映画『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』基本データ
- 原題:The Mandalorian and Grogu
- 邦題:スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー
- 監督:ジョン・ファヴロー
- 脚本:ジョン・ファヴロー、デイヴ・フィローニ、ノア・クローア
- 撮影:デヴィッド・クライン
- 音楽:ルドウィグ・ゴランソン
- 主要キャスト:
- ペドロ・パスカル(ディン・ジャリン/マンダロリアン)
- シガニー・ウィーバー(ウォード大佐)
- ジェレミー・アレン・ホワイト(ロッタ・ザ・ハット/声の出演) ほか
- 公開日:2026年5月22日(日本)
- 上映時間:132分
- ジャンル:SF、アクション、アドベンチャー
- 視聴方法(2026年5月現在):
- 全国の劇場で公開中
この記事でわかること
- 7年ぶりの劇場版スター・ウォーズが「予習ほぼ不要」で観られる理由
- ライトセーバーが出てこないスター・ウォーズという、シリーズ内での特殊な立ち位置
- ディン・ジャリンとグローグー、「保護」から「教育」へと移っていく関係性の見どころ
- パペットや実物造形と最新VFXが融け合う、触感のある画づくりの楽しさ
- 良くも悪くも小さなスケール感を、それでも劇場で観るべきと感じた理由
はじめに
『ねことシネマ』へようこそ! 7年ぶりの劇場版スター・ウォーズ、皆さんはもうご覧になりましたか?
今回ご紹介するのは、2026年5月22日に日本公開されたジョン・ファヴロー監督の最新作『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』です。私は公開翌日、近所のIMAXで早速観てきました。
スター・ウォーズの新作は、それだけで「一本の映画の公開」というより「ひとつのイベント」として成立してしまう特別なシリーズです。エピソード9『スカイウォーカーの夜明け』から、なんと7年。Disney+の配信ドラマ『マンダロリアン』を経由してたどり着いた本作には、「予習しないとついていけないのでは?」という不安を抱いていた方も多いのではないでしょうか。
正直に告白すると、私自身がそのタイプでした。ドラマシリーズ3シーズンと『ボバ・フェット』を一応観てはいたものの、内容の細部はだいぶ曖昧。「この状態で劇場に行って大丈夫なのか?」という心配を抱えながらの鑑賞でした。
結論から言ってしまうと、この心配はまったくの杞憂でした。本作は 予習なしで、本当に観られます。それどころか、「スター・ウォーズに今からどう入ればいいか」というあの永遠のテーマに対して、新しい有力な答えを差し出した作品でもあるように感じています。
ここから先は、ライト勢として観た一鑑賞者の目線で、思ったままを書いていきます。「観に行くかどうか迷っている」という方の判断材料になれば嬉しいです。
あらすじ
物語の舞台は、銀河帝国が崩壊した後の時代。『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』のその後の世界です。
帝国は倒されたものの、新共和国の統治はまだ銀河の隅々まで行き届いていません。法の届かない辺境では無法者が幅を利かせ、帝国軍の残党は各地で軍閥のように再結集しつつある。表向きの平和の裏側で、銀河は依然として不穏な空気に包まれていました。
そんな中、強大なフォースを秘めた孤児・グローグーは、その力を狙う者たちに追われる立場にあります。彼を守ることを決意した賞金稼ぎ、ベスカー合金の鎧を身にまとった「マンダロリアン」ことディン・ジャリンは、危険に満ちた銀河を旅しながら、グローグーと次第に親子のような絆を育んでいきます。
そんな彼らのもとに、新共和国軍のウォード大佐(シガニー・ウィーバー)が依頼を持ち込みます。台頭しつつある帝国残党の脅威を食い止めるため、二人の手を借りたいと。義理堅いマンダロリアンと、愛おしい相棒グローグー。この凸凹コンビが、銀河の運命を左右する新たな任務へと飛び込んでいく――。
これが本作の大まかなあらすじです。

作品の魅力
ここからは、本作を観て「あ、これは思っていたよりずっと懐が深い映画だな」と感じたポイントを、いくつかに分けて書いていきます。
予習なしで飛び込める、稀有な「単独完結型」スター・ウォーズ
冒頭でも書きましたが、本作の最大の手柄はやはり「予習なしで観られる」という一点に尽きます。
スター・ウォーズという作品は、長い歴史と無数のスピンオフを抱える巨大シリーズです。エピソード1〜9、アニメーション作品、Disney+のドラマシリーズの数々。それらの相関を完全に把握している人は、もはやファンの中でも限られた存在になりつつあるはずです。
本作は、その複雑な系図のど真ん中に切り込みつつ、観客にはほとんど予備知識を要求しません。最低限知っておくとよいのは「『ジェダイの帰還』の後の時代」「帝国の残党と新共和国が並立している」「マンダロリアンは賞金稼ぎ、グローグーはフォースを秘めた小さな存在」というくらい。これだけあれば、もう劇場に飛び込んで大丈夫です。
