映画『許されざる者』基本データ
- タイトル:『許されざる者』(原題:Unforgiven)
- 公開年:1992年(米国)、1993年(日本)
- 監督:クリント・イーストウッド
- 主なキャスト:
- クリント・イーストウッド(ウィリアム・マニー)
- ジーン・ハックマン(リトル・ビル・ダゲット)
- モーガン・フリーマン(ネッド・ローガン)
- リチャード・ハリス(イングリッシュ・ボブ) ほか
- 上映時間:131分
- 受賞歴:第65回アカデミー賞(作品賞/監督賞/助演男優賞/編集賞 受賞)
- 視聴方法:ブルーレイ・DVD、各種配信サービス
この記事でわかること
- 『許されざる者』のあらすじと、魅力的なキャラクターたち
- 西部劇の常識を覆す“脱構築”のポイント
- クリント・イーストウッドの作家性と、この作品が名作と呼ばれる理由
- 暴力と贖罪がもたらす重いテーマの背景
- MCU最新作『サンダーボルツ*』との意外な関連性(バッキー・バーンズとの共通点)
はじめに
こんにちは。当ブログ『ねことシネマ』へようこそ。今回は、1992年の公開と同時に大きな反響を巻き起こし、第65回アカデミー賞で作品賞・監督賞など4部門を獲得した名作『許されざる者』をご紹介します。監督・主演のクリント・イーストウッドが、それまでアメリカ映画界で築き上げられてきた西部劇の神話を大きく覆した一作として、現在でも高い評価を受け続けている映画です。
実は私自身、明日公開されるマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の最新作『サンダーボルツ*』を楽しみにしているのですが、その試写評が「デッドプール&ウルヴァリン」よりも高いという噂を耳にしてワクワクしていたところ、セバスチャン・スタン(バッキー・バーンズ役)が海外のインタビューで「今回のバッキーは『許されざる者』のウィリアム・マニーを想起させる」と語っているのを見つけました。
過去に多くの人を殺めてきたアウトローが、今は隠遁生活を送りながらも、ふとしたきっかけで再び“過去の自分”に引き戻される――そうした構図に興味をそそられ、改めて『許されざる者』を観直してみたところ、「やはり名作だなあ」と再認識した次第です。
本記事では、映画のあらすじ、作品背景、そして西部劇としての新しさや、暴力と贖罪という重いテーマについてご紹介していきます。また、バッキー・バーンズとの共通点を少しだけ考えてみるコーナーも挟みつつ、名作の奥深さを改めて感じていただけるような記事にできればと思います。ぜひ最後までお付き合いください。

あらすじ
舞台は1880年代のワイオミング州、閑散とした町「ビッグウイスキー」。ここで一人の娼婦が男たちに切り刻まれるという凄惨な事件が起きます。町の保安官リトル・ビル(ジーン・ハックマン)は犯人たちを捕まえるものの、あまりに軽い処分で済ませてしまう。怒りを覚えた娼婦仲間は、独自に懸賞金を懸けて「犯人を殺した者に大金を支払う」と宣言。これを聞きつけて、次々と“ならず者”たちが町へ集まってきます。
一方、とある荒れ果てた農場では、かつて「列車強盗や保安官殺し」で名を馳せた伝説の無法者ウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)が、2人の子どもと貧しい農夫生活を送っていました。今は亡き妻の影響で酒も断ち、悪事からは足を洗ったマニーでしたが、若いガンマン“キッド”の誘いと切迫した生活苦から、嫌々ながらも賞金稼ぎに向かうことを決意します。途中で旧友ネッド(モーガン・フリーマン)も合流し、3人はビッグウイスキーへと旅立つのですが――果たして待ち受ける結末は、古き良き西部劇のような痛快なガンファイトとは程遠いものでした。
作品の魅力
西部劇を覆す“脱構築”の巧みなストーリーテリング
西部劇といえば、荒野でガンマン同士が正々堂々と撃ち合う、勧善懲悪の爽快なイメージを思い浮かべる方も多いかもしれません。しかし『許されざる者』では、その定型を意図的に外す演出が随所に施されています。保安官リトル・ビルは「法の番人」というより暴力を振りかざす恐ろしい支配者のような存在であり、彼が排除しようとする外部のガンマンたちも、真の“正義”を体現しているわけではありません。むしろ、誰もがモラルの曖昧なグレーゾーンに身を置いているのです。
- 例えば、「保安官=正義の味方」という図式は成り立たない
- 加害者への制裁が、さらなる暴力を呼び込む展開
- 銃撃戦や決闘シーンに“英雄的”カタルシスがほとんどない
クライマックスでマニーが見せる行動は、言葉を選ばずに言えば“卑怯”とも取れるやり方です。安っぽいヒーローの姿はそこにありません。むしろ、復讐に燃え、かつての悪名高い殺し屋としての顔を再び晒すマニーが周囲を一方的に撃ち倒す様子は、観ているこちらに複雑な思いを抱かせるでしょう。「本当にこれが正しいのか?」という疑問が浮かんだまま、物語は静かに幕を下ろします。
「Deserve’s got nothing to do with it.」――暴力と贖罪の重さ
主人公マニーは、昔から「人を殺しすぎた悪党」として恐れられてきた男。しかし今は妻に先立たれ、農場で子育てに追われています。銃を封印してから何年も経ち、馬に乗ろうとして何度も転ぶ姿は、かつての“凄腕ガンマン”の面影をいい意味で裏切るでしょう。
