこともあり、まさにディズニー漬けの幸せな日々でした。
実は私、大学生の頃に一度この映画を観たことがあるのですが、正直なところ、当時はそこまで心惹かれなかったんです。しかし、社会人になり、様々な経験を重ねた今、改めてスクリーンで向き合った『メリー・ポピンズ』は、全く違う輝きを放っていました。「なんて素晴らしい作品なんだ…」と、心の底から感動が込み上げてきたのです。
この記事では、なぜ社会人になった今、『メリー・ポピンズ』が全く違う輝きを放って見えたのか? その理由を、かつての私と同じように「昔観たけど、あまりピンとこなかった」と感じているあなたに向けて、熱を込めて語らせてください。きっと、週末にもう一度観返したくなりますよ。
あらすじ
舞台は1910年のロンドン、桜通り17番地。銀行家のバンクス家では、やんちゃなジェーンとマイケルの姉弟に、乳母が次々と辞めてしまい困り果てていました。そんなある日、東風に乗って、一本の傘を差した不思議な女性が空から舞い降りてきます。彼女こそ、新しい乳母のメリー・ポピンズです。
指を鳴らせば散らかった部屋が片付き、カバンの中からは大きな家具が次々と飛び出す…。そんな魔法が使える美しくもちょっぴり厳しいメリーに、子どもたちはすぐに夢中になります。しかし、厳格で「規律と秩序」を重んじる父、ジョージ・バンクス氏は、彼女の型破りなやり方が気に入りません。
メリー・ポピンズがバンクス家にもたらした魔法のような日々は、やがて家族一人ひとりの心に、大きな変化をもたらしていくのでした。
作品の魅力
ここからは、私が本作を再鑑賞して特に心を揺さぶられたポイントや、その背景にある深いテーマについて、少し掘り下げてみたいと思います。
なぜ大人になると、こんなにも心に響くのか?
大学時代に本作を観たとき、私はそのストーリーに没入できませんでした。実写とアニメーションの見事な融合は、技術的な革新として理解はできても、物語の核心にある魅力に気づけなかったのです。当時の私には、ただただ脈絡のないファンタジーシーンが続く、ポップコーンムービーのように映っていました。
しかし、今回改めて鑑賞して、その印象は180度覆されました。この映画は、決して子どもだましのおとぎ話ではありません。ウォルト・ディズニーという一人の人間の「人を楽しませたい」という哲学、そして1960年代という時代が抱えていた光と闇、その中で旧弊を打ち破ろうとする力強いメッセージが、フィルムの隅々にまで焼き付けられていたのです。

ディズニーの魔法か、原作者の魂か
この映画が持つ独特の温かさと、どこかミステリアスな雰囲気はどこから来るのだろう? そう思って本作について少し調べてみると、ウォルト・ディズニーと原作者P.L.トラヴァースの間に、20年にもわたる壮絶な創造性の戦いがあったことを知りました。
トラヴァースの原作におけるメアリー・ポピンズは、もっと厳格で、虚栄心が強く、神秘的で、時には少し怖い存在だったようです。一方、ウォルトが目指したのは、誰もが楽しめる、心温まる普遍的なエンターテイメントでした。アニメーションや歌を盛り込むことに、トラヴァースは最後まで強く反対したといいます。
この二人の哲学的な衝突が、結果として映画版『メリー・ポピンズ』に、他に類を見ない深みを与えました。ジュリー・アンドリュースが演じるメリーは、ディズニー的な明るさや優しさを持ちながらも、原作が持つ超然とした態度や謎めいた雰囲気を残しています。「ほとんど完璧(Practically perfect)」という自己評価は、彼女がどちらか一方の理想ではなく、この創造的な対立から生まれた、絶妙なバランスの上に立つ存在だからこそ、しっくりくるのかもしれません。
物語の真の主人公は“お父さん”だった
そして、今回の鑑賞で雷に打たれたような衝撃を受けたのが、「待って…この物語、本当の主人公は子どもたちじゃない。お父さんのバンクス氏だ!」という、自分の中での大発見でした。
彼は、家庭では絶対的な権威を振りかざす家父長制の象徴。しかし、一歩外に出れば、銀行という組織の歯車として、上司の顔色をうかがいながら働いています。「社会とはそういうものだ」と自分に言い聞かせ、敷かれたレールの上を歩くしかない彼の姿は、当時の社会が抱える息苦しさそのものです。
メリー・ポピンズがもたらす魔法の数々は、実は子どもたちを喜ばせるためだけのものではありません。その本当の目的は、バンクス氏が築き上げた「規律と秩序」という壁に風穴を開け、彼の凝り固まった価値観を解放することにあるのです。そう、メリー・ポピンズは子どもたちのための乳母に見えて、その実、仕事と社会の歯車に心をすり減らし、本当に救いを求めていたバンクス氏自身の“心のナニー”だったのです。
