映画『ウィキッド ふたりの魔女』基本データ
- タイトル:『ウィキッド ふたりの魔女』
- 公開年:2024年(米国)、2025年(日本)
- 監督:ジョン・M・チュウ
- 主演:
- シンシア・エリボ(エルファバ役)
- アリアナ・グランデ(グリンダ役)
- ジョナサン・ベイリー(フィエロ役) など
- 上映時間:161分
- 主な受賞・映画祭出品:
- 第97回アカデミー賞(2025年)で10部門ノミネート 美術賞・衣装デザイン賞を受賞 など
- 視聴方法:
- 全国劇場で絶賛公開中
この記事でわかること
- 映画『ウィキッド ふたりの魔女』の基本情報と前日譚としての魅力
- 豪華な映像美・衣装・音響と、注目すべきミュージカルシーンの数々
- 2部作の前編とは思えない完成度と、続編への期待点
- 社会風刺や“悪”の捉え方がもたらす深み
- スプリットスクリーンなど映画的演出への注目ポイント
はじめに
本作を観るきっかけになったのは、昨年アメリカで公開された際の好評ぶりでした。さらにオスカーをはじめとする映画賞で多数ノミネートされたことで、期待値が一気に高まったんです。ただ、正直なところ私は舞台版『ウィキッド』について詳しくなく、存在は知っているものの「オズの魔法使いの外伝」くらいの知識しかありませんでした。一方で、1939年版の映画『オズの魔法使い』は過去記事でも熱く語ったほど好きな作品なので、物語としてどのようにつながっていくのか興味津々。
そしていざ観てみると、「これは本当に続編を作れるの?」と思うほど1本の映画として完成されていて、今年映画館で観た作品の中でもベスト3に入るくらいの満足度でした。実際、観終わったあとに思わず「待って、ここからさらにどう盛り上げるんだろう……」と次回作への期待と不安が入り混じるほどでした。
あらすじ
舞台は“ドロシーがオズにやって来る前”のオズの国。肌が緑色で周囲から差別されてきた少女エルファバは、魔法学校のシズ大学に進学し、そこで天真爛漫なグリンダや王子フィエロ、モリブル夫人などさまざまな人物と出会います。エルファバは心優しく魔法の才能もあるものの、その見た目ゆえに偏見の目で見られがち。やがてオズの政治や社会構造に疑問を感じ、腐敗した権力に立ち向かおうとする姿勢が、彼女を“魔女”として扱う風潮を生んでいきます。果たして真の“悪”はどこにあるのか──ブロードウェイの名作を映画化した壮大な物語が、ここから動き始めるのです。

映像美と音楽の融合が生む壮大な世界
美術・衣装デザインの華やかさ
本作の最大の魅力の一つは、スクリーンいっぱいに広がる絢爛豪華なオズの国です。エメラルドシティの街並みや魔法使いの宮殿のデザインは圧巻で、1939年版『オズの魔法使い』へのオマージュを感じさせつつも、最新の映像技術でアップグレード。衣装面でも、グリンダのドレスやエルファバのシックな装い、さらに華々しい群舞シーンのコスチュームなど、アカデミー賞衣装デザイン賞を勝ち取るだけの説得力があります。
ミュージカルナンバーの迫力
私は舞台版を未見ですが、本作の楽曲には圧倒されました。スティーブン・シュワルツの名曲「Defying Gravity(自由を求めて)」や「Popular(人気者になろう)」がスクリーン上で展開されると、映画館ならではの音響も相まって鳥肌が立つほど。主演のシンシア・エリヴォ(エルファバ)とアリアナ・グランデ(グリンダ)の歌唱力はまさに本物で、ミュージカル映画でありがちな「俳優が頑張って歌っている」レベルとは一線を画しています。
クライマックスで披露される「Defying Gravity」は、まさに息を呑むパフォーマンス。エルファバが社会の不正に抗い、自由に生きようと決意を固めるあの瞬間、ビジュアルとボーカルが完璧に融合し、こちらまで感情を揺さぶられました。私はIMAXで鑑賞しましたが、画面アスペクト比は2.39:1の横長比率なので上下にわずかに余白は出るものの、大スクリーンかつ迫力ある音響のおかげで十分没入できたと思います。近くにドルビーシネマなどがあれば、さらに贅沢な体験ができそうですね。
