映画『白雪姫』基本データ
- タイトル:『白雪姫』
- 公開年:1937年(米国)、1950年(日本)
- 監督:デビッド・ハンド
- 主演:
- エイドリアーナ・カセロッティ(白雪姫役)
- ハリー・ストックウェル(王子役)
- ルシル・ラ・バーン(女王/魔女役) など
- 上映時間:83分
- 主な受賞・映画祭出品:
- 第10回アカデミー賞(1938年)で作曲賞ノミネートなど
- 視聴方法:
- ディズニープラスで配信中
この記事でわかること
- 1937年版『白雪姫』を改めて観直して感じたこと
- 実写版『白雪姫』公開前に起こったキャスティングや人種問題など、話題のポイント
- グレタ・ガーウィグ脚本への期待と、個人的な思い
- 猫のハルと一緒に映画を楽しむ(?)小さな日常エピソード
- 実写版も“マルチバース”の一つとして捉える考え方
はじめに
こんにちは。当ブログ「ねことシネマ」にお越しいただきありがとうございます。
実は私、10年以上前にディズニー作品にどハマりしていた時期があり、『白雪姫』もその頃に一度は観ていました。ただ、細かい部分についてはうろ覚えなところもあり、「そういえば内容をしっかり覚えているかな?」と思い立ったのが今回のきっかけです。来週3月20日に実写版が公開されるので、それに合わせて1937年版を改めて見直してみました。
結論として、「さすが世界で初めての長編カラーアニメーション」と言われるだけあって、映画史に残るエポックメイキングな一本だと再認識。とはいえ、現代の目で見ると“王道すぎる”展開や“眠っているお姫様”が物足りなく映る面もあり、そこにどんなアレンジが加えられるのかが実写版の最大の注目ポイントではないかと感じています。
そして私は、実写版も“もう一つの白雪姫”=マルチバース的な存在だと捉えています。原作とは違った解釈が盛り込まれたとしても、「それはそれで別の世界線を楽しめるじゃないか」と思うんです。そう考えると、公開前のいろいろな騒動も含めてワクワクしてきます。
あらすじ
1937年版の『白雪姫』は、グリム童話をもとにディズニーが初めて手がけた長編アニメーション作品です。
世界一美しいとされる白雪姫は、継母である邪悪な女王の嫉妬により命を狙われ、城を逃げ出す羽目になります。逃げ込んだ森の奥の小さな家で、彼女は七人の小人たちと出会い、家事をしながら仲良く暮らし始めました。ところが女王は魔法で老いた魔女に姿を変え、毒リンゴを使って白雪姫を深い眠りに落とします。
悲しみにくれる小人たち……しかし最後に現れた王子が与えた“愛のキス”によって白雪姫は奇跡的に目覚め、めでたくハッピーエンドを迎えるという筋書きです。ストーリー自体はごくシンプルですが、当時としては“アニメーションでこんな長編ファンタジーが作れるのか”と世界を驚かせ、ウォルト・ディズニー・スタジオの礎となった作品です。

1937年版『白雪姫』を見返して感じたこと
古典だからこその味わいと物足りなさ
改めて観直してみると、まず「世界で初めての長編カラーアニメーション」という歴史的重みを強く感じました。ロトスコープによる人間のリアルな動きや、マルチプレーン・カメラを駆使した奥行きのある映像表現など、後世のアニメにも影響を与えた革新的な技術の数々には感慨深いものがあります。
一方で、物語は非常にシンプル。白雪姫が毒リンゴを食べて眠り、王子様のキスで目覚める……という“王子の救いを待つヒロイン”像が、いまの感覚からすると古典的すぎて物足りなさを覚える人もいるかもしれません。でも、あえて“当時の時代背景”や“これがプリンセスものの王道を形作った原点なんだ”と踏まえて観ると、そのシンプルさゆえの強いインパクトや普遍性を楽しめるはず。
実写版『白雪姫』公開直前の話題あれこれ
白雪姫役のレイチェル・ゼグラーを巡る批判
来週から公開される実写版は、ディズニーがここ数年力を入れてきた“名作リメイク”シリーズの一環です。そこでは、白雪姫役にラテン系のレイチェル・ゼグラーが抜擢されたことに対し、一部で「原作は肌が雪のように白い姫では?」という批判が起こっています。
しかし個人的には「キャラクターの本質は、見た目だけでは決まらない」と考えているので、過度に問題視する必要はないのではないか、というのが正直な感想です。
王子様不要!? レイチェル・ゼグラーの発言と炎上