この映画で、ある意味「悪役」として描かれているのは、怪物や魔女ではありません。バンクス氏が勤める「ドース、トムズ、モーズリー、グラブス信託銀行」そのものです。喜びのない蓄財と貪欲さを象徴する冷たい組織で、彼の人間性はすり減っていきます。そんな彼が最終的に銀行をクビになり、キャリアを失うことで、初めて家族と凧を揚げるという非物質的な喜びに目覚める。この物語は、子ども向けのファンタジーという優しい仮面の下で、資本主義的な価値観からの解放という、非常に力強いメッセージを投げかけているのです。
現実を壊すための「狂気的」ファンタジー
では、どうすればその息苦しい現実を打ち破れるのか? その答えこそが、メリー・ポピンズが見せる「ファンタジーの力」だと、私は感じました。
特に、絵画の中の世界に入り込み、実写とアニメーションが融合する「おかしな休日(Jolly Holiday)」のシーン。大学生の頃の私には、この脈絡のない長尺のミュージカルシーンの意味が分かりませんでした。
しかし、今なら分かります。常識や社会通念といった、時に腐りきった現実には、そのくらい振り切った「狂気」ともいえるファンタジーでなければ立ち向かえない、という作り手の信念がここにあるのではないでしょうか。敷かれたレールから一度目をそらし、頭を空っぽにして、意味不明なほどの楽しさに身を委ねる。そうして初めて、現実を違う角度から見つめ直し、それを変える力が生まれるのです。
これこそ、あの魔法の空間「ディズニーランド」を創り上げたウォルト・ディズニーの頭の中そのものであり、彼にしか成し得ない映像化だと考えると、すべてが腑に落ちます。
心に染みる名曲と、圧巻のパフォーマンス
本作の魅力を語る上で、シャーマン兄弟が手掛けた音楽の素晴らしさは絶対に外せません。
「チム・チム・チェリー」や「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」など、誰もが知る名曲揃いですが、社会人になった今の私の心に最も深く染み渡ったのは、「お砂糖ひとさじで(A Spoonful of Sugar)」でした。
スプーン一杯のお砂糖で 苦い薬も飲めるのよ A Spoonful of Sugar helps the medicine go down
子どもたちが散らかった部屋の片付けを嫌がる場面で歌われるこの曲は、「どんな退屈な仕事でも、見方を変えればゲームになる」という、シンプルで力強い人生の哲学を教えてくれます。学生時代は何気なく聴き流していましたが、日々の仕事に追われる今、この歌詞が胸に響き、「ああ、私の中にもメリー・ポピンズがいてくれたら…」と、思わずにはいられませんでした。
また、屋根の上で煙突掃除人たちが繰り広げる「ステップ・イン・タイム(Step in Time)」の圧巻のダンスシーンも見どころです。このシーンは単なる楽しいダンスナンバーではなく、銀行の無菌的な世界とは対照的な、労働者階級の連帯と抑えきれない喜びの祝祭として描かれています。この解放的なエネルギーこそ、バンクス氏が失っていたものなのです。
もちろん、メリー・ポピンズを演じたジュリー・アンドリュースの驚くほど清らかな歌声、バート役のディック・ヴァン・ダイクとの息の合ったパフォーマンス、そして今見ても全く古びない素晴らしい衣装デザインなど、視覚的な楽しさも満載です。
まとめ
久しぶりにスクリーンで鑑賞した『メリー・ポピンズ』は、私がかつて抱いた印象を遥かに超える、深く、温かく、そして力強いメッセージに満ちた傑作でした。最高のエンターテイメントでありながら、その裏には家族の再生、資本主義への批評、そして凝り固まった現実を打ち破るファンタジーの力といった、普遍的なテーマが巧みに織り込まれています。
ウォルト・ディズニーが本当に伝えたかった魔法は、単に不思議な現象を起こすことではなく、人の心に喜びと希望の灯をともし、凝り固まった心を解き放つことだったのかもしれません。その哲学が、これほどまでに純粋な形で結晶化した作品は、他にないのではないでしょうか。
ディズニーが好きな方はもちろん、かつての私のように「昔観たきりだな」という方にこそ、ぜひ今、改めて観てほしい作品です。きっとあなたの心にも、メリー・ポピンズが「お砂糖ひとさじ」をくれるはずです。
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最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。 あなたはこの映画のどんなところが好きですか?ぜひコメントで教えてください! 週末は、この映画でゆっくりとした時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。きっと新たな発見があるはずです。
- IMDb『メリー・ポピンズ』
キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。