ドラマ版のキャラクターも一応登場しますが、彼らの背景を知らなくても物語の理解には支障が出ません。ドラマはドラマとして、映画は映画として、きれいに閉じているのです。
これは、ここ数年のフランチャイズ映画がしばしば抱える「シリーズ内宿題地獄」を考えると、かなり貴重な作りです。最近で言えばMCU版の『ファンタスティック4』が同じように「単体で観られる」設計になっていましたが、本作はそのスター・ウォーズ版とも言えるポジションに立っています。
「スター・ウォーズはどこから観ればいいの?」という質問に、これからは『マンダロリアン・アンド・グローグー』を挙げてもいいのではないか。そう思える一本でした。
ライトセーバーが出てこないという、ひとつの発明
もう一つ、本作の不思議な手触りを作っているのが、 ライトセーバーがほとんど物語の中心に来ないという点です。
スター・ウォーズと聞いて多くの方が思い浮かべるのは、ジェダイがライトセーバーを振り回し、火花を散らす剣戟のイメージではないでしょうか。フォースの神秘、選ばれし者の血統、銀河規模の親子の対決。シリーズはずっと、そうしたモチーフに支えられてきました。
でも本作の主人公マンダロリアンは、ジェダイではありません。ライトセーバーは振りません。フォースについても、グローグーが使う不思議な力としては登場しますが、「フォースとは自然界のつながりであり……」というような神話的掘り下げは控えめです。本作におけるフォースは、グローグーが持つ可愛らしい超能力、くらいの距離感に置かれています。
敵勢力もまた、シリーズ全体に関わる大仕掛けは抱えていません。基本的には帝国軍の残党であり、「実は誰々の隠し子でした」「過去作のあの人物が再登場します」といった種類のサプライズは仕込まれていない。シリーズの巨大な神話的構造から、本作はほんの少しだけ距離を置いている、と言ってもいいでしょう。
その代わりに本作が描くのは、 スカイウォーカーの血を引いていない男の物語です。ディン・ジャリンは特別な血統に生まれたわけでもなく、ジェダイのように選ばれた力を持っているわけでもない。彼が持っているのは、ベスカー合金の鎧と、自分が見つけた大切なものを守り抜こうとする意志、ただそれだけです。
血統でも才能でもなく、 誓いの強度だけで銀河に居場所を作っていく人物。これは、シリーズの中ではかなり新しい主人公像だと思います。本作はそんな彼を、ちゃんと劇場規模で迎えてくれている。それが嬉しい一本でもありました。
そしてもうひとつ。その彼に新共和国側から声をかけるウォード大佐を、シガニー・ウィーバーがやっている。たったそれだけで、画面に出てくる場面の重力が変わります。シリーズに馴染みのない大物が、しれっと物語の中心軸に座っている安心感。これも本作の地味な美点でした。
「保護」から「教育」へ──ディン・ジャリンとグローグーの、次の段階
タイトルが『マンダロリアン』単独ではなく 『マンダロリアン・アンド・グローグー』となっていることには、はっきりとした理由があります。本作は、二人の関係性の物語であり、そして その関係が次の段階へ移っていく物語だからです。
ドラマシリーズを通して、ディン・ジャリンはずっと「守る人」でした。グローグーは、追われ、隠され、抱えられて旅をする「守られる存在」だった。けれど本作のディン・ジャリンは、もう少し違う顔を見せ始めます。彼はグローグーを、ただ抱えて守るのではなく、 一緒に戦う相棒として現場に連れていくようになるのです。
それは、親が子をいつまでも抱きかかえているわけにはいかないと気づいた瞬間に少し似ています。守るだけの関係から、教える関係へ。庇うだけの距離から、隣に立たせる距離へ。本作の二人の関係は、その繊細な移行のただ中にあります。
そしてグローグーもまた、それに応えるように成長を見せます。台詞は一切ありません。それでも、彼の身体の動き、視線、ちょっとした仕草の積み重ねだけで、彼が 「守られる赤ちゃん」から「自分で判断する小さな弟子」へ変わっていく様子がくっきりと伝わってくる。これは凄いことです。
正直、何度かグッときました。なんなら少し涙ぐみそうにもなりました。グローグーが小さな手で何かを掴もうとする一瞬。ディン・ジャリンが、抱き上げるのではなくあえて見守ろうとする一瞬。そうした細部の積み重ねが、二人の関係を確かに前へ進めていきます。
劇場の大きなスクリーンで、こうした親密で繊細な関係性を、腰を据えて見せてもらえたこと。それだけで、本作を劇場で観た意味はあったと思います。

パペットとストップモーションが息づく、「toy box」のような映画
技術面で本作がとても豊かなのは、 最新のVFXと、昔ながらの手仕事が同じ画面の中に同居していることです。
グローグーは、完全なCGキャラクターではありません。実体のあるパペットを職人たちが操って動かし、表情を作り、命を吹き込んでいます。本作にはそれ以外にも、たくさんのクリーチャーが登場しますが、その多くがストップモーションや実物造形を活かして作られている。ファヴロー監督が大切にしてきた「実際にそこに在るものを撮る」感覚が、画面のあちこちから伝わってきます。