映画的演出の妙:スプリットスクリーンとフレーミング
本作では、ミュージカルシーンだけでなく映像表現面でも興味深い演出がいくつか見られます。特に印象的だったのは、エルファバとグリンダが同じ部屋でルームシェアを始めた当初、相性最悪で激しく言い合う場面です。画面を左右に分割するスプリットスクリーンを用いることで、物理的には同じ空間にいるはずの二人が“決して相容れない存在”だと視覚的に示していました。
序盤は二人が同じフレームに収まることがほとんどないのに対し、中盤以降、心を通わせるきっかけを得てからは一気に同じフレーム内で寄り添うショットが増えてくるんです。この“画づくり”の変化が、二人の心理的な距離感を見事に表現していて、言葉以上に感動を与えてくれました。ファンタジー大作でありながら、こうした細やかな演出が用意されているのも、本作の魅力のひとつだと思います。
“悪”とは何か? 社会風刺としてのウィキッド
本作には「肌が緑色である」というだけで差別されるエルファバや、政治権力によって情報操作されるオズの国など、現実社会の縮図を思わせる要素が随所に見られます。エルファバは決して自分の正しさを疑っているわけではありませんが、腐敗した世論や多数派の圧力によって“悪い魔女”に仕立て上げられていく。その様子を目の当たりにすると、「果たして誰が悪で、誰が正義なのか?」という問いを自然と突きつけられます。
“立ち向かう人間を排除することでしか成り立たない社会”の不条理や、「都合の悪い存在は魔女扱いしてしまえ」というステレオタイプは、どの時代でも根強いテーマ。『ジョーカー』や『クルエラ』といった“ヴィラン誕生譚”に近い構図ですが、本作はさらにファンタジー色が強いため、社会風刺がより寓話的に映ります。観終わったあと、エルファバの行動が本当に悪なのか? それとも善なのか? 自然と想像をめぐらせたくなるのも、『ウィキッド』の大きな魅力ではないでしょうか。
2部作前編の完成度と、続編への期待
ただし本作はあくまでも二部作のうちの前編。観る前は「完結しないままモヤモヤを抱えるかも……」と少し心配だったのですが、実際はしっかりクライマックスを迎えて区切りの良い幕引きを見せてくれます。むしろ私は「ここまで完成されきっていると、続編でこれを超えるクオリティを出せるのか?」という不安とワクワクが入り混じった気持ちになりました。
それくらい“一作目だけでも十分に楽しめる”映画であり、観る人によっては「ここでもう終わっていいんじゃない?」と思うほど完成度が高い。とはいえ、まだ回収されていないエピソードやキャラクターの活躍も残されているので、すでに撮影を終えている後編(『ウィキッド ふたりの魔女』Part2)がどんな物語の着地点を迎えるのか、今から待ちきれません。

まとめ:オズの魔法使いファンも未見の方も必見
『ウィキッド ふたりの魔女』は、前日譚としての機能と単体映画の完成度を兼ね備えた、極上のミュージカルエンターテインメントでした。1939年版『オズの魔法使い』を観ておくと、より一層ワクワクする仕掛けが随所に散りばめられているので、時間があればそちらにもぜひ触れてみてください(過去記事へのリンクはこちら)
差別や偏見、権力腐敗に対する痛烈なメッセージを内包しつつ、圧倒的な歌とダンスで感情を一気に解放してくれるのもミュージカル映画の醍醐味。大スクリーン・大音響で体験すると、きっとその迫力に魅了されるはずです。もし「二部作かぁ……」と迷っている方がいれば、1作目だけでも観てほしいほどおすすめしたい作品です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よろしければコメントお待ちしております。みなさんの『ウィキッド ふたりの魔女』への感想も、ぜひ教えてくださいね!
- IMDb『Wicked: Part I』
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