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映画

【ネタバレあり】『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』感想|1回目は乗れず、2回目のIMAXで泣いた理由

※本記事は『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』の結末まで触れています。

同じ映画を、8日間で2回観ました。

1回目は「いい映画なのかもしれないけど、そこまでかな」。

2回目のIMAXでは、二度泣きました。

変わったのは映画ではありません。

1回目は上映中の私語やスクリーンの撮影騒ぎで集中を削られ、2回目でようやく、この映画が何を積み重ねていたのかを受け取れた。

そこで見えてきたのは、世界中から存在を忘れられたピーター・パーカーが、「自分は本当は孤独ではなかった」と気づく物語でした。

でも、それだけではなかった。

『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』が最後にピーターへ出す答えは、たぶんもっと一歩先にあります。

一人ではないと知ることと、一人でやらないと決めることは違う。

ピーターは最後に、ようやく後者を選びます。

『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』作品情報

公開日
2026年7月31日
監督
デスティン・ダニエル・クレットン
脚本
クリス・マッケナ、エリック・ソマーズ
出演
トム・ホランド、ゼンデイヤ、セイディー・シンク、ジェイコブ・バタロン、ジョン・バーンサル、トラメル・ティルマン、マイケル・マンド、マーク・ラファロ ほか
上映時間
145分
音楽
マイケル・ジアッチーノ
日本版主題歌
Mrs. GREEN APPLE「Brand New」
配給
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

