映画『爆弾』基本データ
- 公開日: 2025年10月31日
 - 監督: 永井聡
 - 原作: 呉勝浩『爆弾』(講談社文庫)
 - 脚本: 八津弘幸、山浦雅大
 - 主要キャスト:
- 山田裕貴(類家)
 - 佐藤二朗(スズキタゴサク)
 - 染谷将太(等々力)
 - 伊藤沙莉(倖田)
 - 坂東龍汰(矢吹)
 - 寛一郎(伊勢)
 - 夏川結衣(石川明日香)
 - 渡部篤郎(清宮) ほか
 
 - 上映時間: 137分
 - 主題歌: 宮本浩次「I AM HERO」
 - 視聴方法(2025年11月現在):
- 全国の劇場で公開中
 
 
この記事でわかること
- 普段邦画をあまり観ない私が、映画『爆弾』を鑑賞したきっかけ
 - なぜ本作が「2025年邦画ベスト級」と絶賛されるのか(ネタバレなし)
 - 佐藤二朗さんの圧巻の演技の凄まじさ
 - 複雑なミステリーなのに、観客を混乱させない脚本と演出の見事さ
 - エンタメと文学性を両立させた「怪物」的傑作である理由
 - タイトル『爆弾』に込められた多層的な意味(ネタバレなしの範囲で)
 
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ!
今回は、2025年10月31日に公開された永井聡監督の映画『爆弾』について、ネタバレなしでその魅力を語りたいと思います。
本作は「このミステリーがすごい!」2023年版で1位を獲得した、呉勝浩先生のベストセラー小説の映画化作品です。
実を言うと、公開2日後に鑑賞してきたものの、きっかけはかなり消極的でした。というのも、私は普段それほど邦画を観るタイプではないんです。
映画館で予告編も何度も目にしていたのですが、その作りがかなり特徴的で…。劇中のシーンを一切使わず、真っ暗なスクリーンに登場人物の長いセリフが字幕で映されていくだけ、というもの。正直なところ、そのインパクト重視の作りが私にはあまり響かず、「少し滑っているのでは?」とさえ感じてしまっていました。
そのため、当初『爆弾』を観る予定はまったくありませんでした。 しかし、公開の1週間ほど前から、試写会などで先に鑑賞したシネフィルの方々の評価が、どうも尋常ではないことに気がついたのです。
X(旧Twitter)などで流れてくる感想は、もちろん招待された手前、ネガティブなことは言いにくい状況だとは思います。それでも、皆さん「邦画史上最高傑作」「日本映画の最高到達点」といった、およそ冷静さを欠いたかのような(失礼)本気のトーンで絶賛している印象を受けました。
加えて、同じ週に公開された他の作品にあまり惹かれるものがなかったこともあり、「そこまで言うなら、たまには邦画もいいか」という、少し上から目線(反省しています)の気持ちで劇場に向かったのです。
私の率直な感想は、「めちゃくちゃ良かった」の一言。 これは、2025年に観た邦画でベスト級、いや、近年稀にみる「怪物」級の傑作であり、「事件」を目撃してしまった…そう確信するほどの衝撃でした。
今回は、なぜ私がそこまで本作に衝撃を受けたのか、ネタバレを避けつつ、その凄まじい魅力についてお話ししたいと思います。
あらすじ
酔った勢いで自動販売機と店員に暴行を働き、警察に連行されてきた正体不明の中年男。 彼は自らを「スズキタゴサク」と名乗り、取り調べ中に「霊感が働いた」と嘯き、都内に仕掛けられた爆弾の存在を予告します。
半信半疑の刑事たちでしたが、やがてその言葉通りに都内で爆発が発生。 スズキは「この後も1時間おきに3回爆発する」と告げます。
スズキは尋問をのらりくらりと交わしながら、爆弾のありかに関する謎めいたクイズを出し、刑事たちを翻弄していきます。果たして、刑事たちは次の爆発を止めることができるのか、そしてスズキタゴサクの真の目的とは何なのか……。
※以下、作品の核心的なネタバレはありませんが、魅力をお伝えする上で物語の構造や人物像に触れています。予備知識ゼロで観たい方はご注意ください。
作品の魅力
素晴らしいと思った点は本当にたくさんあるのですが、特に私の心を掴んだポイントを、思いつくままに挙げていきます。
圧巻の「虚無」の演技――佐藤二朗はなぜ“日本のジョーカー”か
まず何よりも、スズキタゴサクを演じた佐藤二朗さんの演技が凄まじかったです。
このスズキタゴサクという人物は、あらすじの通り、とにかく正体不明。内側が読めず、経歴や背景も一切わからない、不気味な存在として描かれます。
その、ある種「ネジが飛んでいる」演技とでも言いましょうか。本質が見えず、正体がわからないという人物像を、とてつもなく巧みに演じていらっしゃいました。
私が本作を観て感じたのは、私たちが知る「いつもの佐藤二朗さん」というパブリックイメージこそが、本作最大の“仕掛け”だったのではないか、ということです。

