映画『エル』基本データ
- タイトル:『エル』(原題:El)
- 公開年:1953年(メキシコ)、1987年(日本)
- 監督:ルイス・ブニュエル(Luis Buñuel)
- 主要キャスト:
- アルトゥーロ・デ・コルドバ(フランシスコ)
- デリア・ガルセス(グロリア) ほか
- 上映時間:92分
- 受賞・評価など
- 公開当初はメキシコ国内で批評・興行ともに伸び悩んだが、後年再評価が進み、現在ではブニュエルの代表作の一つに数えられる
- フランスの映画誌『カイエ・デュ・シネマ』による「映画史上欠かせない100本」にも選出
- Rotten Tomatoesで支持率100%を獲得している(海外評価)
- 視聴方法:DVD・BD、Amazon Prime Video ほか
この記事でわかること
- 1950年代に撮られたブニュエル作品『エル』の基本的なあらすじと魅力
- 「宗教的偽善」と「狂気」のテーマを軸にした心理ドラマの見どころ
- 現代の目線でも通用する“モラハラ”夫の恐怖とジェンダー批判
- シュルレアリスム的演出やブラックユーモアの妙味
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。今回はルイス・ブニュエル監督の映画『エル』をご紹介します。ブニュエルと言えば『アンダルシアの犬』や『昼顔』『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』『欲望のあいまいな対象』など、映画史に残る名作を数多く生み出したシュルレアリスムの巨匠として知られています。しかし意外と見落とされがちなのが、この『エル』という1953年のメキシコ時代の作品です。
私自身、Amazon Prime Videoのトップページをふと眺めていて偶然発見し、「上映時間も短そうだし、ちょっと観てみようかな」と軽い気持ちで再生ボタンを押しました。結果的に、「これ、ものすごく時代を先取りしているんじゃないか!?」と驚くほど強烈なインパクトがあり、あっという間に惹き込まれました。今日は、宗教や狂気、ジェンダーといったテーマが絡み合うこの“隠れた傑作”の魅力を、たっぷりお話しします。気になる方は最後までぜひチェックしてみてくださいね。
あらすじ
本作は、敬虔なカトリック信者である中年紳士・フランシスコ(アルトゥーロ・デ・コルドバ)が、教会で出会った若く美しい女性・グロリア(デリア・ガルセス)に一目惚れし、彼女を婚約者から奪うかたちで結婚に至るところから始まります。しかし結婚後、フランシスコの愛情は偏執的なまでの独占欲と疑心暗鬼に歪んでいき、グロリアはその狂気にじわじわと追い詰められていくのです。
映画の大半は、グロリアが旧友ラウルに「夫との生活」を回想しながら語る形式で進みます。最初は控えめで誠実そうに見えたフランシスコが、実は足フェチ丸出しの一面を持ち、さらにしつこく「過去の男性関係」を問いただすなど、異常性が少しずつエスカレートしていく。その果てに待つのは破局なのか、それともさらなる狂気の果てなのか――観客の想像を掻き立てながら物語は進行していきます。
なお、結末の詳細は伏せておきますが、ラスト近くにはシュルレアリスム的な幻覚シーンや不穏な修道院の場面が用意されています。「これは本当に正気の人の行動なのか?」と、フランシスコの姿を見ているだけでも手に汗握る展開です。
作品の魅力
狂気と宗教が紙一重:ブニュエル作品の真骨頂
まず目を引くのは、主人公フランシスコが「敬虔なカトリック信者」である一方で、妻への嫉妬が暴走していく狂気の持ち主として描かれている点です。ブニュエルといえば、カトリック教会への風刺や批判を多くの作品で試みてきた監督として有名です。本作でも、教会や周囲の人々が「品行方正な信徒」としてフランシスコを評価している裏で、彼の内面には倒錯した欲望が渦巻いています。
- 信仰心が深いがゆえに、結婚前は「40過ぎても童貞」を貫いていた
- 妻に対して“告解”のように過去の男女関係を問いただす
- ベッド脇に大きな十字架を飾り、家を聖域のごとく扱う