1回目、私はこの映画に乗れなかった

2026年8月3日、月曜日。

仕事から帰って、MOVIX伊勢崎のレイトショーに駆け込みました。

本当は公開日の初回に行きたかった。

MCUのスパイダーマン、特に前作『ノー・ウェイ・ホーム』は、ネタバレを踏まずに初見を迎えること自体が体験の一部だったような映画です。

ところが公開日前後は旅行に行っていて、ひたすら情報を避けながら過ごしていました。

週が明けて、もう限界だと思って劇場へ向かった。

その回に、上映中ずっと喋っているお客さんがいました。

それだけでも集中は削がれます。

さらに、その人がスマートフォンでスクリーンを撮影し始め、気づいた別のお客さんがスタッフを呼びに行き、途中で注意が入るところまでありました。

劇場側は対応してくれています。

劇場の問題ではなく、その客の行為の問題です。

私は年間100回前後映画館へ行きますが、ここまでの状況に当たったのは初めてでした。

そして、いまだに許していません。

初見の感動は、一度しかないからです。

満を持して観に行った映画で、その一度きりを他人に削られた。

この件についてだけは、きれいに消化するつもりがありません。

8日後、同じ映画がまるで違って見えた

ただ、不思議だったんです。

1回目も、ストーリー自体は追えていました。

何が起きているのか分からなかったわけではない。

それでも感情が乗り切らず、「そこまでかな」と思って劇場を出た。

だから8月11日、ローソン・ユナイテッドシネマ前橋のIMAXで観直しました。

IMAXを選んだのは画と音のためでもあります。

でも正直に言えば、通常上映より高い料金を払って観に来る人が集まるなら、少しは落ち着いて観られるんじゃないか、という打算もありました。

結果、その回では上映中に気になる私語が一度もありませんでした。

それだけで少し感動してしまった。

そして観ているうちに、1回目には拾えていなかったものが次々と見えてきました。

トム・ホランド版のスパイダーマンは、これまで他作品とのクロスオーバーそのものが大きな見どころになることがありました。

『ホームカミング』にはトニー・スタークがいて、『ノー・ウェイ・ホーム』にはドクター・ストレンジだけでなく、過去のスパイダーマンたちまで現れた。

今作にもパニッシャー、エレーナ・ベロワ、ブルース・バナーと、かなり豪華な面々が出てきます。

でも不思議と、彼らがピーターの映画を奪っている感じがしません。

むしろ彼らと接するたび、浮かび上がってくるのはピーター自身でした。

世界中から忘れられたあと、彼がどう生きてきたのか。

そして、どれだけ一人で抱え込んでいたのか。

ピーター・パーカーとして、人とつながる場所がない

『ノー・ウェイ・ホーム』の最後で、ピーター・パーカーを知る人々から彼の記憶は失われました。

MJも、ネッドも彼を覚えていない。

今作のピーターは、そんな世界でスパイダーマンとして犯罪と戦い続けています。

一方で、MJやネッドの現在を遠くから見てしまう。

二人は自分のいない人生を進んでいる。

会いたい。

でも近づけば、また危険に巻き込むかもしれない。

だから遠くから見ている。

1回目では単純に「孤独なピーター」として観ていたのですが、2回目には少し違って見えました。

彼にはスパイダーマンとして人と関わる時間はあるんです。

街へ出れば人を助けるし、他のヒーローとも接する。

なくなったのは、ピーター・パーカーとして誰かとつながる時間でした。

これまでのシリーズには、その両方があった。

学校へ行き、ネッドと馬鹿な話をして、MJを好きになるピーター。

その一方で、マスクを被って街を飛び回るスパイダーマン。

前作のラストで消えたのは、ヒーローとしての人生ではありません。

ピーター・パーカーとしての人生だったんです。

そう思って観ていると、今作ではやたらと「マスク」が気になってきます。

ほとんど裸なのに、マスクだけは外さない

象徴的なのが、エレーナ・ベロワと会う大浴場の場面です。

武器を隠し持っていないことを確かめるため、ピーターは服を脱ぐ。

ほとんど裸になっているのに、マスクだけは被ったままです。

画としては完全に笑わせに来ています。

普通におかしい。

でも2回目は、それが少し苦しく見えました。

ピーターは「スパイダーマン」としてならエレーナと話せる。

顔を隠し、名前を隠し、その役割の中にいれば人と接することができる。

逆に言えば、ピーター・パーカーとして誰かの前に立つことの方が、よほど怖い。

マスクは正体を隠すためのものだったはずなのに、今作ではいつの間にか、ピーター自身を守る殻のように見えてきます。

MJの前でマスクを脱ぐ

だから、MJとの場面が重い。

MJは手紙をきっかけに、ピーターと自分に過去があったことを知ります。

でも、事実を知ったからといって感情まで戻るわけではありません。

かつて二人が恋人だったと聞かされても、MJにはその記憶がない。

ピーターを愛していたという事実は理解できても、いま目の前にいるピーターを愛しているわけではない。

これはピーターにとって残酷です。

それでも、この場面は絶対に必要だったと思います。

失った関係を「いつか元に戻せるかもしれないもの」として遠くから眺め続けている限り、ピーターはずっと過去に残される。

MJの前でピーター・パーカーとして立ち、戻らないものは戻らないと知る。

恋愛が元に戻る場面ではなく、ようやく喪失を真正面から引き受ける場面なんだと思います。

そのあと、ネッドとはマスクを被ったままLEGOを組み立てる。

やっていることだけなら昔の二人と同じなのに、一人だけ顔を出せない。

懐かしいのに、元には戻っていない。

