映画『ファースト・カウ』基本データ
- タイトル:『ファースト・カウ』
- 公開年:2020年(米国)、2023年(日本)
- 監督:ケリー・ライカート
- 出演:
- ジョン・マガロ(クッキー)
- オリオン・リー(キング・ルー) など
- 上映時間:122分
- 視聴方法:
- U-NEXT にて配信中
この記事でわかること
- ケリー・ライカート監督の作風と本作の位置づけ
- 『ファースト・カウ』のあらすじや物語の概要
- 資本主義の萌芽と友情の物語をどう描いているか
- スローシネマ的な演出&魅力のポイント
- 観る際の注目点(猫視点のちょっとした“気づき”も含む)
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。今回は、ケリー・ライカート監督の映画『ファースト・カウ』をご紹介します。実は2025年に発表されたキネマ旬報ベストテン(2024年公開作品対象)の外国映画部門で第5位にランクインしていたのをきっかけに、「まだ観ていないから、これを機にチェックしてみよう」と思い立ちました。
ケリー・ライカートという名前は日本ではそこまでメジャーではないかもしれません。しかし、シネフィル層からは絶大な支持を受け、アメリカの独立映画界では長く活躍している監督です。私もかつて『リバー・オブ・グラス』を見たことはあるのですが、もう記憶がおぼろげで、正直“詳しいファン”とは言えないレベル。ただ「彼女の作品を語れる人は本物の映画好きだ」と感じさせる監督さんで、今回じっくりと腰を据えて鑑賞してみました。
観終わってまず思ったのは、「いい映画だけど、うまく言葉にしにくいな」ということ。セリフや派手などんでん返しが少ない分、静かに心を揺さぶられる不思議な作品でした。ここからは、その魅力を私なりに整理してみます。少しでも興味をもってもらえたら嬉しいです。
あらすじ
舞台は19世紀初頭のアメリカ・オレゴン州。西部開拓時代真っ只中の荒涼とした土地に、料理人のクッキー(ジョン・マガロ)と、中国から渡ってきた移民のキング・ルー(オリオン・リー)が出会います。かつて聞きかじった「この場所には一頭しか牛がいないらしい」という噂をきっかけに、彼らはミルクをこっそり盗み、菓子を作って売る商売を始めるのです。
彼らの舞台は、まさに“富と可能性のフロンティア”。しかし現実は理想とは大きくかけ離れ、資源は強い者の独占物。特に、この開拓地にいる“唯一の牛”は富の象徴そのもので、その持ち主である有力者(トビー・ジョーンズ)は権力を振りかざしながら大きな顔をしています。クッキーとキング・ルーが夜な夜な牛乳を盗むのは、ある意味では彼らの「小さな反逆」。時代に埋もれがちな名もなき人々が、一攫千金を狙いつつも、友人同士の支え合いで夢を追う――そんな穏やかなアメリカンドリームの物語が、静かに展開されていきます。
なお、映画は現代のパートで幕を開け、犬と散歩中の少年が地面から二体の遺骨を掘り出す場面から始まります。「この遺骨は何者?」と思わせたところで時代が19世紀に飛ぶ構成なので、冒頭から不穏な余韻が漂います。2人の運命はどうなるのか――その答えはラストシーンまで直接描かれませんが、冒頭の光景を思い返すと……観客にはある種の結末が見えてくるのです。

