※この記事では、『フライングハイ』と『ファントム・スレッド』に登場する食中毒や毒キノコの使われ方に触れています。物語の結末には触れていませんが、未見の方はご注意ください。
『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』のBlu-rayが届いた火曜日、私は牡蠣の食あたりらしき症状で寝込みました。
日曜日に食べた牡蠣のホイル焼きが怪しかったのだと思います。
夕方から寒気がして、胃の中がざわざわする。
最初は一晩寝れば治るだろうと思っていました。
しかし、熱と腹痛がひどくなり、吐き気まで出てきました。
結局、2.5日ほどほとんど何もできませんでした。
食べ物で人が倒れる。
自分が実際にその状態になって、思い出した映画が二本あります。
『フライングハイ』と『ファントム・スレッド』です。
どちらの映画でも、食べ物によって人が動けなくなります。
ただ、その使われ方は正反対でした。
『フライングハイ』では笑いになり、『ファントム・スレッド』では愛と支配の手段になる。
この記事では、牡蠣で寝込んだ2.5日を振り返りながら、同じ「食べ物で人が倒れる」という出来事が、二本の映画でどのように違って見えたのかを考えます。
『フライングハイ』では、食中毒が笑いになる
1980年公開の『フライングハイ』は、ジム・エイブラハムズ、デヴィッド・ザッカー、ジェリー・ザッカーが監督したコメディ映画です。
物語の舞台は、飛行中の旅客機。
機内食の魚料理を食べた乗客や乗員が次々と体調を崩し、操縦できる人間までいなくなってしまいます。
普通に考えれば、かなり怖い状況です。
飛行機は空の上にあり、パイロットは動けない。
乗客の命は、たまたま機内にいた元戦闘機パイロットに託されます。
しかし、『フライングハイ』は、その危機をほとんど真面目に扱いません。
誰かが倒れたと思ったら、すぐに別のギャグが始まる。
深刻な説明をしている場面にも、言葉遊びやくだらない動きが入り込んできます。
食中毒によって状況が悪化するほど、映画は面白くなっていくのです。
私は、こうしたアメリカンコメディの勢いに少し置いていかれることがあります。
「今のは笑うところだったのか」と考えているあいだに、次のギャグが来るからです。
それでも、『フライングハイ』が食中毒を使う理由は分かりやすい。
乗客と乗員を一斉に倒し、飛行機をとんでもない状況にするためです。
この映画では、人が苦しんでいることよりも、その結果として何が起こるのかが重要です。
食中毒は、身体の苦しさを描くものではありません。
物語をさらに馬鹿げた方向へ動かすために使われています。
『ファントム・スレッド』では、毒が愛の手段になる
一方、2017年の『ファントム・スレッド』は、まったく違います。
ポール・トーマス・アンダーソン監督が、1950年代のロンドンを舞台に、著名な仕立屋レイノルズ・ウッドコックと、彼の前に現れたアルマの関係を描いた映画です。
レイノルズは、自分の生活を細かく管理しています。
仕事の進め方も、朝食の時間も、周囲の人間との距離も、自分の決めた形を崩したくない。
アルマは彼の恋人となり、ドレス作りのモデルにもなります。
しかし、レイノルズの生活に入ったからといって、二人が対等な関係になれるわけではありません。
彼の世界では、基本的にレイノルズが中心です。
そこでアルマは、毒キノコを使います。
レイノルズを弱らせ、自分の看病を必要とする状態にするためです。
もちろん、相手に毒を盛ることを、普通の愛情表現として受け取ることはできません。
ただ、アルマは単純にレイノルズを傷つけたいわけでもありません。
強く、他人を必要としない彼を弱らせることで、自分がそばにいられる場所を作ろうとします。
つまり、『ファントム・スレッド』における食中毒は、相手を排除するためのものではありません。
相手との関係を、自分が必要とされる形に変えるためのものです。
そこには愛があります。
同時に、かなり歪んだ支配もあります。
