映画

『セッション(Whiplash)』徹底レビュー:J・K・シモンズの狂気と音楽の衝撃を解剖!

映画『セッション』基本データ

  • タイトル:『セッション(Whiplash)』
  • 公開年:2014年
  • 監督:デイミアン・チャゼル
  • 主演:マイルズ・テラー(アンドリュー・ニーマン役)、J・K・シモンズ(フレッチャー役)
  • 上映時間:107分
  • 主な受賞歴:第87回アカデミー賞
    • 助演男優賞(J・K・シモンズ)
    • 録音賞、編集賞 など
  • 視聴方法:Amazonプライムビデオ、U-NEXTほか配信サービスにて

この記事でわかること

ラストシーンの衝撃や解釈の違い

「セッション」のあらすじや見どころ

フレッチャーの狂気とJ・K・シモンズの怪演の魅力

デイミアン・チャゼル監督作品に通じる“狂気”のテーマ

はじめに

こんにちは。今回はデイミアン・チャゼル監督の映画『セッション(Whiplash)』をテーマに、私自身の感想や着目ポイントを詳しくまとめてみました。この作品は一見すると”音楽”が題材に見えますが、実は「狂気と情熱」の境界をとことん掘り下げたサスペンス的要素が強く、初めて観た時はかなり衝撃的でした。
実は私、『ラ・ラ・ランド』が大好きで、人生ベスト10に入るくらいの熱烈なファンなんです。昨年はジャスティン・ハーウィッツが自ら指揮を執るシネマオーケストラ公演にも行きました。大スクリーンで映画本編を上映しながら、その場で生演奏を聴けるなんて、オープニングから鳥肌立ちまくりでしたね。そんな思い出もあって、改めて監督の初期作『セッション』を振り返ってみると、当時と今とで自分の感じ方がどう変わったのか非常に気になったんです。いわゆる「学生のときに観た映画」と「大人になってから観る映画」の違いを実感したので、ぜひ共有させてください。

(C)2013 WHIPLASH, LLC. All Rights Reserved.

あらすじ

若くしてジャズ界の頂点を目指すドラマーのニーマンは、名高い音楽学校に入学し、そこで伝説的な指導者と称されるフレッチャーと出会う。優れた指導のもとで花を咲かせるはずが、待っていたのは想像をはるかに超える苛烈な鍛錬だった。どこまでも完璧を追い求めるフレッチャーは、ニーマンの限界に挑むように容赦ない言葉を投げかける。果たしてニーマンは音楽への情熱を貫き通せるのか、それとも心が折れてしまうのか――若きドラマーの葛藤が渦巻く物語が幕を開ける。


作品概要:短いランタイムに凝縮された“音楽スリラー”

『セッション』は約1時間40分ほどの比較的コンパクトな長さながら、冒頭からクライマックスまで怒涛のテンポで進行します。サイドストーリーや余分なシーンがほとんどなく、バンド練習やコンサートの場面を中心に師弟関係の緊張感をギュッと詰め込んでいるため、まるで短編映画のような“密度の高さ”を感じました。
具体的には、次のような演出が凝縮感を高めています。

  • 場面転換がテンポ良く、無駄な説明が少ない
    アンドリュー(主人公)がバンドメンバーになってから指導を受ける流れや、フレッチャー教授の苛烈さは、ほぼ説明なしの“即展開”で見せます。次々と張り詰めたシーンが続くので、観る側は一瞬も気を抜けません。
  • 師弟関係をクローズアップするための省略
    音楽学校の全体像や、ほかの学生の細かい背景などには多くの尺を割かず、フレッチャーとアンドリューの対立・衝突をメインに据えています。その結果、生々しい張り詰めた空気が作品全体を支配し、“密室劇”に近いスリルが生まれているのです。