さらにレイチェル・ゼグラー自身がインタビューで「1937年版の白雪姫は王子様に救われるだけ」「自分が演じる白雪姫はもっと自立している」という趣旨の発言をし、ネット上で批判が高まったというニュースも目にしました。
一部ではオリジナルを否定していると受け取られていますが、実際には“現代的なヒロイン像”をどう再解釈するかを語った結果のようです。古典の物語を新しい価値観で読み替える試みは個人的に面白いと思います。昔ながらのプリンセスに違和感を覚える層からは歓迎されるでしょうし、逆に「原典から離れすぎるのは困る」というファンにとっては抵抗があるかもしれませんね。
“7人の小人”描写やステレオタイプ問題
さらには、七人の小人をどう描くかという点でも議論がありました。伝統的に“小人症の俳優”が演じるパターンを避け、CGや森の精霊として描くという方針が伝えられていますが、それに対して「せっかくの出演機会を奪っている」という声もあれば、「ステレオタイプを強化しないためにはやむを得ない」という意見も。
こういった配慮や議論も含めて、実写版は公開前から賛否を巻き起こしています。私自身は「実際の映像を観てみなければ最終的な評価は難しい」と考えているので、まずは劇場に足を運んで自分の目で確かめるつもりです。
グレタ・ガーウィグへの思い
私が特に楽しみにしているのは、脚本陣に名を連ねるグレタ・ガーウィグの存在です。彼女は『レディ・バード』で監督デビューし、10代の少女のリアルな成長や家族との軋轢を温かく描いたり、『バービー』では現代社会への風刺をユニークに盛り込んだりと、独自のセンスが光る作品を作ってきました。
中でも『ストーリー・オブ・マイライフ(若草物語)』では、古典小説に対し結婚の問題や女性の生き方を現代の視点で照らし合わせる大胆なアレンジを施していたのが印象的です。主人公のジョーと実在の著者ルイザ・メイ・オルコットの要素を重ねるなど、“原作への敬意を払いながらもアップデートする”手法が見事でした。
だからこそ今回の『白雪姫』でも、単に「眠れる姫が王子のキスを待つ」だけでは終わらない新解釈が期待できます。もちろん、「原典を壊さないでほしい」という気持ちもわかりますが、個人的には古典の読み替え自体にワクワクする派。仮に従来のイメージと異なる展開があっても、先ほど触れた“マルチバース的解釈”のように、別の世界線として楽しむのも一つの方法だと思っています。
猫のハルは興味なし?

ちなみに、私が1937年版を観直している間、愛猫のハルはまったく画面には興味を示さず、隣ですやすやお昼寝していました。王子様のキスシーンで「ここがディズニープリンセスの原点か~」としみじみしている私の横で、ハルはまるで「プリンセスより睡眠が大事!」と言っているようにも見えました。
映画を一緒に楽しめる猫なら最高なんですけどね……まあ、その自由気ままな態度が可愛いところでもあるので、今後もハルのペースで寄り添いつつ、映画鑑賞を続けていきたいと思います。
まとめ・おわりに
以上、1937年版『白雪姫』を再見して感じたことや、実写版の公開前に注目されているポイント、さらに私が「マルチバース的に楽しみたい」と考えている理由をまとめてみました。
“世界初の長編カラーアニメ映画”という称号や「プリンセスと王子様」という古典的要素は、いま観てもやはり強いインパクトがあり、ディズニーの伝統を築いた偉大な作品であることに疑いの余地はありません。とはいえ、現代の多様な価値観からすると物足りなく映る部分があるのも事実。その差をどう埋めるか、実写版がどんな解釈を打ち出してくるのかが見どころでしょう。
キャスティングや脚本に関する議論は公開前から盛り上がっていますが、私は「まずは自分の目で確かめよう」というスタンスで、加えて「実写版はマルチバースの一つ」と割り切って楽しむつもりです。かつて『リトル・マーメイド』がそうだったように、実際に観てみれば意外と新しい発見や魅力を感じるかもしれません。
もし観に行く方がいらっしゃれば、ぜひ感想をシェアしていただけるとうれしいです。当ブログ「ねことシネマ」では、映画と猫のゆるい日常をこれからもお届けしますので、コメント欄で気軽にお声がけください。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
- IMDb『Snow White and the Seven Dwarfs』
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