私たちの中には『勇者ヨシヒコ』や『銀魂』の佐藤二朗さん、つまり「面白い(コメディ俳優)」という印象が強くありますよね。 本作は、そのパブリックイメージを完璧に利用し、観客の目の前で叩き壊すことで、底知れない恐怖を生み出しているんです。
観客は、佐藤さんのコミカルにも見える挙動を見るたびに笑いを期待してしまいますが、その直後に突き落とされるのは、「無邪気な狂気」と「サイコパスな雰囲気」が支配する深淵なのです。
作中でもスズキタゴサクの人物像は「どこか無邪気である」と触れられるのですが、まさにその通り。爆弾が爆発するという冗談では済まされないことを、まるで冗談のように言ってしまう。その得体の知れない無邪気さが見事に表現されていて、「佐藤二朗、すごい」と心から圧倒されました。
過去作では、2022年の映画『さがす』でもシリアスな演技が絶賛されていましたが、本作の演技はそれともまた質が違います。『さがす』が「人間的な葛藤」を感じさせたのに対し、本作のタゴサクは、理解可能な動機や感情が一切存在しない、「空虚さ」そのもの、言うなれば「虚無(カオス)」を演じているように感じられました。
鑑賞した方の多くが感じたかもしれませんが、私はトッド・フィリップス監督の『ジョーカー』を強く連想しました。表情の変化はホアキン・フェニックスが演じたアーサーに近いかもしれませんが、得体の知れない不気味さ、理解不能なカオスという点では、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーに近いかもしれません。
どちらにせよ、強烈に“ジョーカー味”のある役柄です。 これは「日本のジョーカー」と呼ぶべき圧巻の怪演であり、本作は佐藤二朗さんのこの演技なくしては成り立ちません。断言します。
複雑なのに混乱させない、見事な脚本と密室劇
そして、やはり触れざるを得ないのが「脚本」と「演出」の見事さです。 私は原作の小説を未読で鑑賞したのですが、これほど込み入った複雑な物語を、よくぞ137分という上映時間に見事にまとめ上げたなと、ただただ感心しました。
登場人物も多く、あらすじだけを読むと「爆発が起こり、それをほのめかすスズキタゴサクと刑事たちが会話で攻防戦を繰り広げる映画」のように思えます。もちろん、そういう側面もありますが、実際はそれ以上に難解なミステリーになっています。
「過去にこういう事件があり、実はこことここが繋がっていて…」 「現在の時系列では故人だが、過去にこういう人物が…」
といったように、よくできたミステリーにありがちな複雑さや、登場人物が増えていく展開ももちろんあります。
それにもかかわらず、この映画がすごいのは、最初から最後まで集中して観ていて、頭が混乱する瞬間が一度もなかったことです。
複雑なミステリー小説、例えばアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』などを読む時、私は登場人物を把握するのに精一杯で、よく冒頭のページに戻って確認しながら読んでいました。 しかし、映画は勝手に進んでいってしまいますから、「この人、誰だっけ?」となった瞬間に、物語についていけなくなることが多々あります。
ですが、この『爆弾』に関しては、それが一切ありませんでした。 最初から最後まで話に「?」が浮かぶことがなく、もし疑問が浮かんでも、それが後にすべて綺麗に回収され、解き明かされて終わる。この脚本の見事さ、伏線回収の気持ちよさがありました。

また、本作は主に2つのパートで物語が展開される点も特徴的です。
- 【静】のドラマ: 取調室。スズキタゴサク(佐藤二朗)と刑事たち(渡部篤郎、山田裕貴、染谷将太)による密室の会話劇。
 - 【動】のドラマ: 東京の市街地。伊藤沙莉さんと坂東龍汰さんが演じる交番勤務コンビが、爆弾の脅威に直面し、市民を守るために駆け回る。
 
この息詰まる【静】のパートと、緊迫感あふれる【動】のパートがテンポよくカットバックされることで、重いテーマを扱いながらも観客が息苦しくなりすぎるのを防ぎ、2時間強の緊張感を維持させることに成功しています。
あれほど複雑な事件を扱っているのに、観客を混乱させることなく、それでいてエンタメとして抜群に面白い。1本のエンターテインメント作品として、実によくできていました。
誰が主役か?――「怪物」を映す「鏡」としての主人公
個人的に非常に面白いと感じたのは、キャラクター一人ひとりが際立っている点です。
本作のクレジット上の主演は、山田裕貴さん演じる「類家」です。 しかし、見始めると、一見して染谷将太さん演じる刑事の方が主人公のように見える構成になっています。おそらく、前情報なしで観に行ったら、多くの方が「この映画の主演は染谷将太なんだ」と思うはずです。