この距離感がすごく良かった。

ジーン・グレイは、ピーターの鏡だった

そして、この孤独を別の角度から見せるのがジーン・グレイです。

物語の序盤ではピーターの前に敵として現れますが、やがて彼女自身も傷つけられた側だったことが分かります。

特別な力を持っていた姉サラを失い、その力ゆえに利用され、ジーン自身も孤独と怒りの中にいる。

ここで、ピーターとジーンが重なります。

二人とも、自分では望んでいなかったほど大きな力を持っている。

二人とも、大切な人を失っている。

そして二人とも、その喪失を一人で抱え込んでいる。

だから私は、ジーンを単純なヴィランとしては見られませんでした。

ピーターが違う方向へ進んでいたら、こうなっていたかもしれない。

そんな鏡のような存在に見えます。

特に好きだったのが、ジーンがピーターの精神へ入り込み、メイの記憶に触れる場面でした。

ピーターがメイと話していた記憶の中へ、いつの間にかジーンが入っている。

私はあれを、メイ本人がジーンを救う場面というより、ピーターがメイから受け取ったものを、今度は別の孤独な人間へ渡しているように見ました。

ピーターには、メイから残されたものがある。

でも、それを持っているピーター自身ですら、一人で抱え込むことから抜け出せずにいる。

ジーンを救おうとする言葉が、結果的にはピーター自身にも返ってくる。

今作が「孤独」をただ寂しさとしてではなく、ひとりで全部を背負おうとする生き方の問題として描いていることが、ここではっきりしてきます。

ニューヨークの「うるささ」が反転する

演出で一番好きだったのは、ニューヨークの音の使い方でした。

身体の変化によって感覚が鋭敏になったピーターが屋上へ出ると、街のあらゆる音が一気に流れ込んできます。

車の音。

人の声。

無数の生活音。

それらが全部、ピーターを追い詰めるノイズとして聞こえてくる。

一人になりたい人間へ、世界が無理やり押し寄せてくるような音です。

ところが、その意味が終盤で反転します。

パニッシャーの銃弾を受けたピーターが病院へ運ばれる。

その外に、スパイダーマンの無事を祈るニューヨーク市民が集まってくる。

ここで私は泣きました。

ピーターは、自分は一人だと思っていた。

確かにピーター・パーカーを知っている人はいない。

でも、スパイダーマンとして彼が何年も街でやってきたことまで消えたわけではない。

助けた人がいる。

救われた人がいる。

彼を見てきた人がいる。

ピーター自身が顔を出したまま、その群衆の中へ紛れ込む。

誰も彼がスパイダーマンだとは知らない。

でも、自分のためにこれほど多くの人が集まっていることを、ピーターだけは知っている。

最初はうるさいだけだった喧騒が、その喧騒を生んでいる人たちの体温として聞こえてくる。

同じニューヨークの音が、前半と後半で真逆の意味になる。

IMAXの音響で浴びたこともあって、ここは完全にやられました。

そして、少し皮肉でもあります。

1回目の私は、この映画が「音」に込めていたものを、客席から聞こえてくる音のせいで受け取れなかった。

だから2回目でこれに気づいたとき、余計に刺さったのだと思います。

「ピーター」と「スパイダーマン」、どちらかを捨てる必要はない

終盤、身体の変異を抑えていた装置を外し、自分の身体から生まれた有機ウェブまで受け入れて戦うピーター。

私はここを、単なる新能力のお披露目とは感じませんでした。

彼はずっと、ピーター・パーカーを捨ててスパイダーマンだけで生きようとしてきた。

大切な人を守るなら、自分が彼らの人生から消えればいい。

自分さえ一人になればいい。

その考え方には責任感もある。

でも、それを続けることはできなかった。

最後にピーターは、ピーター・パーカーかスパイダーマンか、そのどちらか片方を選ぶことをやめます。

自分の身体から生まれるウェブまで含めて、自分自身を受け入れて戦う。

だから有機ウェブも、私にはその変化と重なって見えました。

ただ、今作の答えはそこで終わらない。

自分が何者なのかを受け入れるだけでは、ピーターはまだ一人だからです。

病院で気づき、メイの墓前で決める

そして、私がもう一度泣いたのがメイの墓前でした。

ここを最初は「ピーター自身の中で決着をつける場面」くらいに考えていたのですが、改めて考えると、もっと具体的です。

病院の外でピーターが知ったのは、

自分は本当は孤独ではなかった

ということでした。

自分のことを気にかけてくれる人が、これほどいた。

それはピーターにとって大きな発見です。

でも、孤独ではないと知ることと、誰かに頼ることは同じではありません。

ピーターはずっと、人を守るために自分が一人になることを選び続けてきた。

だから墓前でメイへ報告する「これからは一人でやらない」という決断が必要になる。

病院は、気づき。

墓前は、選択。

この二つは似ているようで、全然違います。

誰かが自分を思ってくれていると分かっても、「迷惑をかけたくない」「自分で何とかしなければ」と考え続ければ、人は結局一人で抱え込めてしまう。

だから今作がピーターに最後に求める成長は、単に「君には仲間がいる」と教えることではありません。

仲間がいるなら、一人でやらないことを自分から選んでいい。

そこまで行って、ようやく『ノー・ウェイ・ホーム』のラストから続いてきた孤独が終わる。

この墓前の場面について、鑑賞後に知って驚いたことがあります。

THE RIVERが紹介しているデスティン・ダニエル・クレットン監督のインタビューによると、この場面でピーターが口にする「もう一人でやらない」という趣旨の言葉は、もともとの脚本ではなく、トム・ホランドが撮影現場で加えたものだったそうです。

