映画『チェンソーマン レゼ篇』基本データ
- 原題: チェンソーマン レゼ篇
- 監督: 𠮷原達矢
- 原作: 藤本タツキ
- 脚本: 瀬古浩司
- 音楽: 牛尾憲輔
- 主要キャスト:
- デンジ: 戸谷菊之介
- レゼ: 上田麗奈
- マキマ: 楠木ともり
- 早川アキ: 坂田将吾
- パワー: ファイルーズあい ほか
- 公開年: 2025年(日本公開: 2025年9月19日)
- 制作会社: MAPPA
- 上映時間: 100分
- 視聴方法(2025年9月現在):
- 全国の劇場で公開中
この記事でわかること
- かつてアニメファンだった映画好きが、なぜ本作に心を奪われたのか。
- TVシリーズから進化した「圧倒的な作画」の正体とその魅力。
- 緩急自在の構成がもたらす、極上の「映画的」体験とは。
- 原作の魅力をいかに増幅させたか、監督の手腕と演出の巧みさ。
- 「アニメはもう卒業した」と感じている人にこそ、本作をおすすめしたい理由。
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。 数ある映画ブログの中から、この記事を見つけてくださって本当に嬉しいです。
このブログで日本のアニメ映画を本格的に扱うのは、私のオールタイムベストの一本としてご紹介した、山田尚子監督の『リズと青い鳥』以来かもしれません。では、なぜ今回、藤本タツキ先生原作の『劇場版チェンソーマン レゼ篇』を取り上げるのか。
実を言うと、私自身、かつては深夜アニメを追いかけている時期もあったのですが、歳を重ね、様々な映画に触れるうちに、少しずつアニメから距離を置くようになっていました。例えば、今や世界的な大ヒットコンテンツとなった『鬼滅の刃』。ちょうど第1話が放送された頃が、私がアニメから離れ始めた時期と重なり、ハードディスクに録画は残っているものの、一度も再生しないまま今日に至っています。当然、歴史を塗り替えた『無限列車編』も、現在大ヒット中の『無限城編』も観ていません。映画ファンであればあるほど、心のどこかで「所詮はアニメ」と、少し斜に構えてしまう部分があったのかもしれません。
そんな私が、再び『チェンソーマン』という作品に心を鷲掴みにされることになりました。
最初のきっかけは、米津玄師さんの「KICK BACK」でお馴染みの、TVシリーズのオープニング映像が、数々の映画へのオマージュで構成されていると知った時でした。非常に興味を惹かれましたが、それでもまだ、視聴には至りませんでした。決定打となったのは、同じ藤本タツキ先生が手掛けた『ルックバック』です。批評家から絶賛の声が相次ぐ中、劇場へ足を運んだ私は、タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を思わせる引用を散りばめながら、あれほどまでに美しく、普遍的な物語を紡ぎ上げるその手腕に、ただただ衝撃を受けました。「この作家は、ただの少年漫画家とは一線を画す存在だ」と。
その後、TVシリーズのエンディングが毎回変わるという斬新な試みにも背中を押され、ついに今年の正月に一気見。見事に夢中になり、今回の劇場版公開を迎えました。正直なところ、「わざわざ映画館で観る必要があるだろうか」「IMAXでやるほどの作品なのか?」と、まだ少しだけ懐疑的な自分がいたことも告白します。
しかし、鑑賞を終えた今、その考えは180度覆されました。 結論から言います。めちゃくちゃ面白かったです。
今回は、アニメオタクを卒業し、少しだけひねくれた視点を持つようになってしまった一人の映画好きとして、本作がいかにして私の心を奪っていったのか、その魅力を語っていきたいと思います。
あらすじ
※本作はTVシリーズの正統な続編です。物語の核心に触れるネタバレの可能性にご注意ください。
チェンソーの悪魔ポチタと契約し、その心臓を持つことで「チェンソーマン」として戦う少年デンジ。公安対魔特異四課のデビルハンターとして、ゾンビの悪魔やコウモリの悪魔といった強敵との死闘を乗り越えてきた彼は、憧れの上司であるマキマとのささやかなデートに心を躍らせていました。
