映画『聖なるイチジクの種』基本データ
- タイトル:『聖なるイチジクの種』
- 公開年:2025年
- 監督:モハマド・ラスロフ
- 主演:
- ミシャク・ザラ(イマン役)
- ソヘイラ・ゴレスターニ(ナジメ役)
- マフサ・ロスタミ(レズワン役)
- セターレ・マレキ(サナ役)など
- 上映時間:167分
- 主な受賞・映画祭出品:
- 第77回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞
- 第97回アカデミー賞で国際長編映画賞にノミネート
- 視聴方法:
- 全国劇場で上映中
この記事でわかること
- 映画『聖なるイチジクの種』のあらすじ・基本情報
- 抑圧と抵抗を描く強いテーマの魅力
- サスペンス&スリラーとして飽きさせないストーリー構成
- 個人的に感じた見どころとラストの衝撃
- 『名もなき者』とのリンク
はじめに
実はわたし自身、イラン映画に詳しいわけではありませんでした。とはいえ監督のモハマド・ラスロフは、イラン国内外で政治的メッセージを発信し続ける気鋭のフィルムメーカーとして知られています。
2020年にはラスロフ監督の『悪は存在せず』が第70回ベルリン国際映画祭で最高賞にあたる金熊賞を受賞しました。しかし同年、過去の3本の映画が「体制に対するプロパガンダ」とみなされ、懲役1年と2年間の映画製作禁止の判決を受けて拘束されていたため、映画祭への参加は叶わなかったそうです。こうした厳しい状況下でも海外映画祭で高く評価されていることからも、監督の作品に対する世界的な注目度の高さがうかがえます。
そんな監督の最新作が「カンヌでの高評価」「アカデミー賞ノミネート」というニュースを耳にし、一体どんな作品なのか興味が湧いたのが鑑賞のきっかけでした。長尺(167分)ということで、やや身構えていた部分もありましたが、実際に観てみると想像以上にエンタメ性が高く、あっという間に時間が過ぎていきました。

あらすじ
舞台は抑圧的な社会体制のもと、街中で抗議デモが多発しているイラン。革命裁判所の調査判事として任命された父イマンが、新居と一丁の拳銃を支給されたところから物語は始まります。敬虔なムスリムとして家族を大切にしている彼ですが、当局の厳しい監視や職務への疑念が少しずつイマンを追い詰めていくのです。
娘たちはSNSを通じて外の世界で起こるデモや弾圧の映像を知り、若い世代ならではの“変革を求める思い”を募らせます。しかし父の立場との対立は避けられず、やがて家族の間には不穏な空気が漂い始めるのでした。決定的な事件が起こるのは、家庭内にあったはずの拳銃が、ある日突然「消えた」瞬間――。一家の命運を左右する緊張が、家庭の中にも外の社会にも濃厚に漂っていきます。
映画の見どころ
スリラーとしての面白さ
「政治映画=小難しい」というイメージがあるかもしれませんが、本作はむしろサスペンス・スリラーとしての吸引力が抜群です。前半は実際の抗議運動の映像がSNS画面を通して登場し、不穏な空気を見せながら社会の現実を丁寧に積み重ねます。後半になると、家庭内の“銃紛失”をめぐる騒動が一気に緊迫度を高め、まるで密室劇のようなスリリングな展開に。
わたしも「気づけば三時間経っていた」というほど夢中になり、途中で中だるみを感じることはありませんでした。抑圧的な社会状況が背景にあることは確かですが、説教くささや難解さはほとんどなく、むしろ本物のスリラーを観ているかのような刺激があります。
家族ドラマと社会の縮図
家庭内で起きる衝突を通して、国家レベルでの抑圧と抵抗が見事に投影されている点も注目したいところです。特に父イマンと娘たちが対立する構図は、保守的な考え方と若い世代の変革意識のぶつかり合いとも重なって見えます。
政治デモが残酷な形で弾圧されている現状がある一方、声を上げようとする人々が確実に増えている。そのエネルギーは、たとえ家庭内でも無視できないほど大きなうねりとして迫ってくるのだと感じました。「イランの内情は詳しくないけれど、きっといつか変わる時は来るのだろう」という一種の希望のようなものも、作品から伝わってきます。
ラストシーンの余韻
ネタバレになるので詳しくは言いませんが、最後に映し出されるのは、タイトルにあるイチジクの“種”が発芽したかのようなイメージと、再び流れる実際の暴動の映像。まるで家庭内と国全体で同時進行する“変革の芽”を暗示しているように感じました。「芽が出る」様子と社会の映像がダイナミックに重なって、観る者に強い衝撃と余韻を残します。
思わずホラー映画『シャイニング』を彷彿とさせる父の狂気じみた姿も含め、終盤は息を呑む展開の連続でした。
個人的な感想
- イラン映画に馴染みがなかった自分でも素直に「面白い!」と思えたのが最大の驚きです。
- 作品全体に政治色があるのは確かですが、サスペンスとしての刺激の方が強く、見ごたえがありました。
- 若者を中心とする変革の動きが家庭内でも起こるという“圧縮構造”は巧みで、これが現実社会とも地続きな恐怖を生むのだと痛感。
- ラストシーンのインパクトは相当で、「映画好きなら唸るような終わり方」という表現にも納得できるほどでした。
『名もなき者』との思わぬリンク
前日に『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 』を観たこともあって、ティモシー・シャラメ演じるボブ・ディランが野外フェスで「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌ったシーンを思い出しました。フォークソングの保守派からブーイングが起き、物まで投げつけられるという事件でしたが、その姿勢こそが時代の変化を象徴していたのだな、と。
もちろんイランの現実は比べものにならないくらい深刻で、若者が声を上げることすら命がけの行為ですが、それでも“誰かが新しい一歩を踏み出す”という点では共通する部分を感じました。声を上げる自由は、いつの時代も最初は理解されにくいもの。けれど変革は必ずどこかで芽吹くし、周囲を巻き込みながら形を変えていく――2つの映画を通して改めて考えさせられました。
まとめ
『聖なるイチジクの種』は、抑圧的な体制と、それに抗おうとする若い世代のエネルギーを、一つの家族ドラマとして凝縮した“イラン映画の政治サスペンス”です。長尺ながらも飽きさせない展開で、社会派映画に苦手意識がある方にも十分おすすめできます。
何より“種”という象徴的なモチーフが指し示すのは、声を上げ続ければどこかで必ず変化が生まれるという静かな希望。そのメッセージは、実際にイラン国内外で議論を巻き起こし、カンヌ国際映画祭2025やアカデミー国際長編映画賞ノミネートといった評価にも繋がっています。
これからイラン映画を観てみたい方や政治ドラマ・スリラーが好きな方には、ぜひ『聖なるイチジクの種』をおすすめします。現在全国の映画館で上映中なので、お近くの劇場を調べて足を運んでみてください。コメントもお待ちしております。
- IMDb『Dane-ye anjir-e ma'abed』
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