私も「あれ?主演は山田裕貴じゃなかったっけ?」と混乱したほど、序盤は染谷さんや、ベテラン刑事役の渡部篤郎さんの存在感が際立ちます。
しかし、これこそが本作の巧みな構成だと、観終えてから気づきました。 物語はまず、渡部篤郎さん演じるベテラン刑事や、染谷将太さん演じる刑事たちの視点で進みます。彼らが、スズキタゴサクという「理解不能なカオス」といかに向き合うかが描かれる中で、満を持してその中心に入ってくるのが、山田裕貴さん演じる類家なのです。
類家は、従来の熱血刑事像とは真逆。山田裕貴さんのいつもとは違う、どこか体温の低い「冷淡さ」さえ感じさせる演技が光ります。 彼が、あのスズキタゴサクとどう対峙していくのか。タゴサクが仕掛ける「ゲーム」に対し、類家はどのような「手」で応じるのか。この二人のぶつかり合いこそが、本作の最大の見どころの一つであり、圧巻の演技対決になっていると、私は思いました。
エンタメと文学性の両立(『国宝』との比較)
エンタメとして非常によくできている。この点で、今年同じく社会現象を巻き起こした邦画『国宝』が引き合いに出されるかもしれません。
『国宝』が登場した時、私は「次の日本アカデミー賞は『国宝』が総なめにするだろう」と思いました。しかし、『国宝』と『爆弾』を比較してみると、『爆弾』の方が「誰が観ても面白い」と思える作品になっていると感じます。
これは自信を持って言いたいのですが、エンターテインメントとしての完成度は『爆弾』の方が上だと感じました。
というのも、『国宝』は歌舞伎のお家騒動といった濃密な人間ドラマが3時間続く作品です。普段、人間ドラマよりもアクションやミステリーを好む方や、中高生にとっては、正直『国宝』の3時間は少々きついかもしれない、と私は劇場で感じました。
その点、『爆弾』は、そういった方々でも安心して楽しめる、極上のミステリーサスペンスになっています。
では、『国宝』が描いたような濃密な人間ドラマや芸術性が無いのか?ただのポップコーンムービーなのか?
全く違います。こここそが、『爆弾』が『怪物』たる所以です。エンタメとして抜群に面白いにもかかわらず、その終わり方が非常に「文学的」なのです。
『国宝』のような強烈なメッセージ性や鑑賞後の余韻がなく、「ああ、面白かった」だけで終わる作品では決してない。むしろ、観終えた後には、ある種の「疲弊感」さえ覚えるほどの重い問いを突きつけられます。そこが『爆弾』の本当にすごいところです。
タイトル『爆弾』に込められた本当の意味
多くは語れませんが、この『爆弾』というタイトルが、実に見事につけられていると感じました。
作品の最後のあるセリフが、非常に文学的な締めの一言となっており、深く考えさせられます。 そして、先ほど述べた「山田裕貴が主演っぽく見えない」という点。彼が演じる「類家」という人物が、とある瞬間から主役側に回る構造。これはまさに、彼自身がこのタイトルにもなっている「爆弾」を抱えているからなのです。
つまり、「爆弾」とは単なる物理的な爆発物(Bomb)という意味だけではなく、人が心の中に抱える「何か」をも指す、多層的なワードなのです。
では、その「爆弾」はいつ作動するのか? 物理的な爆弾には時限式のものもあれば、犯人が設定した特定の条件で起爆するものもあります。しかし、人が心の中に抱える「爆弾」が作動するタイミングは、人それぞれ違うのではないか。
そして、それを抱えていたとして、爆発させるかさせないかは、その人次第…。 いや、もしかしたら、誰もがそれを抱えながら生きているのでは…?
このように、鑑賞しながら、そして鑑賞後も深く考えさせられる作品である点も、本当に素晴らしいと感じました。
まとめ
今回は、永井聡監督の映画『爆弾』を紹介しました。
もし今、「映画館で何か一本観るなら、何がおすすめ?」と聞かれたら、私は間違いなく『爆弾』と答えます。それほど素晴らしい作品でした。
予告編の印象で敬遠していた過去の自分を反省しています。 ミステリーサスペンスとして抜群に面白く、エンターテインメントとして超一級品でありながら、鑑賞後には「文学的」としか言いようのない深い余韻と、重い問いを残していく。
こんな映画体験は、滅多にできるものではありません。 これはもはや「映画」というよりも「事件」です。 ぜひ、この「事件」の目撃者として、劇場に足を運んでみてください。 佐藤二朗さんの「日本のジョーカー」とも言うべき圧巻の演技は、一見の価値ありです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 皆さんは、この『爆弾』という作品、そして佐藤二朗さんの演技に何を感じましたか? もしよろしければ、ぜひコメントで教えてください!
それでは、また次回の『ねことシネマ』でお会いしましょう。