そんなある日、雨宿りのために立ち寄った電話ボックスで、彼は「レゼ」というミステリアスな美少女と出会います。近所のカフェで働いているという彼女に微笑まれ、デンジは生まれて初めての甘酸っぱい感情に戸惑いながらも、急速に二人は距離を縮めていきます。夜の学校に忍び込み、プールで泳ぎを教わるひとときは、デンジにとってまさに夢のような時間でした。
しかし、その運命的な出会いが、彼のささやかな日常と命を、巨大な爆発音と共に吹き飛ばすことになるのを、彼はまだ知りません。

作品の魅力
ここからは、私が特に心を揺さぶられたポイントについて、少し掘り下げて語らせてください。
観客をねじ伏せる「圧倒的な作画」の正体
まず何よりも称賛したいのが、息を呑むほどのアクションシーンです。
アニメファンの間でよく使われる「神作画」という言葉。アニメ好きとして様々な作品に触れる中で、私にとってのその基準となっていたのが、金字塔として名高い『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のメカニックの緻密な動きや、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』で描かれた、弐号機VSエヴァ量産機の、重力や質量まで伝わってくるような壮絶な戦闘描写でした。
しかし本作の戦闘シーンは、そうした過去の傑作が持つ重厚さとはまた別のベクトルで、私がこれまで持っていた「すごい作画」という基準を根底から覆すような、革新的な映像体験でした。
爆発の閃光で画面が一瞬モノクロになり、コマ送りのようにアクションを見せる演出。スクリーンを埋め尽くす、カラフルで芸術的な爆発の数々。一体何が起きているのか把握するのがやっと、というほどの圧倒的なスピード感。それでありながら、目で追えないわけではない、計算され尽くしたカメラワークとアクションの振り付け。正直、愕然としました。「もしかして今のアニメって、全部このクオリティが標準なの?」と。もしそうなら、社会現象になった『鬼滅の刃』を観てしまったら、私の価値観は一体どうなってしまうんでしょう…。完全に浦島太郎です。

鑑賞後、あまりの衝撃に本作について少し調べてみると、このクオリティには明確な理由があることが分かりました。本作の監督を務めるのは、TVシリーズでアクションディレクターを担当した𠮷原達矢監督です。TVシリーズは、一部で「映画的リアリズム」を追求するあまり、原作の持つ熱狂的なエネルギーが少し抑制的になっている、という評価もありました。しかし、その中でも𠮷原監督が手掛けたアクションパートは、普遍的な称賛を集めていたようです。
制作スタジオのMAPPAは、その「最も評価された部分」の責任者を、プロジェクト全体の舵取り役に抜擢したのです。これは、スタジオが『チェンソーマン』という作品の本質を、静かな日常描写ではなく、爆発的で、感情が剥き出しになる瞬間にこそ見出したという、強い意思表明に他なりません。『ブラッククローバー』といった作品で、ハイスピードなアクション演出に定評のある𠮷原監督に指揮権を委ねることで、アニメ版『チェンソーマン』は、原作の持つ狂気的なエネルギーをスクリーンに解き放つことに、見事に成功したのです。
緩急自在の「映画的」な物語建築術
本作が優れているのは、アクションだけではありません。物語全体の構成、特にその緩急のつけ方が、まさに「映画的」と呼ぶにふさわしい見事さでした。
映画の前半は、デンジとレゼの出会いや夜の学校でのひとときなど、二人の時間を非常に丁寧に、スローテンポで描いていきます。
この穏やかで、少し退屈にすら感じるほどの時間の流れが、後に訪れる破滅的な非日常との鮮烈な対比を生み出しています。この映画が単なるノンストップ・アクションではなく、デンジが経験する束の間の「日常」の儚さや質感を大切に描こうとしていることが、前半の丁寧な描写から伝わってきました。

そして、夏祭りのデートで二人の距離が最も近づいたかと思った瞬間、その甘い時間は悪夢のような裏切りによって粉々に打ち砕かれます。そのシーンを境に、物語はジェットコースターのように一気に加速します。