物語の中盤以降、彼や仲間たちが人を撃つ瞬間には、どこか「残酷な現実」が突き刺さります。若いキッドが初めて“実弾で人を殺した”シーンでは、その衝撃に手を震わせ、「もう二度と人は殺したくない」酒に溺れるほど。ここではっきり描かれているのは、「人を殺す」という行為がどれほど取り返しのつかないものか、という問いかけです。
そして死にゆく保安官リトル・ビルに対して、マニーが放つ有名な台詞が「報い(Deserve)なんてものは関係ない」。誰かが“正義”を叫んだところで、暴力はすべてを根こそぎ奪ってしまう――そうした虚しさを、この一言が鋭く突きつけます。勧善懲悪を求める観客の期待を裏切るどころか、暴力がもたらす苦みを容赦なく突きつける作品だからこそ、本作は強烈な余韻を残すのだと思います。
保安官リトル・ビルとイングリッシュ・ボブ――神話の解体
本作には、リチャード・ハリス演じるイングリッシュ・ボブと、彼に付き従う作家ボーチャンプというコンビが登場します。ボブは気取り屋の英国紳士ですが、その過去には“伝説的ガンファイター”の肩書きがある。ところが、保安官リトル・ビルは彼をあっさり叩きのめし、「世に出回る決闘話など大半は作り事だ」と暴露。傍でその一部始終を書き記そうとするボーチャンプを嘲笑することで、“ヒーロー伝説”がいかに脆く、曖昧であるかを示します。
往年の西部劇といえば、勇敢な男が華麗に勝利するイメージ。だけどイーストウッドは、本作でその“お決まり”を大胆に覆しました。だからこそ、『許されざる者』はリビジョニスト・ウェスタン(Revisionist Western)の代表格として語られているんです。
イーストウッドの作家性と“最後の西部劇”
クリント・イーストウッドは、かつて“マカロニ・ウェスタン”や『ダーティハリー』シリーズなど、暴力的ヒーロー像を演じてきたスターでした。しかし監督としての彼は、徐々に「暴力や正義の裏側」を深く掘り下げる作風に傾いていきます。本作『許されざる者』は、その集大成ともいえる位置づけで、イーストウッド自身が抱え続けてきた「暴力と道徳」のテーマを、最もストレートかつ冷徹に描いたものだと言えます。
本人いわく、「これが最後の西部劇になる」とまで語ったとか。かつて英雄的人物を演じた自分自身を、壮年期に至って“解体”し、“贖罪”という要素を正面から取り扱う――ここには、長年のキャリアを背負うイーストウッドの決意が映し出されているのでしょう。そうした背景を知ると、一見地味に思える“画面の暗さ”や“派手さを排した演出”が、より深く胸に響いてきます。
バッキー・バーンズとの意外な共通点?――MCU『サンダーボルツ*』を前に
今回、私がこの映画を再鑑賞したきっかけは、MCU作品『サンダーボルツ*』においてセバスチャン・スタン演じるバッキー・バーンズ(ウィンター・ソルジャー)が、「かつて数々の殺しを行っていた過去を抱えている」という点でウィリアム・マニーに通じるというインタビューを目にしたことです。
バッキーも洗脳の影響とはいえ、多くの命を奪い、ヒーローとして戦う今でも消えない罪悪感を背負っています。マニーもまた、かつては保安官すら殺めた凶悪犯でありながら、今は妻との約束を支えに生き方を改めようとする――その葛藤は、バッキーにも通じる部分があるのではないでしょうか。
つまり「ヒーローと悪党」がはっきり分かれていた昔の物語とは違い、「過去に手を染めた殺しをどう償うのか」「新しく生き直すことはできるのか」という点で、両者に共通するテーマがあると感じます。もし『サンダーボルツ*』を観る方は、『許されざる者』の視点を少し重ねてみるのも面白いかもしれません。「暴力は正義を守るための手段たり得るのか?」という問いを、異なる時代背景・ジャンルの作品同士で比較することで、新しい発見があるはずです。
まとめ
西部劇と聞くと、つい「ピカレスクなガンマンの活躍」を期待してしまいがちですが、『許されざる者』はそうしたロマンをバッサリと解体し、暴力の裏にある悲しみや後悔、そして贖いの難しさを容赦なく描き出します。だからこそ、人によっては「重苦しい作品」と感じるかもしれません。しかしそのぶん、鑑賞後に深い余韻が残り、「何が本当の正義なのか」「人を殺すことは本当に解決策になるのか」という問いが頭を離れなくなります。
クリント・イーストウッド自身がこれまでに演じてきたガンマン像を、最終的に自分の手でひっくり返し、「報いなんてものは関係ない(Deserve’s got nothing to do with it.)」というアイロニカルなメッセージを投げかける――そんな大胆な手法こそ、『許されざる者』が長年“名作”と評価されるゆえんだと思います。
もしまだ観たことがない方、あるいは昔観ていて記憶が曖昧な方は、この機会にぜひ鑑賞してみてはいかがでしょう。GWにゆっくり腰を据えて、モノクロームのように渋い映像美と苦いテーマに浸ってみるのも、なかなか味わい深い体験かと思います。
- IMDb『許されざる者』
キャストやスタッフの詳しい情報、ユーザーからの評価やレビューなどが充実しています。英語サイトですが、作品の撮影秘話やTrivia(トリビア)も多く、さらに深く知りたい方にはおすすめです。