『フライングハイ』では、食中毒になった人が増えるほど、飛行機全体が混乱していきました。
『ファントム・スレッド』では、レイノルズが弱るほど、アルマとの距離が近づいていきます。
同じように人が倒れているのに、こちらでは笑えません。
同じ「食べ物で人が倒れる」が、正反対に使われている
二本を並べてみると、映画の中の食中毒は、症状そのものを描くためにあるわけではないと分かります。
『フライングハイ』では、偶然出された機内食によって、多くの人が一斉に倒れます。
誰か一人を狙ったものではありません。
だから、食べ物を用意した人と、食べた人の関係もほとんど問題にならない。
重要なのは、乗客と乗員が動けなくなり、飛行機が危機に陥ることです。
一方、『ファントム・スレッド』では、アルマがレイノルズのために用意した食事によって、彼だけが倒れます。
誰が作り、誰が食べるのかが、はっきりしています。
食事は二人の関係から切り離せません。
『フライングハイ』では、多くの人を倒すことで物語が飛行機全体へ広がっていく。
『ファントム・スレッド』では、一人の人間を倒すことで、物語がレイノルズとアルマの関係へ深く入っていく。
一方は、不特定多数を巻き込む事故です。
もう一方は、特定の相手に向けられた行為です。
同じ「食べ物で人が倒れる」という出来事でも、映画の中で与えられている意味はまったく違います。
私は食あたりで寝込んでから、この違いが妙に気になりました。
現実ではただつらかった出来事が、映画の中では、ここまで別のものに変わるのかと思ったからです。
現実の食あたりでは、映画を観ることもできなかった
映画の中では、食中毒になった瞬間から物語が動きます。
しかし、現実では何も動きませんでした。
胃が痛く、頭がぼんやりしていると、映像を観るどころではありません。
音も光もしんどい。
『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』のBlu-rayが届いていたのに、再生する気力すら出ませんでした。
ブログも止まりました。
当時は毎日更新を目指していましたが、文章を書くどころか、パソコンの前に座ることもできませんでした。
食欲がなくなると、映画を観たい気持ちまで一緒に消えてしまう。
映画を観ることは、ただ画面の前に座れば成立するものではありません。
音を聞き、映像を追い、物語について考えるだけの余裕が必要です。
普段は意識しませんが、その余裕がなくなると、好きな映画さえ観られなくなるのだと分かりました。
ハルは、ただ布団の上で丸くなっていた
寝込んでいるあいだ、ハルは布団の上にいました。
こちらの顔を心配そうにのぞき込むわけでもない。
いつも通り、自分が寝たい場所で丸くなっていただけです。

それでも、夜中に目が覚めたとき、近くで眠っているハルを見て少し和みました。
「この子は健康でよかった」と思いました。
ハルが私を慰めようとしていたわけではないと思います。
今回も、看病してくれた猫の話ではありません。
ただ布団の上で丸くなっていた。
それだけです。
それでも、あの2.5日を思い出すと、その姿も一緒に残っています。
まとめ:映画では物語が動き、現実では何もできなくなる
『フライングハイ』では、食中毒によって飛行機が大混乱に陥ります。
『ファントム・スレッド』では、毒キノコによって、レイノルズとアルマの関係が変わります。
一方では笑い。
もう一方では、愛と支配。
同じ「食べ物で人が倒れる」という出来事が、二本の映画では正反対に使われていました。
現実の私は、牡蠣の食あたりらしき症状で2.5日寝込みました。
そこから大きな事件が起こったわけでも、誰かとの関係が変わったわけでもありません。
届いたBlu-rayを観られず、ブログも書けず、布団の上で回復を待っていただけです。
映画では、人が倒れることで物語が動き始める。
現実では、人が倒れると物語どころではなくなる。
そして、その止まった時間の横で、ハルだけがいつも通り丸くなっていました。
今回の食あたりから私の中に残ったのは、「健康第一」という言葉よりも、その違いでした。