もちろん、ILMによる最新VFXも惜しみなく使われています。宇宙船のドッグファイト、巨大兵器の咆哮、爆発、星々の合間を駆け抜けるスピード感。IMAXの大画面に映える視覚的見世物は、しっかり用意されています。
ここで素晴らしいのは、この「最新技術」と「手仕事」のどちらか一方に寄りかかっていないところです。デジタルだけでも、アナログだけでも、この質感は出ない。両者が補い合うことで、 「画面の向こう側に手触りがある」という、スター・ウォーズ本来の感覚が戻ってきています。
ファヴロー監督自身、本作の制作についてインタビューで「toy box(おもちゃ箱)」のような感覚を語っていますが、観終わるとその言い方がしっくりきます。観ていて、子どもの頃にフィギュアを並べて遊んだ時のような、無防備な楽しさが湧いてくる瞬間が何度もありました。CGの完成度が極まり、AI生成映像も語られ始めたこの時代に、あえて 「触れる映画」を作る。その選択そのものが、本作の最大の現代性なのかもしれません。

良くも悪くもサイドクエスト感、それでも劇場で観たい理由
ここからは、ちょっとだけ気になった点も書いておきます。批判というほど強いものではないのですが、後で「あれ言ってなかったな」とならないように。
本作のスケール感は、 良くも悪くも、こぢんまりとしています。
オープニングのアクションは見応え十分ですし、IMAXで観る価値のある場面もしっかり用意されています。ただ、全体の脚本を振り返ってみると、ドラマ三本分くらいの内容を一本の映画にまとめたような印象は否めません。銀河の運命がひっくり返るような大事件、というよりは、 マンダロリアンとグローグーが一つ大きめのサイドクエストをこなしてきた、というスケール感です。
これは、本作の弱点であると同時に、もしかするとマンダロリアンというキャラクターそのものの特性なのかもしれません。スカイウォーカー家の物語は、銀河規模の戦争と父子の宿命がぶつかり合う壮大さがあって、劇場の大スクリーンに映えました。一方でマンダロリアンは、辺境の街に降り立ち、依頼を受け、誰かを守って去っていく「西部劇のガンマン」のような存在です。彼の魅力は、一話完結のドラマというフォーマットと、もともととても相性が良かった。
その彼を劇場に持ち込むと、どうしても「これはエピソード規模の話だったかもしれない」という違和感は出てきます。話の決着のつけ方も、ハッピーエンドではあるけれど、シリーズ全体を揺るがすような断絶や跳躍はありません。
ただ、それでも私は、これを劇場で観られて本当によかったと思っています。
私事になりますが、本作を観たのはユナイテッド・シネマ前橋のIMAX、スクリーン2番でした。ここは私にとって少しだけ特別な場所です。7年前、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を公開初日の朝一回で観たのも、同じスクリーン2番でした。あの日、エンドロールが終わった瞬間、群馬の劇場で拍手が起きたことを今でも覚えています。
当時はシネスコサイズの通常スクリーンだったその場所が、昨年リニューアルされてIMAXシアターになりました。そして7年ぶりのスター・ウォーズ劇場版を、私はその同じスクリーンで観ている。物語のスケールは小さくとも、 「劇場で観るスター・ウォーズ」という体験そのものには、やはり代えがたい重みがあります。
フルサイズIMAXは確かに池袋まで遠征しないと味わえないし、近場のIMAXの限界もあります。それでも、群馬にIMAXができたことで、こうして公開翌日に駆け込める。その選択肢があるありがたさを、改めて噛みしめた鑑賞でした。
まとめ
『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』は、 「気軽に観に行ける、稀有なスター・ウォーズ」でした。
7年ぶりの劇場版という大事件性に身構える必要は、ほとんどありません。ドラマ版を観ていなくても大丈夫。ライトセーバーが出てこなくても、フォースが神秘的に語られなくても、本作は本作としてきれいに完結しています。むしろ、スカイウォーカー家の壮大な神話とは少し違うところで、 誓いと愛着だけを武器にした男の物語を、ちゃんと劇場規模で見せてくれる一本です。
- どんな気分で観る?:難しいことは考えず、休日の昼や家族と過ごす夜に。心の体力をあまり使わず楽しめる、稀有なスター・ウォーズです。
- 向いている人:スター・ウォーズを観たことがない人、ドラマ版『マンダロリアン』でグローグーに惹かれた人、IMAXで純粋な娯楽を浴びたい人。
- 向いていないかもしれない人:シリーズ全体を揺るがすような神話的サプライズや、密度の高いシリーズ接続を期待する人。
- 余韻:気持ちのいい疲れ。重い余韻ではなく、観終わってからも「グローグーかわいかったな」とふと笑ってしまうような、軽くて温かい後味。
最後にもう一度だけ言わせてください。 グローグーが可愛いと思ったら、それだけで観に行っていい映画です。大画面と良い音響で、この小さな相棒の成長をぜひ目撃してみてください。
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