そしてクレットン監督は、その一言を聞いたことで、この映画がどこへ向かうべきなのかが見えたと振り返っています。

THE RIVER「『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』最後のセリフはトム・ホランドの即興だった」

映画を観ていて私が感じた「孤独」が、作品を作る側にとってもこれほど中心に置かれていたと知ると、今作のまとまり方に改めて納得しました。

ジーンも。

MJもネッドも。

病院に集まった人々も。

パニッシャーやエレーナ、ブルース・バナーとの出会いも。

みんな、ピーターに「お前は一人でやらなくていい」と教えるためにいたように見えてきます。

ネッドはピーターを思い出したのか

そして、最後のネッド。

ここは鑑賞後に気になった人も多いと思います。

映画は、ネッドの記憶が完全に戻ったとは明言しません。

ただ、ピーターとネッドは無意識のように、かつて二人がやっていたハンドシェイクを再現する。

そのあとネッドの表情が変わり、ピーターの名前を呼ぶ。

なので、「何も思い出していない」と見るのも少し違う気がします。

少なくとも、頭で理解するより先に、身体のどこかが二人の関係を覚えている。

そこから何が戻ったのか。

過去の記憶そのものなのか。

説明できない親しさなのか。

そこまでは答えを出さない。

私は、この終わり方が好きでした。

前作の犠牲を簡単に帳消しにはしない。

でも、人と人とのつながりは、魔法で記憶を消したからといって、それですべてなくなるほど単純でもない。

ピーターが「もう一人でやらない」と決めた直後に、未来のつながりを感じさせる小さな扉だけ開けて終わる。

すごくきれいなラストだったと思います。

2回目を観なければ、この映画を好きになれなかった

同じ映画を8日間で2回観て、私の評価は大きく変わりました。

変わったのは作品ではありません。

受け取れる状態に、自分がいたかどうかです。

上映マナーは「気分が悪かった」で終わる問題ではないのだと、今回はかなり痛感しました。

作品そのものへの評価まで変えてしまう。

私は実際、1回目に「そこまでかな」と思った。

もし2回目に行っていなければ、『ブランド・ニュー・デイ』は私の中でその程度の映画として終わっていたと思います。

だから今後、本当に楽しみにしている映画ほど、できる限り集中できそうな上映環境を選びたい。

IMAXなどのプレミアムフォーマットを選ぶ理由が、画質や音質だけではなくなりました。

初見の感動を、なるべく守るためです。

『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』でピーターは、自分が一人ではなかったことに気づきます。

でも、本当に大切なのはその次でした。

人に支えられていると知っても、一人で生きようと思えば生きられる。

だから最後にピーター自身が決める。

もう、一人でやらない。

『ノー・ウェイ・ホーム』で自らすべてのつながりを手放したピーターが、一本の映画を使って、ようやくもう一度人とつながることを選ぶ。

私は、この映画をそう受け取りました。

ピーターは前へ進みました。

私の方はというと、8月3日のあの回のことを、まだ許していません。

それでも、もう一度観に行って本当に良かったです。

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視聴方法(2026年8月12日時点):劇場公開中。

  • この記事を書いた人

HAL8000

映画と猫を愛して、「ねことシネマ」を書いています。劇場での鑑賞を軸に、2025年は映画館で100本、配信を含めるとおよそ190本を鑑賞。洋画・邦画・アニメ・ドキュメンタリーまで横断して観ています。新作レビューから劇場での鑑賞体験まで、観たあとに残った熱をそのまま言葉にしています。

編集方針とプロフィールFilmarksnote(英語字幕の予習ノート)

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