作品の魅力
スローシネマで描く“静かなる西部劇”
本作の特徴は、いわゆる「派手な西部劇」のイメージとはかけ離れた、きわめて静謐な演出にあります。ガンファイトや馬が駆け回る場面はほぼなく、むしろ淡々とした日常や森の中の音、牛の様子などが長回しで映し出される時間が多いです。セリフも少なく、物語の派手な起伏よりも、環境音・自然光・キャラクター同士の息遣いを重んじる作風。「いつの間にか、この世界にじっと見入ってしまう」――そんな感覚を体験させてくれます。
「眠くなるかも」「テンポが遅い」と感じる方もいるでしょう。けれど、このゆるやかな流れこそ、19世紀初頭の西部開拓時代の空気を鮮明に伝えてくれます。
たとえば西部劇といえば、セルジオ・レオーネの『ウエスタン』のように、長い沈黙で“待ち時間”を際立たせる手法が有名ですよね。本作は、まさにそうした静けさを大切にしている作品だと感じました。
資本主義の萌芽と“牛”が映し出す社会
ストーリーの軸には、牛のミルクを盗んでドーナツを作るクッキーとキング・ルーの行動が置かれています。ふと考えると、「盗んだ牛乳で菓子を作って売るなんて、悪いことじゃない?」と思う方もいるかもしれません。しかし、当時の開拓地では「富を独占する権力者」と「貧しくても必死に生きる労働者」という構図が当たり前のようにあり、本作はその構図をじわじわと浮き彫りにします。
そもそも一頭の牛しかいない、ということは希少価値が非常に高いという意味です。つまり牛は「大きな富の象徴」。クッキーとキング・ルーにとっては、その牛が唯一の“資本”。そこに「こっそり盗むのは罪だけれど、これを活用しなきゃ生きていけない」というジレンマがあるのです。牛の所有者である有力者から見れば「勝手に盗むなんてけしからん」という展開になるわけですが、それを命がけで続けないと彼らは一攫千金のチャンスが得られません。こうした“牛泥棒”の物語は表面的に見ると小さな事件ですが、実は背後に「資本主義の始まり」を象徴する大きなテーマが隠されています。
友情と優しさが紡ぐ物語
もう一つの魅力は、クッキーとキング・ルーの友情の在り方です。アメリカンドリームが夢物語のまま終わってしまいそうな過酷なフロンティアで、彼らはお互いを支え合い、いっしょに生き延びる術を模索します。従来の「マッチョな男らしさ」「銃を片手に危機を乗り越える」といった西部劇の定型はほとんどありません。代わりに、本作ではどこか家庭的で穏やかな“男同士の生活感”が映し出されます。
クッキーは料理が得意で、火を囲むシーンでは洗い物をしたり、小屋を掃除したりする姿がしっかり描かれます。一方、キング・ルーは野心と機知を兼ね備えつつも、決して横暴ではなく、クッキーを丁寧に扱い、彼の話に耳を傾ける。種族や出自の違いを超えて、自然と心を寄せ合う二人。この繊細かつ優しい男同士の友情は、本作の大きな見どころです。

幸福と破滅が交差するラスト
冒頭の現代パートで二体の遺骨が見つかるので、「このあと二人に何が起こるの?」と気になってしまいますよね。でも、ラストで“死の瞬間”をはっきりと映すわけではありません。むしろ、「ああ、そういう結末だったんだな…」と静かに悟らせる演出で、観る者の胸に余韻を残します。
最後のシーンで、二人が並んで横になり、そこから物語がすっと幕を閉じる。その情景を観たあと、冒頭に戻って遺骨を思い出すと、やるせない気持ちと同時に「どんな人生だったのか」をしみじみ想像せざるを得ません。あまり説明しすぎない演出は観客に余韻を残し、「彼らには確かに一瞬の夢と友情があったんだな」と静かに胸を打ちます。
スローなテンポが醸す映画の“居場所感”
本作はいわゆる「スローシネマ」の代表格。小さな所作や自然の音を細やかに映し出すのが、ケリー・ライカート監督ならではの魅力です。セリフや劇伴は最小限に抑えられ、火を起こす音や流れる水音など、環境音が印象的に響き渡ります。
こうした描写が作品に“居場所感”を与えていて、クッキーやキング・ルーの生活にそっと寄り添うような感覚が生まれます。忙しない現代社会に慣れてしまうと、最初は「ゆっくりすぎる」と違和感を覚えるかもしれません。でも、そこをじっと味わっていると、逆にこの映画の時間に身を委ねる心地よさを感じられるのではないでしょうか。
まとめ
『ファースト・カウ』は、アメリカの西部開拓時代を舞台にしながらも、銃撃戦や荒野の決闘とは全く違う“静かなドラマ”を届けてくれる一本です。牛という希少な資源をめぐり、小さな悪事を重ねながらも懸命に生きるクッキーとキング・ルー。その行動は彼らの友情を深める一方、やがては取り返しのつかない運命へと向かわせます。冒頭で明かされる遺骨という暗示と、ラストシーンの静かな終焉は重苦しくもあり、同時に「ここに確かに生きた人たちがいたのだ」という切ない事実を突きつけてきます。
いざ内容を説明しようとすると「どこが素晴らしいのか」を詳しく言葉にしづらい作品ではありますが、それこそがケリー・ライカート監督の真骨頂ともいえるでしょう。一瞬の夢や希望、そして厳しい現実を、淡々と、しかし深い余韻をもって描き出す――まさに“スローシネマ”を代表するような作風です。キネマ旬報ベストテンにランクインしたのも、観れば納得のクオリティ。時間と心に余裕があるときに、ぜひじっくり鑑賞してみてください。
当ブログ的“猫視点”のひと言
わが家の猫・ハルがこの映画を一緒に観ていたら……眠りそうだなあ、と思いつつ、実は牛が出てくるシーンではクンクン反応してくれそうです。映画の中でも牛はけっこう優しい目をしているんですよね。猫的にはあののんびりした雰囲気と、何かをじっと待つ時間というのは共感してくれるかもしれません。愛猫とスローな映画を共有するのも、なかなか乙な時間ですよ。

- IMDb『ファーストカウ』
キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。