この構成は、どこか『ドラゴンボール超 ブロリー』を彷彿とさせました。多くの少年漫画にあるような、一度敗北した後の修行パートや、リベンジのための作戦会議といった「タメ」の時間が一切なく、「承・転・結」が一気に押し寄せてくるような圧倒的な疾走感。
本作を観て特に見事だと感じたのが、その完璧なまでに左右対称な物語構造です。
物語の前半で、デンジが「普通の青春」を経験する幸福な「上昇」を描き、ロマンスが頂点に達する瞬間に訪れる衝撃的な「裏切り」を境に、全てが破壊されていく絶望的な「下降」へと転じます。この美しくも残酷な構成は、おそらく藤本タツキ先生の原作の時点で既に完成されているのでしょうが、本作はそれを映画というフォーマットで見事に「増幅」させているように感じました。
特に、マキシマム ザ ホルモンの挿入歌『刃渡り2億センチ』が流れるタイミングは、もはや反則級のかっこよさ。絶望的な状況からの大逆転劇という、少年漫画の「一番おいしいところ」が全部詰まっています。理屈抜きでブチ上がるこの感覚、ぜひ大音響で体験してほしいです。
感覚への攻撃:魂を揺さぶる音楽と声の力
本作の体験を語る上で、音響設計の巧みさは欠かせません。TVシリーズに引き続き、音楽を担当するのは牛尾憲輔さん。彼の作り出すインダストリアルで刺激的な劇伴は、もはや映像の伴奏ではなく、暴力そのものが聴覚的に現れたかのような、強烈な存在感を放っています。
なんと劇伴の一部は、実際のチェンソーの駆動音をAIに学習させて生成したリズムや音色から作られているんだとか。物語の象徴(チェンソー)が、文字通りフィルムの音楽的構造に織り込まれているという、驚くべき試みです。(『リズと青い鳥』でも似たようなことをやっていましたね!)
そして、先ほども触れたマキシマム ザ ホルモンの挿入歌。絶望的な状況を、アドレナリン全開のパンク・ロック的スペクタクルへと変貌させる、まさに起爆剤として機能していました。
声の演技もまた、この感覚的攻撃の重要な要素です。特に、レゼ役の上田麗奈さんの演技は、本作の感情的な核を見事に体現していました。蠱惑的でミステリアスな「恋人」、冷徹で効率的な「爆弾の悪魔(ボム)」、そして、学校に行ったことのない「一人の少女」という、キャラクターが持つ三重の人格を、驚くべき振れ幅で演じ分けています。彼女の甘美な響きと、爆発的な絶叫のコントラストが、レゼという存在の悲劇性をより一層際立たせていました。
まとめ
正直に告白すると、本作は鑑賞後に長く心に残り、人生について深く考えさせられるようなタイプの作品ではないかもしれません。しかし、「ああ、面白かった!」と心の底から満足できる、こういうストレートなエンターテイメント体験が与えてくれる幸福感は、何物にも代えがたいものがあります。
実はこの日、私は午前中にウェス・アンダーソン監督の新作『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』も観ていました。独特の美しいルックで、どこか長尺のコントのようでもある、いつもの魅力的なウェス・アンダーソン作品でしたが、正直なところ、途中で何度かウトウトしてしまったのです。しかし、その私が、本作では上映開始からエンディングまで、文字通り一瞬たりともスクリーンから目を離せませんでした。
もし、かつての私のように「アニメはもう卒業したかな」なんて思っている映画好きがいたら、これだけは言いたい。「頼むから、騙されたと思って観てくれ」と。小難しい理屈や批評なんてどうでもよくなる、純度100%の「楽しい!」が、スクリーンで爆発しています。この熱狂を、ぜひ映画館で“浴びて”ください。
週末は、この美しくも儚い爆発の物語に、身を委ねてみてはいかがでしょうか。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。 あなたはこの映画のどんなところに心を動かされましたか?ぜひ、コメントであなたの感想も教えてください!