「音楽映画」と聞くと、華やかな演奏シーンや友情、青春ドラマを期待しがちですが、本作はむしろ“音楽を舞台にした心理戦”という印象が強いと感じました。

フレッチャーの狂気とJ・K・シモンズの恐怖演技

物語の中心を担うのは、鬼教師フレッチャーを演じるJ・K・シモンズ。その演技がとにかく圧倒的です。

  • 怒号と罵倒の嵐
    普通なら教師が生徒に浴びせるような言葉ではない暴言まで次々に飛び出し、観ているこっちが引いてしまうほど。でも、その“暴君ぶり”に真実味を与えるのがシモンズの表情と声の抑揚で、「不気味な優しさ→突然の罵声」という落差がとにかく怖い。
  • 支配者としての存在感
    彼がリハーサル室に足を踏み入れるだけで、一瞬で空気が張り詰めるんです。自信なさげな生徒はもちろん、ある程度腕に覚えのある者ですら震え上がってしまう。その圧倒的なカリスマ性が、「音楽の名門校で最高の教師」としての説得力を持たせています。

ちなみに、もし私がアンドリューの立場だったらあんな指導には耐えられず、即日退学してしまうだろうな…と思わず本気で考えてしまいました(笑)。

(C)2013 WHIPLASH, LLC. All Rights Reserved.

ニーマン(主人公)の“狂気”と視点の変化

一方で主人公アンドリュー・ニーマンも、実は相当「危うい」人物。最初は純粋に“音楽を愛する青年”として登場しますが、フレッチャーの苛立つような追及にさらされるうち、次第に常軌を逸した執念を見せ始めます。

  • 「狂気には狂気で立ち向かう」構図
    アンドリューはフレッチャーに認められるためならば、手が血まみれになっても練習をやめようとしないし、身勝手な行動で周囲を振り回すことすら厭わない。この突き詰め方が「そこまでして成功したいの?」と観客を戦慄させるポイントですが、同時に「そこまでの情熱を注げるものを持つってすごい」と感じる部分もあります。
  • 学生時代と今で印象が変わった理由
    私が最初に観た頃は、「こんなに怖い教師と主人公、どちらも理解不能!」という感想が先行しました。でも大人になってから観ると、“自分がこれほどまでに打ち込める分野を持っている人”に対して少し羨ましさや、ある種のリスペクトを抱くようにもなったんです。限度を超えた先にあるものは破滅なのか栄光なのか、そのギリギリを突き詰めていく人を見ると、ただ引くだけでは終わらない複雑な気持ちになります。

撮影・演出の特徴:逃げ場のないクローズアップとリズム重視の編集

チャゼル監督は本作で「音楽と映像の融合」に挑戦したとよく言われますが、それを支えるのがリズミカルな編集とカメラワークです。

  • 表情を追いつめるクローズアップ
    フレッチャーが怒鳴り散らすとき、あるいはアンドリューが必死にドラムを叩くとき、カメラは容赦なく顔のアップを捉えます。楽器や手元にフォーカスする場面も多く、観客はその「汗や血」の生々しさを目の当たりにせざるを得ません。息苦しいほど人物に迫る構図は、逃げ場のない心理状況を映し出しています。
  • 音楽ビートとシンクロしたカット割り
    ドラムの一打一打に合わせてカメラが動いたり、テンポに合わせてカットが細かく繋がれたりするので、まるで観客も演奏セッションに参加しているかのような没入感を味わえます。
  • アクション映画的な緊張
    監督自身、「音楽映画というよりアクションやスリラーのように撮りたかった」と語っていたとも聞きます。実際、練習シーンの編集はスポ根もののカーチェイスやボクシング試合を彷彿とさせる“攻防戦”のようでした。

デイミアン・チャゼル作品に通底する“狂気”のモチーフ

デイミアン・チャゼル監督が好んで描くのは、「夢や成功を追い求めるあまり常軌を逸してしまう人々」の姿だと個人的には思います。

デイミアン・チャゼル監督が好んで描くのは、「夢や成功を追い求めるあまり常軌を逸してしまう人々」の姿だと個人的には思います。

  • 『ラ・ラ・ランド』と「A bit of madness is key」の歌詞
    『ラ・ラ・ランド』では、物語終盤のオーディション曲「Audition (The Fools Who Dream)」でこんなフレーズが出てきます。
    She told me:
    “A bit of madness is key
    To give us new colors to see”