こうした“信仰の形”がむしろ妻への支配と嫉妬を正当化していく過程は、ブニュエルが得意とする宗教批判や人間の二面性を浮き彫りにするもの。表向きの品行方正さと内面の狂気が、まるで硬貨の裏表のようにひっくり返る瞬間が何度も訪れます。
「普通の人間」に潜む理解不能な狂気
近年、『ジョーカー』(トッド・フィリップス)やその元ネタになった『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ)といった作品で、社会の疎外が狂気を生む様を描いた映画が話題になります。しかし『エル』のフランシスコは、決して社会から排除された人物ではありません。むしろ「上流階級の紳士」として周囲から尊敬されている存在で、彼自身も信仰心が厚く常識人を気取っています。
それなのに、妻への激しい嫉妬、時には暴力や殺意にまで至る行為が噴き出すのです。観客としては「なぜそこまで?」と理解を超えた部分で戦慄させられます。これはブニュエルが『エル』を通じて描きたかった「日常と狂気は隣り合わせ」というメッセージの一端なのかもしれません。
時代を先取りしたジェンダー描写
「モラハラ」や「DV(家庭内暴力)」という言葉が一般的になるよりはるか昔、1953年の段階で本作はすでにそうした夫婦間の支配関係を正面から描いています。被害を受ける妻グロリアは周囲に助けを求めようとしますが、夫の“敬虔な人物”という評判が邪魔をして誰も信じてくれません。彼女の苦しさは“ジェンダー不平等”そのものと言えます。
さらに彼女は「フランシスコがかわいそうだから」と同情心を抱いてしまい、いざ離れようと思っても離れられない。まるで「共依存」や「感応精神病(フォリア・ドゥ)」のように、夫婦という閉鎖空間で狂気が共鳴してしまうのです。現代の観点から見ても十分にあり得る状況であり、そこが本作の先見性を際立たせています。
足フェチ描写が生む独特の不気味さ
ブニュエルはかねてから“フェティシズム”を象徴的に使うことがありましたが、本作ではフランシスコの「足への異様な執着」が特に印象的です。冒頭、教会で少年の足を洗う司祭の場面とグロリアの足に見惚れるフランシスコが重ねられ、聖なる行為と性的欲望があっさり隣接している。この皮肉たっぷりの対比がいかにもブニュエル的です。
また、中盤の食事シーンでフランシスコが落ちた眼鏡を拾うタイミングでグロリアの足を見て、突如態度を一変させるくだりなどはぞっとする怖さがあります。ある種の“フェチ”は可愛らしくも見えるものですが、本作ではそれが嫉妬や暴力に直結する「狂気の導火線」として機能しており、観る者を不安にさせる妙味があるのです。
シュルレアリスムとブラックユーモア
後半、フランシスコが教会で幻覚を見て嘲笑される場面や、修道院の庭をジグザグに歩いて暗い建物へ消えていくラストなど、シュルレアリスム的演出が顔を覗かせます。あまりに異常な行動に思わず失笑させられる場面もありますが、これはブニュエルが狙ったブラックユーモアにも感じられます。深刻になり過ぎず、しかし笑いに逃げるでもなく、絶妙なバランスで仕立てているところが魅力です。
まとめ
気軽に観始めたはずが、終わってみると「なんと強烈な映画だろう」と呆然としてしまう。それが『エル』という作品の持つ特別な力かもしれません。表面的には独占欲をこじらせた夫の物語ですが、宗教やジェンダー、狂気と常識の紙一重という多層的なテーマが交錯し、観る人によって受け取り方も変わってくるでしょう。
当ブログ『ねことシネマ』としては、「たまにはこういう心理ドラマもいかがでしょう?」とおすすめしたいところです。今の時代にも通じるモラハラ夫の恐怖や宗教的偽善の問題提起は、決して古びていません。むしろ「1953年でこれをやっていたのか!」と衝撃を受けるはず。Amazon Prime Videoなどで手軽に視聴できるので、興味を持った方は週末にでもぜひ鑑賞してみてください。衝撃的なテーマですが、観終わったあと、どこか人間の不可解さについて深く考えさせられる作品です。
- IMDb『エル』
キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。