    ここで主人公ミアは、自分に演技のヒントをくれた伯母の思い出を語るのですが、「少しの狂気こそが新しい視野を開いてくれる」というメッセージが込められています。『セッション』のアンドリューも、まさに“ちょっと狂っている”レベルの打ち込み方を見せた結果、フレッチャーの想定を超える演奏に到達するわけです。
  • 『バビロン』と映画に呑み込まれるキャラクター
    それから私は『バビロン』も好きで、アカデミー賞にあまり絡まなかったのが個人的に悲しかったのですが(当初はもっと話題になるかと思っていたので…)、あの映画でもラストに「映画の歴史を万華鏡的に凝縮したようなカット」がインサートされるシーンがあります。主人公のマニーが膨大なフィルムの断片を目にしながら、まるで“映画という巨大な世界”に呑み込まれるような感覚を覚える場面ですね。
    ここでも“狂気じみた執念”が出てくるわけではありませんが、歴史的にも映像的にも極端なスケール感で「映画とは何か?」を問いかける作りには、監督特有の“突き詰め方”が感じられます。誰もが引きそうなほど過剰な演出をやりきる大胆さは、『セッション』の鋭さとも通じるなと思うんです。

まとめ:限界突破の“熱狂”をどう捉えるか

『セッション』のラストシーンは、アンドリューとフレッチャーが一種の共犯関係のように到達する衝撃的な瞬間で終わります。観る人によっては「救いがある」「いや、恐ろしすぎる」という解釈の分かれるところですが、いずれにせよ“この世には正気だけでは到達できない領域があるのかもしれない”と強烈に印象づける作品だと感じました。
音楽を軸に描かれる師弟の愛憎や、血を流しながらステージに立つ姿が醸し出す熱量は、スリラー的な刺激が苦手な方にとっては見ていて辛いかもしれません。でも、一度観たら忘れられないエネルギーを放っていることは間違いありません。
夢や成功を追うために“少しの狂気”を要すると唱えるチャゼル監督の世界観は、他の作品にも繰り返し登場します。『ラ・ラ・ランド』はポップなミュージカルに仕上がっていますし、『バビロン』は一部の人しかついていけないほど過激かもしれませんが、どれも根底にあるのは「何かを極限まで愛し、そこに自分を捧げる」姿の輝きと危うさ。
私自身、『セッション』を初めて観た時はただただ怖かったのが、今は「こういう狂気的な情熱が人を突き動かすのか…」と、むしろちょっと羨ましく思える部分もあります。あなたなら、この映画の結末をどう感じるでしょうか。ぜひ鑑賞後の感想を教えていただけたら嬉しいです。


おわりに

以上、『セッション』を改めて観返したときの感想と、そこから考えたデイミアン・チャゼル監督作品の共通点などについてお話ししました。音楽映画だと思って気軽に手を出すと、予想外の精神的スリルに飲まれるかもしれないので、ぜひ覚悟を決めて楽しんでみてください。
もしこれから観る方がいたら、鑑賞後はぜひ「あなたにとっての“少しの狂気”は何か?」という視点で考えてみると面白いかもしれません。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

外部リンク

  • IMDb『Sesshon』
    キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。

  • この記事を書いた人

HAL8000

映画と猫をこよなく愛するブロガー。 多いときは年間300本以上の映画を観ていて、ジャンル問わず洋画・邦画・アニメ・ドキュメンタリーまで幅広く楽しんでいます。

専門的な批評はできませんが、ゆるっとした感想を気ままに書くスタンス。 ブリティッシュショートヘア×ミヌエットの愛猫ハルも自慢したいポイントで、レビューの合間に猫写真や日常もたまに紹介しています。

当ブログ「ねことシネマ」で、映画好き&猫好きの皆さんに楽しんでいただけると嬉しいです。
Filmarksはこちら → Filmarks

ぜひお気軽にコメントやリクエストをどうぞ!

-映画